日本の水生植物 | 水草雑記帳 Weed |
ヌマトラノオ |
(C)半夏堂 |
Weed Lysimachia fortunei Maxim. |
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被子植物APGW分類 : ヤブコウジ科 Myrsinaceae オカトラノオ属 Lysimachia 撮影 2014年7月 茨城県取手市 小貝川氾濫原 |
転科 |
ヤブコウジ科 従来、伝統的な植物分類(*1)では、本種ヌマトラノオが属するオカトラノオ属はサクラソウ科(Primulaceae)に属していた。サクラソウ科には科名植物サクラソウをはじめ、園芸改良されたものやクリンソウなど花を愛でる植物が多いが、オカトラノオ属はチト雰囲気が違うな、と長年思っていた。草体の構造や葉の付き方も異なるが、そこはそれ別属なのだから、と納得するものもあった。 APG植物分類が主流となり、分類がゲノム解析によって系統的に進むことでオカトラノオ属はヤブコウジ科(Myrsinaceae)に転科している。ヤブコウジ科というのはほぼ常緑性木本で、庭に植栽されるマンリョウ(赤い実が付く小灌木)、ヤブコウジ(十両)などが属する科であり、草本のオカトラノオ属が転科したのは意外だった。 常緑性の赤い実を付ける木とヌマトラノオの仲間は、少なくても見た目上はまったく異なる植物群に思われる。とは言え、ゲノム解析を行い、遺伝的に同じグループであると判断されたわけであり、素人が見た目で可否を云々する必要はない。 ちなみにAPG植物分類体系の第2版(*2)ではオカトラノオ属とともにサクラソウ科からルリハコベ属(Anagallis)やカガリビバナ属(Cyclamen)、ウミミドリ属(Glaux)などもヤブコウジ科に転科している。要するに従来サクラソウ科に分類されていた植物の過半は、サクラソウ属と相当の遺伝的距離があった、というわけだ。 価値観 話は一度ヌマトラノオから離れるが、ヤブコウジ科の低木のネーミングが秀逸で興味深い。上記「十両」は「ジュウリョウ」というヤブコウジ科の植物だが、調べてみるとわりとポピュラーなセンリョウ(千両)、マンリョウ(万両)以外にも百両も一両もある。ただ残念ながら一両(イチリョウ)のみはアカネ科だが、それぞれ赤い実が付く量を金額換算している。赤い実は食べられるわけでもなく、さほど珍しいものでもないので何故金額換算された和名が付与されたのか不明だが、発想がユニークだ。 金額換算和名は一両(イチリョウ)のみ他科であるが、ヌマトラノオの「トラノオ」を名乗る植物は多岐に渡る。それぞれの植物の和名がいつ頃成立したのか(記載ではなく民間レベルで)知る由もないが、そもそも虎はわが国にはいない動物である。ミズネコノオのように「猫の尾」なら話は分かるが、「尾」シリーズでは猫は少数派、虎は圧倒的多数派である。 トラノオを名乗る植物はオカトラノオ属だけでも本種ヌマトラノオ、イヌヌマトラノオ(*3)、オカトラノオ、ノジトラノオ、サワトラノオ、トウサワトラノオ、ヤナギトラノオなどがあり、他科にもそのものズバリ、トラノオ(サンスベリア、リュウゼツラン科)、庭植園芸植物のカクトラノオ、ミズトラノオ(シソ科)、イブキトラノオ(タデ科)など枚挙にいとまがない。 外来種に付いては何となく分かるが、在来種にも外国の動物の名前が付いており、むしろ猫という古来からのペットがほぼほぼ無視されているのが不思議である。ミズネコノオなど、より花が立派なミズトラノオがあったために仕方なく名前を付けた的な雰囲気も漂っているようだ。(もちろん考えすぎだと思う)さらにペットである犬(イヌヌマトラノオはあるが)は扱いのランクが下で、イヌガラシ、イヌゴマなど本来の用途に供されない、早い話「役立たず」的ニュアンスで使われている。 まっ、こんな事を研究している人はほぼ居ないだろうし、今となっては命名由来に関して残存する資料も皆無であろうから真実は藪の中、だと思う。かの民間偉人、広瀬誠(*4)先生の名言「人のしない研究に取り組めば世界一になれる」を地でゆくような話だが、そんな時間も取れそうもなく、成果が出ても評価が得られそうもない研究は遠慮しておこう。 (P)2014年7月 茨城県取手市 小貝川氾濫原 |
