日本の水生植物 探査記録
Vol.132 満開の春

Location 千葉県柏市
Date  Few days in April
Photograph SONY CyberShot DSC-WX300/Nikon CoolpixP330
Weather
Fine
Temperature
20〜22℃
タネツケバナの混迷


(P)満開のタネツケバナ群落 千葉県柏市 4月


 タネツケバナという、多少水気のある所ならどこでも見られる雑草にハマっている。「ハマった」のはこの植物が好きだとか、食べているとか(*1)ポジティブ系のものではなく、アカデミック風に言えば「分類に疑義が生じた」、平たく言えば「どれが本家のタネツケバナなのか自信がなくなった」というネガティブ系のハマリ方である。
 しかも普段はすべてスルーするこの雑草を、わざわざ出向いて観察したり写真を撮ったり・・・ネット風に表現すれば「何やってんだ>俺」ってところか。ただでさえ忙しい今日この頃、庭の植物のメンテナンスもままならぬタイトな日常でも一度気になると何とかして時間をひねり出すのだから不思議なもんだ。不思議と言えばこれだけ気になっているのに、果たして追いかける価値のある植物かどうか確信もない。今やライフワークとなりつつあるヘラオモダカは当初の段階から迷宮の底知れぬ奥行及び「追いかける価値」を感じたが、この植物にはそれも感じない。まさに「何やってんだ>俺」である。いや、むしろ「何をやっているか分からん>俺」か。



 実家のある水戸市に用事で里帰りした際に、暇にまかせて約40年ぶりに子供の頃良く遊んだ河跡湖(*2)に行ってみた。40年の歳月は重く、甲虫類が多く生息した雑木林は大規模な団地となり、山中の不気味な沼は住宅街の公園の池となっていた。しかし驚くべきことに河跡湖の一帯は昔日の面影が残り、やや遷移が進んで浅くなりつつも湖(実態は小さな沼だが)そのものは残存していたのである。
 当時からU字型の湖の内側は水田に利用されていたが、今でも大部分は水田で、田植え前のこの時期、あちこちに白い花を咲かせたタネツケバナが咲いていた。しかしこのタネツケバナはどうも印象にあるタネツケバナと様子が異なり、葉や茎が大ぶりでナヨッとしている。

 タネツケバナの仲間としては拙作「水生植物図譜アブラナ科」でご紹介しているオオバタネツケバナは認識していたが、本種は山地渓流際に多く、こうした平地の水田にあるとは考えにくい。また羽状裂葉の頂小片が大きいのでこれとは違う。(ような気がする)
 気になって帰宅後に調べてみたが、タネツケバナ属に付いて最も情報集積量が多いと思われる、いがりまさし氏の「植物図鑑・撮れたてドットコム」のコンテンツ「タネツケバナの仲間」の比較写真でも分からなかった。

 元々タネツケバナ単体でも変異が多い上に近似種も多い。さらに正体不明ながら極めて近似した外来種も存在するらしいので迂闊に断定はできないが、変種であるミズタネツケバナに近いかな?と考えている。そのミズタネツケバナ(Cardamine flexuosa With. var. latifolia Makino)、元々の和名由来が種籾を「水」に漬ける時期に開花する、という説が有力だが、そこにさらに「水」が冠される。白い白馬的ネーミングで、よほど湿地性が強いのかと思えば意外にそうでもなく乾燥した河原などにも自生するらしい。特徴は(1)葉の裂片が広い、(2)ほとんど無毛、(3)紫色を帯びない、だが、その程度はおそらく変異の幅で吸収できるレベルだと思う。
 変異レベルと括るわけにもいかないが、前出比較表ではタネツケバナ、オオバタネツケバナ以外にオオケタネツケバナ、タチタネツケバナ、ジャニンジン、ミチタネツケバナなどが登場し、この属の意外な奥行を感じられた・・・簡単に言えばよく分からない。種として扱うべき相違なのか、種内変異のレベルなのか・・・要するに「ハマった」わけである。

(P)ちょっと・・なタネツケバナ 2014年4月 茨城県水戸市


記憶の片隅にあった木造の人道橋が残存していた。渡るのは40年ぶりか・・網や釣竿を担ぎ、捉えた魚やエビをこの橋を渡り大事に持ち帰ったのがつい昨日の出来事のように思われる。人生は一瞬だ。 堤防は竹林。通る人がいるのだろう、路面は綺麗に整備されていた。


 これを見て以来、近所の水田のタネツケバナも気になるようになって仕方がない。かくして上記のように、時間もないのに気が付くとコンデジ片手に田んぼ道に居るのである。困った事に田んぼ道は犬の散歩道、世間から見れば何も無い導水前の田んぼで怪しいおじさんが写真を撮っている。客観的に見れば超怪しい光景だろう。

