日本の水生植物 水草雑記帳 Weed
ヤナギタデ
(C)半夏堂
Weed Persicaria hydropiper (L.) Spach

タデ科イヌタデ属 ヤナギタデ 学名 Persicaria hydropiper (L.) Spach
被子植物APGW分類 : 同分類

撮影 2011年10月 茨城県取手市 小貝川氾濫原

【ヤナギタデ】
*ヤナギタデは生育場所によって全く異なる印象の植物である。本文で詳述するが、氾濫原での野太くゴツい姿、刈取りの終わった水田での矮小化しつつも開花・結実した姿、そして流水にたなびく沈水型など、置かれた環境により草姿は多岐に渡る。この変化は環境適応能力に優れている、と一言で済ませられないほどのドラスティックな変化だ。(現実は環境適応能力の為せるワザということはもちろん承知の上)同属では多少の差異はあれど環境変化によらず安定した草姿を見せるイヌタデやサクラタデとは一線を画している。
 こうした「多彩」なヤナギタデであるが、草姿は著しく特徴に欠ける。ヤナギタデの外見的な特徴を教えろと言われた時に、数多くのイヌタデ属を知る私でも言葉に詰まる。ミゾソバのように「牛の顔形」の葉があるわけではなく、ヤノネグサのように鏃型の葉形でもない。さらにサクラタデのように綺麗な花が咲くわけでもない。詰まった挙句、齧ってみれば分かる、という草姿以外の特徴をあげるしかない。事実同定の際は近似種との紛れを避けるために齧っている。

 食材としてのヤナギタデ(ホンタデ)は正直なところ自分はなじみがなく、嫁さんがスーパーで買ってくる刺身に付いているのを見かけたこともない。概ねダイコンとニンジンの千切りか、加えてシソの葉とパセリ程度か。コスト優先のスーパーの食材では致し方なく、いかに変化に乏しく貧しい食生活かと自分でも思うが、料亭など高級な世界では使われているのかな?政財界の人ではないので料亭というものには行ったことがないが、どこかで一定のニーズがないと栽培農家も立ちいかないはずなのでたぶん私の知らない世界か、別の地域、常食の習慣がある地域で流通しているのだろう。
 和名の由来は(たぶん)柳に似た葉の形状から来ていると思われるが、考えてみればイヌタデ属の大半は同じような形状をしている。極論すればサデクサやホソバノウナギツカミなど葉に耳がある種以外はすべて同じようなもの。味以外にこれといった特徴があるわけではなく消去法の命名のような気もする。

時短名人
■水田シェアリング

 水田は言うまでもなく稲の生育場所であり「米の生産現場」である。従って稲が生長し実付きが良くなるように合理的なシステム注1)も概ね出来ている。このシステム、主に土壌と水の管理は稲以外の植物には配慮していないし、それは当然の話だ。しかし稲刈りが終わりしばらくすると、生産者が意図しない、時ならぬ雑草たちの季節限定の花畑が出現する。

 花畑の主役はミズネコノオ、ホシクサ、キカシグサ、コナギ、シソクサなど水田雑草と呼ばれる一群だが、実はヤナギタデもその中の一員である。彼らに共通するのは総じて通常より草体が小型であり、成長期のような草姿だが、それでもきちんと開花、結実する。植物であるのでネオテニー(幼生成熟)ということではないが、図鑑等で示される標準的な草丈よりもかなり小さな状態で世代交代を行っている。
 これには止むを得ない事情があって、稲がある間は日照が十分に確保できず、十分に成長することができないためだ。もしかすると目立つほど育ってしまうと除草されてしまうから、という高級戦略があるのかも知れない。


2014年10月 茨城県取手市 刈取後水田で開花するヤナギタデ(fig2)


 この現象の理由を考えると、稲の刈取後に得られる短期間の日照を使ってエネルギーを生産し、急いで世代交代を行っているため、と推測できる。驚くべきことにヤナギタデはこんな限られた条件下でも世代交代が可能なのだ。上記した植物群のなかには育成環境下でうまく世代交代できない種類もあるが、十分考えて整えたつもりでも自宅の育成環境は、本来は雑草を排除する水田に及んでいない、ということか。
 しかし水田ではイネという大型草本もあるし除草剤が使用される場合もあるだろう。そうまでして雑草にとっては過酷な環境である水田で育つこともないように思うが、稲作の伝来以来、別な言い方をすれば水田と言う場所が出来て以来、そこを住処と決めて様々な障壁に対応しつつ生き延びてきた強靭さと、何としてでも次の世代に受け継ごうという健気さも感じる。
 この状態はいわば水田のタイムシェアリングであり、我が国で最も面積の広い「湿地」である水田を稲のみならず様々な植物が生活場所として利用しており、微妙な生育時期の差異でシェアしている、と言うことができる。自然湿地が諸々の理由で荒廃しつつある現代、水田は最も湿地植物の多様性が見られる場所になった、と言っても過言ではない。

