日本の水生植物 水草雑記帳 Weed
オモダカ
公開:2017-09-23
改訂:2018-07-14
(C)半夏堂
Weed Sagittaria trifolia Linn.

オモダカ科オモダカ属 オモダカ 学名 Sagittaria trifolia Linn.
被子植物APGW分類 : 同分類

撮影 2009年9月 茨城県取手市 耕作水田 オモダカの雄花
水田雑草の逆襲

スーパー進化形

 いささか旧聞に属するが2009年9月7日に放映されたNHK総合「クローズアップ現代 スーパー雑草大発生」で、スーパー雑草の繁茂による世界的な食糧危機が到来する可能性が特集されていた。いかにNHKとは言えそこはTV番組、内容にやや誇張と雑駁な総括があるとは言え、ストーリー自体には無理はなく、長いスパンで見ればこうした事態もおこり得ると思った。

 この番組から8年(この稿は2017年に書いている)、NHKが予見した事態は別の側面として静かに進行している。それは生産物である米価と密接な関係があるが、一発処理剤であるSU系除草剤(後述)に耐性を持った水田雑草が次々と出現(*1)したため、「一発」剤は有名無実となり、その後初期剤や中期剤を散布し、残った雑草は刈り取るという費用も手間もかかる事態が常態化してしまったのである。
 米価が低迷し稲作が利益を生みにくい状況下、費用対効果の観点から原価を抑制する必要があり除草剤や殺虫剤のコストをかけない農家が出てきたためか、従来見られなかった水田の姿が続出している。(下2点画像参照)
 水田がこの状態では以前と比べて生産能力が低下することは明らかで、その意味では将来的に「食糧危機が到来する」ことは十分に考えられる。しかし不思議なことに我が国の低い食料自給率(*2)のなか、コメだけは常に100%近くを維持しているのだ。休耕の増加や就労人口の高齢化というマイナス要因があるにも関わらず、年間需要が毎年約8万トンずつ右肩下がりに減少している「コメ離れ」がこのマイナスを吸収してしまっているのだろう。(データは朝日新聞デジタルによる)
 このことは、現象からは何も感じられない、という危機が最も危険であるという好例だと思う。生産技術の進展や需要の減少によって高い自給率が達成されているのは数字のマジックであって、現在でも儲からない職業の上位である稲作がコストか高齢化か、はたまたスーパー雑草か、何らかの要因で臨界点を越えた時、一挙に自給率が落ちてしまうことは自明で、まさに「世界的な食糧危機」だ。不足分を買うにしても売る方も余剰を売っているわけで、需要と供給の原則により価格高騰や需要を賄えない供給しかしないだろう。まさに食糧危機である。
 これを「危機」と考えない方々は「パンが無ければケーキを食べれば良い」と仰った支配階級の方と同じレベルである。もう一つの主食である小麦はすでに世界的に戦略物質であり先物取引の対象なのだ。足りないので買う、という単純な図式の穀物ではない。

 前置きが長くなったが、スーパー雑草化したオモダカはSU剤抵抗性のみならず、草体の大型化や繁殖スピードの向上などが見られ従来に比べて進化しているという。比例して養分収奪量も多くなり、ある試算ではスーパーオモダカの侵入した水田では20〜40%の収穫量減となる。恐るべき数字だ。これが被害の甚だしい宮城県では全水田の1/3以上に広がっている。
 オモダカがスーパー化した原因は遺伝子組み換え農作物にあるという。「除草剤を散布した際に影響しない」「早く育つ」「大きく育つ」という増産につながるニーズが遺伝子に組み込まれ、これらの遺伝子を持った花粉を受粉して能力を取り込んだようだ。オモダカは園芸植物のような草体を見ているとこんな器用な真似ができるようには思えないが、内に秘めた能力は人間の想像が及ばないほど高かった、ということだろう。増産というニーズは収穫減という真逆の形で帰ってきた。自然をコントロールしようという人間の思い上がり、と高い所からモノ申すつもりはないが、アメリカインディアンの諺にはこんなのがある。

全ての木を切り倒し、全ての川を汚し、全ての魚を取り尽くしてから、やっとあなたは気が付くだろう。お金は食べられないということに


(P)2011年7月 茨城県取手市 耕作水田 花序(下部に雌花)