 そのタネツケバナ、根元に紫色を帯びるもの(これはノーマルだろう)、葉が硬質で寸詰まりのもの、花の数が妙に少ないもの等々、変異か変種かはたまた別種か外来種か、見れば見るほど悩みの種が増えて行く。考えてみれば膨大な種類の植物に比してごく限られた水辺の植物をテーマにしているが、その狭い範疇でも次から次へと謎が押し寄せて来るのが最近の傾向。ここ数年イヌタデ属、サジオモダカ属と格闘しているような気がするが、新たな難敵タネツケバナ属が登場、ポジティブに考えれば残された人生の「楽しみ」が確保された・・・と思うことにしよう。

下手賀沼

 さて最近仕事上で取引先が増え、千葉県柏市の「柏とは思えない場所」に行く機会が増えた。柏市と思えないのは手賀沼の干拓地(*3)だからで、この一帯は完全な水田地帯、柏でイメージするビックカメラも高島屋ない。と言うか自分が柏に行くのはカメラを買うときか(ビックカメラ)、吉田カバンのカメラバックを見に行く時か(高島屋)その程度なので、あくまで個人的な柏のイメージだが。
 茨城県側からのルート、JR成田線新木(あらき)駅付近のセブンイレブンを過ぎると、手賀川にかかる浅間橋、手賀干拓一の橋、白幡集落に至るまで自販機も見かけない。見渡す限りの水田である。手賀川付近では平日でも釣り人が多いのどかな光景だ。

 やや台地状となった地形は原手賀沼の湖岸線だろうか。細々とした湧水が下る沢には遠目にも白く見える花畑が広がっていた。時期的にホシクサやヒメナエではなく、ほぼ確実にタネツケバナである。次点でコハコベ(ナデシコ科ハコベ属)だが流水のある場所にはあまり生えない。タネツケバナは大群生となっていたが、草体はごくノーマルなものであった。

 沢が下って合流する水路も一応チェック。なにしろこの一帯は原手賀沼の跡地。環境省が掘り返した穴に水が溜まり、休眠していたガシャモクが発芽(*4)したのは有名な話だが、何とか維持しようと手賀川の水を導水したところヘドロとアメリカザリガニが入り込み絶えてしまったのも有名な話。この穴、通称「ガシャモク再生池」には、調査にも参画された「車軸藻のページ」森嶋先生によれば(以下同サイトより引用)2004年に以下沈水植物が確認されたという。


確認された沈水植物
車軸藻以外
ガシャモク インバモ ササバモ ムサシモ イバラモ コウガイモ
車軸藻類
シャジクモ アメリカシャジクモ エリナガシャジクモ カタシャジクモ チャボフラスコモ、オトメフラスコモ
未同定5種程度(ジュズフラスコモ? ナガホノフラスコモ?など)


 シャジクモ類もさることながらガシャモク、インバモ、ムサシモ、イバラモは凄いラインナップだ。インバモはガシャモクとササバモの交雑種で雑種不稔性(*5)とされるが、この記事を読むと埋土種子から発芽したとしか考えられない。以前自宅で栽培していたインバモは形状がササバモと再交雑したようなものであったが、稔性をもう一度調べる必要があると思う。(交雑種には稔性を持つものもある)
 まさかガシャモクとササバモが先に復活し、超速攻で交雑したわけでもあるまい。その程度の難易度であれば我が家のガシャモク、ササバモ睡蓮鉢2箇所ではとっくの昔にインバモが誕生しているはず。
 ムサシモも今となっては同じイバラモ科のイトイバラモと並び「幻」になりつつある水草だが、この水系では複数回の目撃例があり、元々分布が濃かった可能性もある。目撃例は印旛沼周辺だが自分でも利根川北岸、つまり茨城県で「らしき」トリゲモを発見しており、綿密な調査を行えば残存している可能性もあると思う。(自分が発見した草体は当サイト、水生植物図譜イバラモ科」に掲載)
 こうした「宝の山」エリアであるので水路や止水は一応チェックが必要なのだ。水草愛好家以前に人口そのものが希薄な地帯なので見過ごされている希少植物が存在する可能性はある。もちろんこの時期見られる水生植物は少なく、水路に繁茂しているのはオランダガラシ程度であった。前章で書いたようにタネツケバナにハマっているので一応オランダガラシもチェック。もちろん見かけも味もクレソンそのものだったけど。