 とは言え、乾田化による沈水植物の消滅注2)、除草剤の高性能化、耕作放棄による環境遷移など、この多様性の湿地たる水田も安泰ではない。近所でもスズメハコベが大繁茂する休耕田が陸地化して消滅したり、ヒロハイヌノヒゲの密度が高い休耕田が道路工事により埋め立てられたりした事例がここ数年で数多く起きている。個人的に好きなタイプの水田が次々と潰されているが、それは「個人的に好きなタイプの水田」=「珍しい植物が生える自然度がある水田」、というわけで、要は生産効率が悪いのだろう。生産効率が悪ければ休耕でも転用でも真っ先に候補となる。
 そもそも論で言えば水田は人間のための食料生産工場であって、多様性、つまり雑草達はその阻害要因である。雑草ウォッチャーにとっては残念であるが、このことに文句を言う筋合いはない。しかし他の一般湿地に比べれば結果的に湿地植物の多様性が残存しているのが水田という図式、この状況は自然湿地の荒廃をネガティブに証明しているように思われてならない。

■ゲームチェンジ

 ヤナギタデは本来、後述するようにかなり大型でゴツいイヌタデ属の植物である。この状態を仮に「氾濫原型」と名付けたが、要は水分が担保され、成長にあたって障害がなければ本来の姿に育つ、ということである。(もちろん他にも要因はあるが本稿趣旨ではないので割愛する)一方、「水田シェアリング」で自生している仮称「水田型」は草体が氾濫原型の数分の一であり、一見全く別種の植物のように見える。

 ヤナギタデに限らず「水田シェアリング」の湿地植物達はこの傾向、つまり矮小型で成熟する傾向が強いが、考えてみるとこの植物生理は何気なく見えても実は凄い事だと思う。
 客観的に見ると生育場所の条件によって本来の成長スピードをコントロールしているのである。人間を含む動物は成長環境が劣悪であった場合、寿命が短くなったり生殖能力が欠落したり様々なマイナスの影響が出るが、この植物達は草体が小さくなるだけで立派に世代交代しているのだ。それも、過分な日照も肥料も要求するわけではない。


2015年6月 東京都東久留米市 湧水河川で生育するヤナギタデ。右下の沈水葉、水面上に立ち上がった気中葉が見える(fig3)


■水生植物らしい対応

 ヤナギタデの場合、水中で発芽したものは沈水葉を展開し、水面上に花穂を上げて開花・結実する。結実した種子はこの環境では水底に沈み、翌年同様に沈水葉として発芽する。これは毎年同様の沈水葉群落が見られる事でも間違いない。この状況をさらりと書いているが、実はよく考えると矛盾に満ちている。中学校理科(生物)で習ったと思うが、一般に植物種子の発芽条件、いわゆる発芽の三要素は水分、温度、酸素である。上画像は湧水起源の低水温の河川でのものだが、水分はいくらでもあるにしても水温は低く、水中なので大気中に比べれば酸素も著しく少ない。三つの条件のうち二つが厳しい状況だ。沈水植物ならともかく、ヤナギタデは本来陸上の植物であって、低水温の水草、バイカモなどと同等の能力をどこで身に付けたのだろうか?
 水中に適応するイヌタデ属植物もないわけではなく、アクアリウムではシロバナサクラタデやサクラタデをよく育成していたし、自然下でもエゾノミズタデは浮葉植物のように生育する。しかし繰り返すがヤナギタデは基本的に陸生植物であって一般的な意味での水草ではない。一年草でありながら注3)このような生存戦略の多面性を備えている植物は他にはあまり見られない。これらの挙動を見る限り、ヤナギタデは様々な環境変化に適応できる非常に強靭な植物であると言えるだろう。(沈水型に付いては詳細を後述)

 水田、氾濫原、河川水中、総括すれば同じ「湿地」ではあるが環境はまったく異なる。それぞれ生き残る戦略も異なるはずである。ヤナギタデ以外にも「季節限定花畑メンバー」のミズネコノオやシソクサなど育成下で沈水化する植物はあるが、自然状態でこれらの環境変化に対応している姿はまず見ない。ヤナギタデは環境変化という究極のゲームチェンジに対応できる稀な植物であると言っても良いだろう。
 例えば脚注(*2)に書いたように、水田の変化、湿田→乾田化は大きなゲームチェンジである。この変化に対応できず激減した植物も多い。自生している姿は何気なくても、ヤナギタデはこうした変化も乗り切れる力を内包しているのである。雑草だから雑草魂は持っている。それを割り引いて考えても、ある意味凄い植物だ。

名は体を示す
■栽培バリエーション

 ヤナギタデの学名は表記の通りPersicaria hydropiper (L.) Spach、種小名注4)は「hydropiper」である。hydroは「水の」、piperはコショウ属(コショウ科)の属名である。いわば「水のコショウ」であり、これほど名が体を表している学名は少ない。ある意味特徴のない地味なイヌタデ属植物であるヤナギタデの、ごく原始的な同定方法として葉をかじる、という手法がある。ただ青臭いだけの他種と異なり、ピリッと来る。実はこの辛味は葉のみならず実にも含まれており、ヨーロッパでは胡椒が高価(同重量の金と等価の時代もあったようだ)であった時代には代用品として用いられたそうである。