【以前は見られなかった水田の姿】
2017年8月 茨城県取手市 耕作水田
ケイヌビエの跳梁
2016年8月 千葉県佐倉市 耕作水田
ナガエツルノゲイトウの侵入

水田雑草の「水田化」

意外な育成難種

 これだけ強力な「生き延びる力」を持った雑草ながら、育成してみると意外に難しい。むしろアギナシやトウゴクヘラオモダカなどの絶滅危惧種の方が簡単なほどである。
 あるとき水生植物を育成しているタフブネに勝手に生えてきたが(水田の土に種子が混入?)2〜3シーズンで消滅してしまった。除草剤をまいたり水を抜いたりする水田より条件ははるかに良いはずだがなぜだろう、と長年頭の片隅に疑問となって残っていた。

 最近本屋で立ち読みしている時に大きなヒントを見つけ、この疑問が氷解した。(立ち読みで本は購入していないので出典は表記しない)
 そのヒントとは、オモダカは水田を中干しした際に酸素を取り込んで芋を太らせる、というもの。育成環境のタフブネやプランターでは米を作っているわけでもなく、他の水生植物もあるので中干しは行わない。しかしこれはオモダカ側から見ると、翌年のエネルギーを蓄えるタイミングが失われているわけだ。この意味ではオモダカにとっては育成環境の方が水田よりもタフな環境であると言える。

 と書くといかにも「サラリ」と読み流されてしまいそうだが、これって凄いことだと思わないだろうか。最近のアホな農業政策や塵芥の如く伝統的な食習慣を捨て去るペラッペラな「文化」はともかく、米の増産は長年の課題であって、中干しによる単位面積あたりの収穫量アップはその成果、人間の叡智なのである。何が凄いって、オモダカはその「叡智」を利用して生存しているのだ。
 水田の環境に特化して生存してきた水田雑草は数多いが、それらは少なくても2000年以上の時間をかけている。一方、中干しは基盤整備やそれに伴う乾田化に伴って普及した技術であって高々数10年の時間しか経過していない。植物の環境適応という観点から言えばほぼ一瞬だろう。遺伝子組み換えの「遺伝子取り込み」はある意味イベントであって突発的な能力向上であるが、こちらは正統な環境適応だ。これをこの時間で対応してしまうとは、ある意味スーパー雑草化よりも凄みを感じる。


(P)2009年9月 茨城県取手市 耕作水田


オモダカ文化史

家紋文化

 昔からあまり人口移動がなく、現在でも「誰もが親戚」のような集落が茨城県の片田舎に存在する。(詳しく書くと叱られそうなので詳細は伏せる)たぶん100件ぐらいの集落だが、姓は2つか3つ、「〇〇さん」だけでは数10件あって区別が付かない。これはたぶん数百年前から同じ状況なのだろう。宅配便や郵便配達は困るだろうなぁ、と思っていたがそこは良くしたもので、家の門の道路に面した側に表示板があり、そこには屋号とともに家紋が表示されていた。

 少し脱線するが「屋号」というモノは興味深く、身分制度上「氏姓」を持てなかった江戸時代の庶民階級が個人を特定するために使うになったらしいが、山を背負った家の「山下屋」、川と水田に挟まれた「川田屋」など分かりやすいものから「鍛冶屋」「油屋」など職業を示すもの、「井筒屋」「旭屋」など由来がよく分からないものまで多種多様で、庶民の文化史として立派な研究材料になるだろう。第二第三の柳田国男(*3)を目指す方には格好のネタだが、自分は愛読者としての立場を超えるつもりはないのでこの辺で。

 さて書きたかったのは屋号の話ではなく、屋号とともに表示された家紋である。こうした地域を通過しているとオモダカの図案を取り入れた家紋が多いのだ。「してそのココロは?」と聞きたい所だが家紋を決めたご先祖様は黙して語るはずもなく理由は分からない。私のように「水生植物が好きだから」という理由は100%ないのは確実。かく言う我が家の家紋(丸にかたばみ)も由来や意味はまったく分からない。現在自宅の草刈で一定部分を占めるのはたしかにカタバミだが、決めたのは私ではなく何百年か前のご先祖様である上に、今やカタバミはシンボルではなく敵役だ。
 オモダカはその属名Sagittariaが「矢尻型の」という意味なので弓矢を使用する武士階級が図案化した事情は納得できる。調べてみれば戦国武将の福島正則や徳川家臣の水野家などが使っている。オモダカはスーパー雑草化しなくても強い雑草であることは間違いなく、その強さを家運にという期待も込められたと推測できる。(いくつかある図案はこちらで)