(P)沢に群生するタネツケバナ。手賀沼干拓地 千葉県柏市


これも「普通」タイプのタネツケバナ 千葉県柏市 この一帯に多いオランダガラシ 千葉県柏市


 下手賀沼は「沼」と名乗りつつ、ほぼ河川である。(幅も実態も)そう言えば手賀沼も一級河川だし、手賀沼より面積の少ない下手賀沼もしかり、という所。流入河川の川幅が広くなり、やがて狭くなった所が「手賀干拓一の橋」。
 当地域居住者以外まったく無駄な情報だが、このいかにも干拓地らしい名を持つ橋は千葉県警の稼ぎ場所である。橋は「へ」の字状に曲がった道路の頂点にあり、どちらから来ても水田の中の一本道で飛ばしやすい。それを途中の畦道でレーダー計測し、橋付近の土手に待機する本隊に連絡、御用となるわけ。ドライバー心理を巧みに読んだ戦術だが、警察も下手な営業マンよりノルマがきついので仕方あるまい。

 閑話休題。下手賀沼には折から散った桜が流れ込み、一種ジャパネスクな雰囲気を醸し出していた。もちろん水質と「香り」は手賀沼そのものだが写真に水質指標と香りは写らない。
 実は下手賀沼の流入河川、金山落(かなやまおとし)には両岸にボタンザクラが植栽され、折から満開を迎えていたのだ。道理で人口希薄地帯のわりに路上駐車とカメラマンが多いわけだ。自分も同じ場所に車を駐めたので怪しまれない程度に桜を撮って(と言ってもコンデジ)退散。

(P)上流から見た下手賀沼


下手賀沼の「出口」、ネズミ獲りの名所「手賀干拓一の橋」。水路はやがて手賀川に合流し利根川に注ぐ 流入河川「金山落」両岸の桜。知る人ぞ知る桜の名所のようだ。それにしても変わった名称の河川だ

価値観の変遷

 広大だった手賀沼、印旛沼は何のために干拓されたのだろうか。答えはいたってシンプル、江戸時代の新田開発のためである。まさに米本位制の真っ只中、飢饉によって膨大な餓死者が出た時代での絶対正義である。手賀沼は早くも1671年に江戸の商人、海野屋作兵衛なる者により新田開発が成されている。
 歴史に詳しい方はこの事実に違和感を覚えられると思う。身分制の厳しい時代に農民ではない者が新田開発するのである。これは町人請負新田と言って非常にキナ臭い取引である。どれくらいキナ臭いかというと、かの白土三平画伯の不朽の名作「カムイ伝」にもあるが、商人が金を使って武士に根回しする、商人は農民から年貢をとって代納する。そこには賄賂、中間搾取、商業資本の農村支配というやや現代的な、表に出ない蜜を農民以外が吸えるシステムがあるのである。(おっと脱線した)
 1785年になると、かの悪名高い老中田沼意次によって本格的な干拓が成されている。悪名高いのか重商主義の改革者だったのか意見は分かれる所だが、結果的に失脚原因の一つが印旛沼運河工事の失敗であったように、この時代には洪水など自然災害の多発によって干拓は成果を上げていない。

 歴史的に連綿と続けられた干拓によって、現在の手賀沼は当時の20%の面積しかないとされる。(手賀沼=上沼、下手賀沼=下沼の合算値)しかしその20%の面積でも1960年前後までガシャモクが肥料とされる程、水草が豊かであったのだ。ガシャモクの和名由来(*6)はこの辺の事情を考えると手賀沼発である可能性が強い。
 それがなぜ「写真に水質指標と香りは写らない」と自嘲気味に書かれる程の水域になってしまったのか?一つは手賀沼汚染の主因とされる宅地開発だろう。しかしこれも高度成長期の首都圏の住宅供給事情という当時の絶対正義である。住宅供給はインフラとセットであるはずだが、当時のインフラは電気と水道であって下水道や都市ガスは含まれていない。この地域も含め、今でもガスはボンベ、排水は直接水路にといった地域も少なくない。

 価値観は時代とともに変遷するが、ここに来て風向きがやや変わってきた。詳しくは前作に書いたが、TPP以前に米作の護送船団方式が破綻し、せっかく水田のために干拓したこの地域にも休耕田が増えていた。米価自由化の進展とともに水田面積はさらに減少するだろう。
 一方、インフラ整備に力と責任を持たない農業従事者には申し訳ないが耕地面積の減少とともに面源負荷(*7)も減っている。一時「水田浄化法」という物事を片面しか見ていないとしか思えない理論があった。かいつまんで言うと汚れた水域の水を水田に導水し、稲が有機物を吸収した跡の綺麗な水を水域に戻す、というものだ。
 この理屈には致命的な欠点があって、水田には肥料を使用する、という部分が抜けている。また元々有機質の水田土壌に水を通すので水が綺麗になるという理屈は成立しない、厳しい見方をすれば水田も面源負荷である。水田が減少することは、下水道整備の進む大堀川流域とともに手賀沼のリスク軽減要因であるだろう。これだけ長い時間をかけて痛めつけてきた自然がすぐに回復するとは思えないが、今や価値観は新田開発や住宅供給よりも生物多様性、いつの日かタネツケバナだけではなく、ガシャモクの花の満開を見られる日が来ることを願ってやまない。