 水田のものは除草剤の影響注5)も考えられるのでうかつに口に出来ないが、無農薬と分かっていればほぼ安全だろう。見慣れてくると除草剤を使用しているかどうか見た目で分かるが、それでも過信は禁物、万が一中毒してしまっても誰も責任を取れない行為であることは言うまでもない。そもそも水田が私有地である以上、厳密には勝手に立ち入るのは違法行為である。そこで採集した植物に農薬がかかっていた、と文句を言うのは筋違い。


2014年10月 茨城県取手市 水田に自生する小型のヤナギタデ(fig4)


 その「ピリッ」と来るヤナギタデは広く知られているように刺身のツマとして用いられている。(冒頭に書いたように広く知られているわりには私はよく知らなかったが)厳密に言えば食品用途に用いられるものは「ヤナギタデ」ではなく名称としては「ホンタデ」である。ホンタデもマタデもヤナギタデの和名シノニム注6)だが、実は食用として栽培されるものは和名のみではなく、学名も異なる(つまり別の品種)ものもある。代表的なものは以下である。

・ムラサキタデ(又はベニタデ、アカタデ) f.purpurascens
・アイタデ(又はアオタデ) var.laetevirens
・アザブタデ(又はエドタデ) var.fastigiatum
・ホソバタデ(又はサツマタデ) var.maximowiczii

 これらは流通段階では区別されることなく取引されているので、それこそ「ホンタデ」一本で済んでしまう。微小な食味や食感の違いがあるとは思うが、実際に口にする機会も少ないであろう、しょせんツマであり気にする人も少ないようだ。かく言う自分は実は「ツマ」が大好きで、特に刺身盛りでは捨てられてしまうことの多いパセリが大好物である。刺身盛り合わせを購入する際も内容よりパセリがたくさん入っているかどうかを気にしてしまう本末転倒人間である。そんな偏った人間が他に多数居るとは思えないし、前述したように安い刺身盛りでヤナギタデが入っているのを見たこともないのでヤナギタデ=ホンタデでとりあえずは何も問題はないかも知れない。

■辛味成分

 ことわざ「蓼食う虫も好き好き」の蓼(タデ)はすなわちヤナギタデである。こんな辛味のある葉を食う虫もいる、転じて「人の好みは様々」という意味だが、その語源となるほどに食用としての歴史が古いようだ。同じタデ科(属は異なるが)のスイバも同程度以上に食用の歴史があるとされる。スイバにはシュウ酸が含まれ、過剰な摂取は結石の原因になるとされているが、そのシュウ酸の漢字表記「蓚酸」の「蓚」はズバリ、スイバを意味する。
 幸いなことにスイバは食したことがないが、腎臓結石の持病は長年持っており時折尿路に降りてくると七転八倒の痛みが襲ってくる。こんな結石の後押しをするような植物は食べたくないので私は生涯試すことはないと思う。ただいざという時に食用になる野草を一つでも多く知っていることはサバイバルに役立つはず。辛くても将来結石で苦しんでも腹を満たすことは生き延びる上で不可欠だ。餓死した人は歴史上多いが、食い物が辛すぎて死んだ人も尿道結石で死んだ人もいないはず。(いるかも知れない。なった人間にしか分からない死にそうな痛み、最初は本当に死ぬかも知れないと思った。)

 ヤナギタデの辛味はポリゴディアール(Polygodial)という物質による。Polygodialはイヌタデ属の以前の属名Polygonumから来た言葉であろう。ポリゴディアールには昆虫による食害を阻害する作用と抗菌作用があるとされているが、それでも食う虫が存在するわけだ。水田の矮性型でも氾濫原の大型のものでも葉に虫食い跡が普遍的に見られることから、特別な種類、つまり珍しい種類の昆虫ではないようだ。一説にはハムシ科の何種類かの昆虫がヤナギタデを食草にしている、とされているが、調べてみるとハムシ科にはこれだけの種類がいて、ビジュアルと名前は一致しないが野歩きでよく見かけるのも含まれている。言ってみれば普遍的な昆虫であり、ヤナギタデが自生するような場所にも多く生息する。
 同じ薬味系の野草にオランダガラシがあるが、不思議なことにこちらは昆虫類に食害されている姿を見たことが無い。人間の基準ながらヤナギタデよりえぐみが少なく食べやすいと思うが、帰化植物なので日本の昆虫達にはなじみがないためだろうか。こちらの辛味成分はシニグリン(sinigrin)という物質で、オランダガラシをはじめ、アブラナ科には概ね含まれる。ワサビの辛味成分も同じものだが、昆虫類にとってはポリゴディアールよりきついのかも知れない。