(P)2011年7月 千葉県我孫子市 耕作水田 鏃型(Sagittaria)の葉


食文化

 一般にオモダカ科で食用とされるのはクワイで、埼玉県の一部地域では大生産地域(*4)となっていることを見ても分かるように、現代でもそれなりに需要はあるようだ。クワイは正体が分かっているようで由来がはっきりせず、平安時代初期に中国から伝来したという説、16世紀に朝鮮半島より伝わったという説などがあるが、改良自体は中国で行われたようだ。

 改良品は読んで字のごとく「改良」なので元の品種より食味も食感も上のはずだが、原種も多少は劣っても食べられないことはないだろう。「だろう」というか最近休耕田のものを少量試したことがあって、茹でて食べた感想は苦み以外に味のないジャガイモ、ってところだった。
 味よりも、クワイに比して根茎がかなり小さく、皮をむくのが面倒という印象のみが残った。結論としては食生活も修行の一部と考える方、粗食を好む方以外にはお勧めできない、というもの。ただし味付け次第では何とかなるのかも知れない。(この味とどの調味料の相性が良いのか見当も付かないが)
 ただ毒ではなくそれなりに腹も膨らむので、凶作の際にヒエの実を集めたりミゾソバの実をすり潰したりするよりは楽に食べられる。と思ってネットやら図書館(地元なのでそんなに蔵書はないが)やら調べたが記録がなかった。救荒植物として名前が出てくるのは水田周りではタネツケバナ、イタドリ、ナズナ、アカザ、タビラコ、スベリヒユ、ジュズダマ、マコモ、カズノコグサなどで、ヒエやミゾソバも出て来なかった。まっ、ヒエは今では雑草、せいぜい小鳥の餌の原料だが五穀に入れる場合もあるので準主食か。そんなわけで歴史に残らない事象は興味を持っても調べるのが困難だが、文化史と大きく出たわりには簡単に行き詰ってしまった。しかし、葛の根からデンプンを抽出する(*5)優れた食文化を持つ日本人がオモダカに注目しなかったわけはない。あまりに当然のこととして忘却されてしまったのだろうか。

 と、ここで思い出したのが自分でも水生植物図譜の解説に書いている「オモダカ北方型植物説」で、「本来は北方型の種であり、我が国では高地の湧水付近などに自生していたらしいが、農耕と農薬の進展により様々な形質を獲得して現在では九州の平野部にも見られる」ということで、農業技術の近世の進展以前は自生地が限られていたのではないだろうか。ちょっとした事で変貌する能力(スーパー雑草化)を見ていると、山から降りてくる程度の事は簡単にこなしてしまうようにも思われた。
 里山に無ければ住人は食べられず、食べなければ記録にも残っていないのは道理、この推測を正とすれば家紋由来の説の一つ「強さを家運に」は、中世までの米本位経済社会では有り得ないことになる。一方、山間部の水源も何か所も見ているが、自分ではオモダカを見つけたことがない。自分の目で見ておらず、だからこそ水生植物図譜の記述も「らしい」である点、ご了承願いたい。


(P)2016年9月 埼玉県幸手市 農業水路 クワイ


「オモダカ」ではないオモダカ

面高

 オモダカは漢字表記では「面高(*6)」という。現代ではあまり使わないが昔「鼻が高い顔」というニュアンスで使われたらしい。より詳しく書けば、葉の形状が人面のように見え、葉脈が高く隆起した部分を鼻に見立てた、擬人化した名称である。水田雑草には珍しい擬人化由来の和名である。
 オモダカは当然だが、近似種のアギナシ、栽培種クワイは葉の形状が同じで「オモダカ」を名乗る資格がありそうだが、和名としては名乗っていない。逆にヘラオモダカ、サジオモダカなどはこの流れで考えると「オモダカ(面高)」ではない。しかし堂々と名乗ってしまっている。これらはオモダカが和名として確立して以降、植物分類的な観点から付与されたような雰囲気もある。
 個人的にはこういう便宜的な和名と推測されるものは好きではない。そこはかとなく雰囲気や由来が感じられる和名が好きだ・・・すでに付与されている和名に今更いちゃもん付けても仕方がないわけだが、加齢とともに(以下省略)
 それはともかく、ヘラオモダカやサジオモダカは雰囲気や由来が感じられる和名と分類上、便宜上の和名のハイブリットである。他にも葎(ムグラ、草むら)を形成しないフタバムグラやホソバノヨツバムグラがあるが、傑作とも思われる「オモダカ」「ムグラ」を雰囲気の感じられない植物に組み合わせて使用してしまう精神には正直「発想の貧困」ってやつを感じる。まだ昆虫の和名に多い「○○モドキ」の方が精神の闊達さを感じるのは私だけだろうか。
 ヘラオモダカの方は更に別の要素が付け加えられる。(東日本で発見された=トウゴク)+(葉の形状=ヘラ)+(擬人化=オモダカ)でトウゴクヘラオモダカ、さらにピンポイント地形のアズミノヘラオモダカ(*7)という種もあり、計算式(笑)を分解すると、出来の良い趣のある平屋に増築改築を重ねついには醜悪な建造物になってしまった感がある。オモダカと遺伝的に近い植物群なのは分かるが、同属にはアギナシやウリカワなど秀逸な和名もあり、和名の「出来」の差異を感じる。