(P)満開の春にどことなく沈黙の春を感じる下手賀沼周辺の干拓地

脚注

(*1) タネツケバナは食用になる。アブラナ科としてはクセの無い方で、個人的には火を通すよりサラダなど生食の方が歯応えがあって宜しい。減農薬の時代とはいえ残留農薬は怖いので水田のものより河川際のものの方が安全だろう。タラの芽、ゼンマイと異なり競争者も居ないので好きなだけ採れるという利点もある。尚、オオバタネツケバナは野菜として栽培される場合もあるようだ。

(*2) いわゆる三日月湖。人為的または自然現象により河川の流路変更によって残された旧河川。主に河川が大きく湾曲した部分に形成される場合が多く、人為的なものは湾曲部の水害防止のため、自然現象としては水流によって直線的に水路が掘削されて湾曲部が取り残されることにより形成される。地元では前者の事由によって形成された古利根沼(旧利根川の流路)がある。

(*3) 本文にあるように現在の手賀沼は原手賀沼の20%程度の大きさで、干拓は江戸時代から進められていた。印旛沼もそうだが元々浅い沼であり、見るからに手間が少なく水田に転換できると当時の人間が判断したのだろう。干拓後、当時は影響の少なかった生活排水や農業排水が増大し、長年「最も汚れた湖沼」の不名誉を担ったことは周知の通り。水域が狭くなった分、回復力も僅かなものになったことは想像できる。水生植物は本文にあるような豪華なラインナップに加え、手賀沼固有のテガヌマフラスコモなどもあった。

(*4) 国土交通省が手賀川改修工事のため河畔の土を掘った跡地に水が溜まり、1997年にガシャモクが復活しているのが確認された。場所は手賀川沿い、浅間橋と水道橋の間の地点。しかし水質やヘドロ、また手賀沼にマシジミとガシャモクを復活させる会のWebサイトによればアメリカザリガニとウシガエルのオタマジャクシによって2004年頃には消滅してしまったらしい。この系統は現在我孫子市の水の館で栽培展示されている。また里子制度も盛んに行っており、子孫は維持されている。

(*5) 交雑種(雑種)が不稔つまり結実しない現象。インバモに付いては花粉も形成しない、とされている。タヌキモは長年実生しないと言われて来たが、近頃イヌタヌキモとオオタヌキモの交雑種で不稔であることが判明した。原因は生殖細胞が減数分裂しないからだ。ここを詳しく語ると趣旨を逸脱するほど長くなるので割愛。興味のある方は最近分かりやすい植物生理学の本が新書版でも出ているので読んで下さい。
 疑義があるのはガシャモク再生池にインバモが発生した点で、上記の通りインバモは花粉も形成しない、要するに種子を残せないはず。いかに一定の水分があるとは言え土中で根茎の一部が長年生きられる可能性は低いと思われる。ならば埋土種子の可能性が高いが、ササバモと中間形質を持つインバモも見ていたのでもしかすると稔性を持つ場合があるのではないか、と考えただけ。もちろん一般的な見解ではない。

(*6) ガシャモクという変わった和名の由来には諸説あるが、最も妥当性があると思われるのは「ガシャモクを緑肥として集める際に使用した農機具が発する音」、つまり擬音説。この一帯では1960年頃までガシャモクを緑肥に使用していたらしいので、和名は手賀沼発の可能性が高いのではないか、と考えている。ちなみに霞ヶ浦では寒藻(エビモの可能性が高い)、漁藻(交雑種の可能性が高い)などシンプルかつ奥が深い(ないしは意味が分からない)ローカルネームが多い。県民性かも。

(*7) 面源負荷、または面源汚濁負荷。河川湖沼流域の農地、山林、市街地など面的に広がった汚濁源から発生する汚濁負荷のこと。降雨によって流入し汚染原因となる。霞ヶ浦の場合は沿岸の養豚場(汚水)、ハス田(栄養価の高い肥料の流失)、養殖漁業(カロリーの高い鯉のエサ大量投入)、生活排水(下水道未整備地域が多い)と多岐に渡る。従って有効な手立てが取りにくい。だったら綺麗な水を入れて薄めてしまえとばかり霞ヶ浦導水路のような突飛な発想が何千億もかけて行われることになる。根拠はここ手賀沼の手賀沼導水路が一定の効果を上げたこと。効果と言っても日本一の汚さが日本何位かに下がった程度。その程度を何千億とは納税者として納得し難いものがある。
 対義語は点源負荷で、汚染原因が特定できるもの。例えば河川に排水する工場が汚染の原因などの場合。この場合は対策が簡単で、浄化装置を付けるとか行政指導するとか。残念ながらこの手の汚染原因はこの水域にはあまりない。従って有効かつ簡単な対策は取れない。

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