 一方、ポリゴディアールを含むヤナギタデは人間が食べた場合には血圧降下作用があるとされ、蜂や毒虫に刺された場合に葉を揉んで塗布することで薬になるという話もある。まさに水辺では最強の野菜、オランダガラシに次ぐ健康食材ではないか!かと言ってこの辛い草を毎日そこそこの量を食べ続けるのは苦行かも知れない。しかし私にとっては拷問としか思えない青汁を毎日飲んでいる方々もいるぐらいなので「慣れ」の問題だろう。
 ちなみに、私が見たヤナギタデのなかで最も安全に食べられそうなのは前項の画像にあるような沈水葉だ。意外なことにヤナギタデは一般河川でも沈水葉を形成するので水質次第、ということになるが、湧水河川のものであれば常時綺麗な水で洗浄されているようなもの、場所によっては水道水で洗うより清潔だろう。沈水葉でも味は気中のものと変わらない。除草剤が使用されない河川敷のものも安全そうだが、時折意味不明の除草を行っている場合があり(たぶんキャンプ場や花壇へのアクセス確保のため)全面的に信用するわけにはいかないようだ。

氾濫原型
■ワイルドバージョン

 前述したように氾濫原に自生するヤナギタデは水田刈取後の草体と比してはもちろん、一般湿地のものと比べても別種ではないかと思う程大型になり、茎や葉も立派になる。株によっては同所的に自生しているイヌタデ属の大型種オオイヌタデを凌駕するほどだ。現象面を評価する限りは水田・一般湿地と氾濫原の相違、簡単に言えば日照がキーワードになるだろう。しかし、である。同じヤナギタデの生理としてこれほど大型になれるのであれば稲の背丈をはるかに凌駕できるはずであり、水田では競合ではなく共生を選んでいることが腑に落ちない。純粋に植物同士の競合であれば稲はたぶんヤナギタデの敵ではない。

 水田で競合戦略をとっていないという事は、ヤナギタデは水田には除草という人間による介入がある、という事を分かっているからだろうか。サボテンなど電気信号を利用した実験では植物にも感情がある、と結論付けているものもあるが、人間の行為を理解してこれに対応した生存戦略を採用しているとはいくら何でも思えない。そこまで行くと自然科学の範疇を逸脱してしまうような気もする。


2011年10月 茨城県取手市 氾濫原で大型化したヤナギタデ(fig5)


 余計な話だが、有害な電磁波を吸収してくれる電磁波サボテンという話は一般的には否定されている場合が多い。この亜流の、音楽を聴かせると喜ぶサボテンなんてのもある。個人的には笑い話として聞いておきたいが、しかし完全否定するにしても根拠が足りない。その隙間を狙ったのか知る由もないが、いまだに電磁波サボテンはネットショップで販売されている。しかも結構な値段で。販売されているのは(有害な電磁波を吸収するとされているのは)セレウスという種類の柱サボテンで、電磁波サボテンと名乗る場合には1000〜2000円の値が付くが、実はダイソーでも売っている種類なので、どうしても信じたい方はダイソーで買った方が良いと思う。本当に電磁波を吸収するかどうかは別として、植物の鉢植えを楽しみ愛でることは悪いことではない。
 世の中にはこの手の話を本気で検証する人がいるもので、なんでも電磁波測定隊というサイトで測定器を使った検証を行っている。詳しくはリンク先サイトをご覧頂くとして、結果はもちろん皆さんの考えた通り。ただこの結果をもってしても完全否定できないのは「測定器の精度以下の電磁波を吸収している」と主張されれば反論が難しいためだ。仮にそれが本当であっても「それがどうした」というレベルの話であって、冷静な分別があれば購入することはないだろう。以上はまったく余計な話。

■オカルトか

 電磁波サボテンはさておき、水田のヤナギタデと氾濫原のヤナギタデの懸隔に付いてオカルト話を続ける。上記のように水田は人間の管理環境であって、稲による被覆や除草のリスクがあることをヤナギタデが察知しているのであればミラクル以上のオカルトだが、あながち否定できないのは植物の世界にはこの手の話がよくあるからだ。
 例えば「アリ散布植物」というジャンルがある。アリに種子を運ばせて同種同士の競合を回避し、かつ分布を拡大する植物のことで、身近にもスミレやカタクリ、ケマンの仲間などがある。ただ、当然のことだが何のメリットもなければアリも種子を運搬しない。しかしアリにとっては食物として極めて魅力的なエライオソーム(Elaiosome)という脂質が多い物質を分泌して種子表面に付着させることで誘引し運搬させている。これは極めて合理的かつ効果的な戦略だと思う。
 しかし、脳も記憶装置もない植物がどうやってアリの存在を知ったのか、どのようにアリを誘引する物質を知ったのか、根本的な所はまったく分からない。最も合理的かつ非合理的な解釈は、神がその植物を創造する際にアリを利用して分布を拡大する能力を与えた、というもの。その思考方法はたぶん他のほとんどの謎を解明できる。神が造物主であることを信じればそれでOK。しかし残念ながら私には神を信じる習慣がないので「なぜ」「どうして」は永久に残る。