 オモダカは当地、茨城県南部では幸いなことにスーパー雑草化はしていないようだ。発生量や除草効果、草体の大きさ、成長スピードなどは以前のままのように見える。これが強力凶悪に変貌した時、もろもろの要因で急速に耕作放棄が進む水田地帯は耐えられるのだろうか。稲に混じり白い可憐な花を咲かせていると思わず足を止めてしまう「雑草」。葉も花も鑑賞できる草が禍々しいモンスターに変わらないことを祈るばかりだ。
 こうしてオモダカにまつわる様々な事象を書いていると、この植物はまだ発現していない形質、特に耐環境性能をさらに隠し持っているような印象を受ける。どこにでもある普遍的な植物だが、目視できるものが全てではなく、最も可能性を秘めた水生植物の一つであると思われる。


(P)2014年5月 茨城県つくば市 水路 サジオモダカ


脚注

(*1) 近年問題となっているSU抵抗性雑草にはイヌホタルイ、コナギ、アゼナ(アメリカアゼナ、タケトアゼナを含む)、ミズアオイ、ヘラオモダカ、ウリカワ、ミゾハコベ、本種オモダカなどがある。見た目では抵抗性を持っているかどうか分からないが、SU剤が効くかどうか、という判断基準はある。SU剤抵抗性雑草の分布に付いては、疑わしい雑草の存在を管轄する農業試験場に通知し検査するというプロセスを経る必要があるため、公開されているデータは正確なものではないと考えられる。

(*2) 農林水産省ホームページを参照。

(*3) 1875-1962 民俗学者。世に知られる代表作に「遠野物語」がある。茨城県北相馬郡利根町には少年時代の3年間居住したが、ここで生まれたわけでもなく著作を行ったわけでもないのに町のWebサイトでは「第二の故郷」と謳い、柳田國男記念公苑という立派な施設もある。他に観光資源もない田舎の町なので大目に見て欲しい。

(*4) 埼玉県内では越谷市が最大の産地。出荷量は埼玉県が日本一とされるが、データによっては広島県が一位になっており、主要野菜ではないマイナー農産物の統計に、やや信憑性が欠ける部分が感じられる。

(*5) 葛餅、葛根湯などの原料だが、一般にどんな植物かという認識は薄い。実態は野原や立木を覆い尽くすわりと凶悪な奴で、アメリカに定着し悲惨な状態となっているらしい。世界の侵略的外来種ワースト100にも選定されている。花はきれいだが根はごつく、見かけでは食用になりそうもない。そのままでは食べられそうもなく、デンプンを抽出して和菓子の原料に、と思い付いた人は偉いと思う。

(*6) 家紋の図案はなぜか「沢瀉」と表記されており「面高」ではない。この沢瀉という表記がオモダカ寒冷地型植物の弱い根拠になると思う。沢瀉は難読漢字、と言うよりむしろ当て字だが、分解してみると「沢」は渓流的なイメージがあり、すなわち標高が高い様を表現、「瀉」は「流れそそぐ」「からだの外に流し出す」という2様の意味があるが、個人的にはオモダカに当てられたのは後者であると思う。オモダカは漢方処方で用いられて来た歴史があり、沢瀉湯(たくしゃとう)という名前で知られているからだ。すなわち沢瀉は「渓流にある薬草でデトックス効果がある」という意味に取れる。

(*7) 長野県安曇野地方に分布するヘラオモダカの変種。花茎が葉より低く、花序の第1分枝が3〜5。草体も20cm前後と小さい。


Photo : Canon PowerShotG10・EOS KissX7+EF-S24mmF2.8、EF-S60mmF2.8Macro
     Nikon CoolPixP330 OLYMPUS STYLUS SH-3 RICOH CX5

Weed Sagittaria trifolia Linn.
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