 偶然、という結論に導くにはあまりにもシステムが精緻だ。仕組みを見ればこれは結果論ではなく、確実に狙ったものだと解釈せざるを得ない。さらに身近なもので、綺麗な花の話。植物が綺麗な花を咲かせるのは鉢植えにして大事にして貰いたいからでも花屋に並びたいからでもない。受粉のために昆虫を誘引するためだ(虫媒花)。しかしこれも考えてみると、植物が昆虫の存在を認識しないと虫媒花というシステムは成立しないはずなのだ。もっと言えば風媒花だって風の存在を知らなければ仕組みとして成立しない。それはどうやって?いつごろ?根本的な疑問が未解決である以上、オカルト話と分かっていても言下に否定はできないのだ。少なくても「水田型」のヤナギタデに関しては世代交代のために目立たず拙速に成熟する、という強い意志が感じられるのは私だけだろうか。相手は謎多き植物、アリの存在を認識するのであれば人間なんぞとっくの昔にご存知のはず。


■日照と栄養分

 本題復帰、氾濫原で大きくなるヤナギタデ、理由には日照(つまり競合戦略)や共存という概念とは別の次元のものがあると思う。その別の次元の理由とは氾濫原特有の植物の記事で度々触れている「土壌更新」であると考えていた。氾濫原は文字通り「氾濫」する。その状態が身近に見られるのが自分の地元を流れる小貝川注7)であり、本稿の氾濫原型ヤナギタデも同所で撮影したものである。
 小貝川は最低年に数回は氾濫原に冠水する。その度に大量の土砂が運ばれるが、この土砂は川底や上流の河川敷に堆積していたものと推測される。氾濫原表層は新たに性格が異なる土壌に更新されるが、ヤナギタデをはじめ自生する湿地植物にとっては表層だけでも十分な土壌の刷新である。これによって栄養分も更新されるので草体が十分に育つ、という寸法。ヤナギタデは氾濫原特有の植物ではないので上記の土壌更新は必須ではない。しかし結果だけを見れば氾濫原の土壌がヤナギタデの生育に最も適したものと考えられる。(必ずしも大きく育つのが最良とは思えないが)

 同所的に見られるイヌタデ属、ヒメタデやホソバイヌタデなどは草体の大きさが目視で分かるほど他の湿地に自生するものとの相違はないし、ミゾソバやヤノネグサも然りである。ここから導き出される結論は、同じイヌタデ属であってもヤナギタデは生育環境により草体の大きさにマージンがあるということだろう。いわばヤナギタデの「ワイルドバージョン」は当地では小貝川の氾濫原のみで見ることができる。そして彼らもアシやその他大型の湿地植物と同居しており日照確保という点では競合している。もちろんその競合には負けていないので大型化しているわけだ。一方でほど近い利根川河川敷のヤナギタデは標準的な大きさのものしか見られない。利根川は護岸ばりばりで氾濫原というものは基本的にはない。台風の際など年に1〜2回は冠水するが、この河川の性格の違いによるものだろう。

 以上を勘案すれば、栄養分の補給に於いてはより合理的な施肥が成され、日照確保で競合が発生する点でも水田と氾濫原は条件が一致しているはずだが、生き残り戦略は異なっている。そこに何らかの未知の要因があるはずだが正直な所見当も付かない。水田にはごついヤナギタデは存在しないのだ。結果的にヤナギタデのワイルドバージョンは「氾濫原型」と称するしかないのである。

沈水型


2015年6月 東京都東久留米市 落合川で見られたヤナギタデ沈水葉群落(fig6)

■沈水型の謎

 ヤナギタデはなぜ沈水葉となるのだろうか。これは前項のオカルト話と異なり、極めて論理的な疑問だ。すなわち一年草の僅かな生育期間に水中で沈水葉を形成している時間的リソース的余裕はないはず。特にこのような環境、水深20〜30cm程度であればさっさと水面上に出て開花・結実すればよい話。なにせヤナギタデは水田型のように短時間で成長する技術、氾濫原型で見られるようにメートル単位にまで成長する能力を持っている。
 東京都東久留米市の落合川は沈水型のヤナギタデの格好の観察場所で、何度か見に行っているが河川水流中にあるヤナギタデは等しく沈水葉を形成し、水面に到達してから気中葉に切り替えている。これは素人考えにもエネルギーの無駄であるように思われる。発芽後しばらくは光合成エネルギーを多く必要とするためか、と考えたが(気孔のある気中葉は水中ではガス交換ができない)そのわりには沈水葉の色が薄く、場所によっては赤い葉となるなど明らかに葉緑素を欠くものが多く見られる。状況から察するに光合成エネルギーのためがメインではないようだ。すると何の理由が?というのが「沈水型の謎」だ。

 まったくの推測に過ぎないが、この謎を解く鍵は水田にあった。私もアクアリウムで楽しんだシソクサとミズネコノオの存在である。両種とも一年草であるが、アクアリウムでは沈水葉を形成する。水田での生活を考えればまったく無駄な能力であると思うが、能力を持つことはすなわち遺伝子を持つことに他ならない。どちらも東南アジアの熱帯・亜熱帯地域にも分布し現地では多年草である。つまり稲作の伝来とともに日本にやってきたとされる史前帰化種の彼らは出身地で身に付けた能力を失っていない、ということである。逆に言えばこのことが史前帰化種である「論理的な」証拠となっているのではないか。ヤナギタデもひょっとするとこのパターンの植物ではないか、というのが推論である。

■苦労の跡

 前述のように一度沈水葉として水中に適応し、水面で気中葉に切り替えるには結構な苦労をしている、と考えている。何のエビデンスもない素人考えだが、右画像のような株を多数見ての印象である。
 水草を水槽で育成した経験がある方ならご理解頂けると思うが、水草(沈水葉)はかなり特殊だ。特殊な点は葉の構造にあって、水流の抵抗を受けない柔軟な構造と、気中とは異なるガス交換をするための構造、2点が気中葉と大きく異なる。
 ヤナギタデは水中で発芽する際に、環境が水中であることを検知し、気中葉とは異なる構造の葉を展開しなければならない。そして成長し水面が近づくことを検知し、気中への準備を行う。(画像で赤い葉が見えるあたり)気中葉は言うまでもなく沈水葉とは全く構造が異なり、第一に水分の蒸散を防ぐためにクチクラを纏わなければならない。上記ガス交換の方式も異なるために気孔の形成も必要だ。右画像はこの一連のプロセスが結果としてすべて写っている。


2006年6月 東京都東久留米市 水中で発芽し、沈水葉から気中葉へ変化したヤナギタデ(fig7)


 素人考えなのはここからだが、単純に土壌で発芽し気中で生育する株に比べて水中で発芽、成長する株の消費エネルギーははるかに大きなものであると思う。水深は僅か15〜20cmであって、たとえ水中で発芽したにしてもそのまま気中葉で成長できないものだろうか?ヤナギタデの成長スピードを考えればすぐに水面に到達すると思うのだが?あえて理由を探すとすれば、発芽後に僅かなものであっても、どうしても光合成エネルギーが必要であり水中におけるガス交換のために沈水葉の形成が不可欠なのではないか、ということ。
 ヤナギタデやサクラタデなど湿地のイヌタデ属はその置かれた環境の特性上、結実した種子が一定部分水中に没することは想定内だろう。この場合、最終的には気中に出るが発生初期に必要なエネルギーを得るために沈水葉を形成するという考え方に妥当性があると思っている。ただし、似たような環境で生育するホソバイヌタデやヒメタデにはこのような形質が見られず、ヤナギタデやサクラタデなど一部のイヌタデ属に見られるだけであって、これが「種」としての違いなのだろうか?

 異説はあるし反証も出てきているが「水生植物は一度海から上陸し、再度淡水中に入った」という説がある。これが正しいとすればヤナギタデやサクラタデは他のイヌタデ属よりも進んでいることになるし、逆にこの反対の説であればイヌタデやサデクサなどより進化が遅れていることになる。雑草群として河原などで他種イヌタデ属と同所的に生えていると何も考えずにスルーしてしまうが、こうした苦労の跡、生き残るための姿勢のようなものが感じられる姿を見ると同じイヌタデ属にも色々なライフスタイルがあるという、当然の事実を改めて感じさせられる。

古典と蓼
■万葉植物

 本稿の「締め」はまったくのオマケだが、愛読書である大滝末男「水草の観察と研究」においても巻末、相当のページ数を費やして「水と人生」が書かれている。それに影響されたわけだが、単に植物の見分け方や自生地などをご紹介するだけでは一介の植物マニアの域を出ない。(それでも構わないが)ここは文化系の植物好き人間としてヤナギタデの文化的側面に触れておこうと思ったのだ。

 ヤナギタデが食用の植物としていかに古くから親しまれて来たか、という歴史的な「証拠」があって、かの万葉集にヤナギタデを題材にした歌が出てくる。万葉集は8世紀後半(奈良時代)に成立したものなので、少なくてもヤナギタデは食用として1300年近い歴史があるということになる。またヤナギタデの自生を考えれば、支配階級の高級食材ではなく庶民が食べていた野草であることは容易に想像が付く。食すなわち文化であって言葉としても「食文化」という表現がある。そういう目で見ると単なる雑草でも太古から人間とともに歳月を重ねてきた重みのようなものが感じられよう、というもの。


2011年10月 茨城県取手市 小貝川氾濫原で生育する「氾濫原型」(fig8)


 さて、その万葉集の巻11に

わが宿の穂蓼古幹摘み生し実になるまでに君をし待たむ(万葉集巻11−2759 作者未詳)

という歌があり、「穂蓼」はヤナギタデと考えられている。新葉は食用、実は香味料、根は漢方薬に使用できる有用植物であったために庭に(わが宿)植栽されていたらしい。水生植物ではあるが日蔭で多少の湿度があれば陸上でも育つのでこうした栽培もされていたのだろう。さらに、作者未詳であるところが一般庶民に近いところにあった植物であることを示している。
 もう一つ、こういう歌もある。これは直接「蓼」を歌ったものではなく相当おちゃらけた歌だが「蓼」はヤナギタデのことである。というのは「刈る」という行為がイヌタデやその他タデであれば利用価値のない植物であって、行為が単なる除草作業になってしまうからである。

童ども草はな刈りそ八穂蓼を穂積が朝臣が腋草を刈れ(万葉集巻16−3842 平群朝臣が嗤ふ歌)

■中世〜江戸期

 時代が下って鎌倉時代にも藤原信実という人が「新撰六帖」にヤナギタデと思われる植物を歌っている。くどいようだが「蓼」はヤナギタデであると個人的に信じている。それは次に出てくる松尾芭蕉の句に引っ張られているのかも知れないが、芭蕉は当時としては革新的な作風であるが、用語の使い方などは古典の素養が十分にあった俳人であったからだ。その芭蕉が「穂蓼に唐辛子」と薬味を並べている注8)。流れからして食えない雑草と薬味は並べないだろう。

見るままに 駒もすさめず つむ人もなきふるさとの蓼に花咲く(新撰六帖 藤原信実)

草の戸を 知れや穂蓼に 唐辛子(松尾芭蕉)

■近代

 近代になってからは斎藤茂吉注9)がヤナギタデを題材とした短歌を詠んでいる。斎藤茂吉はいわゆるアララギ派の歌人で、アララギ派は万葉調に特徴があり、万葉集がテキストとなっていた可能性が強い。なぜ「草屋」がそんな事を知っているのか、というとメインフィールドの一つである成東・東金食虫植物群落の近くに伊藤左千夫注10)記念館があって、休憩やら何やらで立ち寄る機会が多く、読むともなしに様々なパネルや冊子を読んでいたからである。(伊藤左千夫はアララギ派の歌人)
 万葉集テキストとなれば「蓼」はヤナギタデであり、夏の終わりに咲く(と言っても多くのイヌタデ属植物の開花は同時期であるが)ことも間違いない。本稿のヤナギタデ開花画像は10月撮影のものだが、旧暦では8月下旬〜9月上旬にあたり、たしかに「夏の終わり」。写実性があっていい歌だと思うが、近年はいつ夏が終わるのか分からないほど狂った気候が常態化してしまった。こういう歌を味わうと古き良き時代、という言葉が脳裏に浮かぶ。

わが歩む 小野の上にて 蓼の花咲くべくなりぬ 夏終わりけり(斎藤茂吉)

 こうして古来から親しまれてきたヤナギタデだが、ではどうやって食したのか、というと分からない。現代では一般的にヤナギタデを摺りおろして酢で伸ばした「タデ酢」にするようだが、万葉の時代からこんな手間をかけていたのだろうか。そのまま食っても辛味はあるので問題ないが、流通が発達していなかった時代に「刺身のツマ」は想像しにくい。奈良にしても京都にしても海から魚を運んで刺身にできるほどの距離ではない。松尾芭蕉が「蓼と唐辛子」を何の薬味として使ったのか、俳句そのものよりもそちらに強い興味をひかれる。

脚注

(*1) 基盤整備、乾田化によって水田の湛水/落水がワンアクションで出来るようになり、特に夏季の落水(中干)が簡易に出来るため、稲の根に対する酸素供給量をコントロールすることで収量の増加に繋がっている。減反政策や就労人口の減少による耕作放棄によって水田の作付面積は年々減少して来たが、平行して米の生産量は減少せず、むしろ増加傾向にあるのはこうしたシステムのブラッシュアップと除草剤や殺虫剤の技術的進展に拠る所が大きい。水田面積を維持したままでこうした技術的進展が成されていたら行き場のない膨大な米の在庫が溢れ、価格は大暴落していたはず。このことを考慮すれば減反政策も一定の意味があったと言えるだろう。

(*2) 水田に自生する(していた)沈水植物はミズオオバコ、スブタ(広義)、トリゲモ(広義)、シャジクモ類、タヌキモ(広義)などであるが、これらはもとより沈水植物であるので生育期間中に水が抜かれる現代の水田(乾田)では自生できない。それでも何とか短期間で次世代に繋ぐ種子(卵胞子)を残しているのはシャジクモ類ぐらいだ。上記した植物群はシャジクモ類も含めて減少傾向が甚だしく、大半が環境省レッドデータに入っている。しかしだからどうする、という対策が取れないのは水田が米を作る場所だからである。絶滅危惧種を守るために湿田を維持するのは本末転倒で、生産効率のみならず就労人口の減少や高齢化、ランニングコストの増加など誰もカバーできないリスクが多すぎるのが現状だ。

(*3) あくまで感覚的な話。多年草であれば開花・結実の条件(環境)が揃うのを待っても株は残存するので沈水葉でも矮小型でも種の存続という観点で生き残るのが前提。一方、一年草は暦年内に世代交代を行わなければならず、沈水化するなどの回り道は無駄なエネルギーの消費になる。それでも世代交代するという強い生命力の発現、と見ることも出来るが、水温の安定した湧水河川などでは多年草化している姿も見られ、そもそも一年草という見方に修正が必要かも知れない。そこはスペックに現れない植物の不思議な生命力と言うべきか。

(*4) 植物の種の学名の付与ルール上、種名は属名+種小名で構成される。(二名法)この表現ルールは分類学の父であるリンネによって体系化された。リンネの名前は三名法においてL.やLinn.という表記で残っている。ヤナギタデは二名法でPersicaria hydropiperであるが、属名がPersicaria(イヌタデ属)、種小名がhydropiperである。学名は世界共通のものなので、学名で検索すればネット上の情報がワールドワイドに見られる。翻訳ソフトのポンコツぶりが解消されればより有益な多くの情報が入手できるのに、と思うのは私だけではないはず。

(*5) 現代の除草剤は選択性を持つなど最新のテクノロジーによって作られているはずだが、この事がかえって影響を分かりにくくしている部分もある。基本的には除草剤が使用される農地で生産されるのが食料である以上、農産物に対する除草剤の安全性は担保されているはずだが、雑草範疇の植物への影響、さらには雑草を口にする人間にまで安全性を保証しているわけではない点に注意が必要。水田雑草は無条件に口にすべきではないし、何があっても自己責任になってしまう。

(*6) 生物の分類上は同種であるが、別名がある場合の表現方法。なぜこんな事が起こるのか原因は大別すると2つあって、1つは同タイプ異名(homotypic synonym)。同じ生物に対して再命名することである。これは(1)既に記載されているのを知らずに記載した(2)記載されていた種が別種のホモニム(異物同名)であったので再命名し記載した(3)当初は種内の変異、亜種や変種として記載したが、後の精査により独立種に昇格、といった事情が考えられる。もう1つは異タイプ異名(heterotypic synonym)で、元々は異なる生物標本に対して命名された名前が、後に同種と判断されることにより生じるシノニムである。

(*7) 栃木県那須烏山市曲畑の小貝ヶ池を源流とし、茨城県取手市と北相馬郡利根町の境で利根川に合流する111.8kmの一級河川。過去度々氾濫し水害をもたらしてきた歴史があるが、特に1986年(昭和61年)の台風10号による豪雨による堤防決壊で大規模な洪水被害が出ている。さほどの大きな河川ではないのに度々氾濫するのは流域がほぼ平野で貯水機能がある山林が少ないためと推測される。洪水対策として貯水機能の大きな堰が3つ作られており、上流から福岡堰(茨城県つくばみらい市)、岡堰(茨城県取手市)、豊田堰(茨城県取手市、竜ケ崎市)が整備されている。これら近距離に存在する小貝川の3つの堰は同時に関東三大堰となっている。

(*8) この句の現代語訳は「薬味にタデとトウガラシを使っていますからぜひおいで下さい」であり、「穂蓼」はほぼ確実にヤナギタデである。時代とともに意味が変容する名詞もないではないが、本文に書いた通り芭蕉は古典に見識があり万葉集に現れた穂蓼という言葉をあえて変質させて使用するとは思えない。またヤナギタデ以外のタデで食用になるのはミゾソバぐらいしか知らないが、薬味として並べている句なのでミゾソバは排除できると思う。何だかんだ言ってその後の斎藤茂吉にいたるまでのフォロワーは万葉集が手本となっていることは間違いなく、その事もあって「蓼」はヤナギタデなのである。

(*9) 1882-1953 歌人かつアララギ派の中心人物。精神科医。子供の頃に愛読した「どくとるマンボウ」北杜夫の父親ということで名前を知った。直接関係のない話だが、斎藤茂吉の息子は長男も次男(北杜夫)も精神科医になっている。現代は特にそうだが、医者になるための費用は医者ぐらいしか払えない、という現実があってほの世襲制のような職業になっている。知っている医者の先生方は概ね代々医者の家系で、正直な話「この人には診てもらいたくない」人も多く、医者になるには知力よりも財力のウェイトの方が大きいのだな、と思った。どこかの国の将軍様の話のようだ。

(*10) 1864-1913 歌人・小説家。斎藤茂吉のアララギ派の師匠である。出身地が現在の千葉県山武市で成東・東金食虫植物群落の近所である。彼の有名な小説「野菊の墓」から、成東駅から伊藤左千夫記念館(山武市歴史民俗資料館併設)へ至る道を「野菊の道」と呼んでいるが、何度か歩いているが野菊はなかった。犬を散歩させている人が犬に粗相させたブツがそのまま落ちていたり、これでは「野糞の道」じゃねえか、と思った。
 話はこれで終わらず、同じ千葉県の松戸市、矢切の渡し近くにも「野菊のこみち」というのがあって、これは「野菊の墓」の舞台となったことに由来するらしい。山武市は面白くないだろうな、と思うがこちらも野菊はほぼ見られず、特産の矢切ネギの畑が延々と続いているだけであった。


【Photo Data】

・RICOH CX5 *2011.10.20(fig1,fig5,fig8) 茨城県取手市
・SONY DSC-WX300 *2014.10.20(fig2,fig4) 茨城県取手市  *2015.6.17(fig3,fig6) 東京都東久留米市
・Canon EOS30D + EF28-135 F3.5-5.6 IS USM *2006.6.4(fig7) 東京都東久留米市


Weed Persicaria hydropiper (L.) Spach
日本の水生植物 水草雑記帳 Weed
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