近似種と交雑種 |
交雑上等 上記及び脚注のイヌヌマトラノオはオカトラノオとヌマトラノオの交雑種(*5)とされる。岡と沼(乾地と湿地)にあるもの同士でどうやって交雑するのか?という疑問もあるが、オカトラノオもヌマトラノオも自生地の適応範囲はやや広く、場所によっては混生も見られるので可能性はあるのだろう。イヌヌマトラノオの来歴(脚注5参照)はともかく、この属は交雑しやすいようだ。 さらに種と交雑種の交雑(紛らわしいが)と考えられる種もあり、言われてみれば日頃「ヌマトラノオ」「ノジトラノオ」などと判別している種も何らかの違和感が感じられるものもあるような気がする。難しいのはこの属の交雑種の場合、形質が必ずしも一定しないことで、特定するためには微小な部分の精査が必要になることである。その情報は必ずしも整理されているわけではなく、断片的情報によって判別しなければならない場面も多々ある。自分で情報整理すれば良さそうなものだが、いかんせん素人にはハードルが高いようだ。 こうした紛らわしい交雑種は今後ゲノム解析によって正体が明らかになると思うが、少なくても現時点で知られている種、交雑種は抑えておく必要があると思う。白状すればこの属で自分が確実に判別できるのは、特徴的なコバンコナスビやクサレダマを除けばヌマトラノオ、オカトラノオ、ノジトラノオ程度。イヌヌマトラノオでさえ様々な表現型があって、葉幅や花穂の垂れ下がりが微妙で判断が付かない場合がある。 一応現在知られているオカトラノオ属の種、交雑種に付いてまとめたのが下表である。これは閲覧者の資料となることを意図したものではなく、あくまで自分の整理のためだ。従って誤りがあっても責任はとれない。また確認が取れていない交雑種(自分で見た事がないもの)も含まれているのでご留意願いたい。念のため。 【日本で見られるオカトラノオ属植物】
(P)2015年6月 イヌヌマトラノオ 東京都 公園 |
雑草魂 |
清楚 ヌマトラノオは普遍的な植物だが、湿地を歩いていて思わず足を止めて見入ってしまう植物の一つだ。湿地にはもちろん他に水生ラン科やサワギキョウ、リンドウ科など花が美しい植物は数多あるが、なにしろ近所の貧弱な湿地にはそのような植物はない。それらは自生地を調べて見に行く植物だと思っている。逆に言えばヌマトラノオはそのような、湿地植物マニア的視点で言えば「貧相な」湿地でも生き残っている雑草魂全開の強い植物である。 似たような草姿のノジトラノオ、少し花穂の形状が異なるサワトラノオやトウサワトラノオが絶滅危惧種となっているのに対し対照的であるが、裏付けの取れていない説としてオカトラノオ、イヌヌマトラノオを含めて3種は交雑種起源だという話がある。そう言えば(脚注5参照)この3種はすべて2n=24である。そしてこの3種とも多少の環境悪化には強く、また湿地でも乾地でも(条件はあるが)生育することができる。 この生命力の根源はいわゆる雑種優勢(*6)なのだろうか。以上、言うまでもないがこの話は仮説レベルにも至らない素人の寝言であって、何ら根拠を伴うものではない。雑談と考えて頂いて結構。 話が紛らわしくなるのでヌマトラノオに限って話を進めるが、この植物は安定湿地、攪乱湿地どちらでも見ることができる。これは生き残り戦略(*7)上わりと重要な部分で、湿地植物にとってどちらも行けるという能力は大きなアドバンテージとなる。それを具現化している代表的な例はアシで、多少の水気があれば自生場所を選ばず大群落を形成することはご存知の通り。 ヌマトラノオもアシほどではないが、水田脇素掘り水路のように安定した場所にも氾濫原のような攪乱環境にも自生する。もちろん多少の消長はあるが、自生している場所では毎年見ることができる。それぞれ周辺に自生している湿地植物は大きく構成が異なるので、ヌマトラノオの強さの理由を求めるとすれば上記のように独特の生き残り戦略であると推測される。それが確証はまったくないが、やはり前述した雑種優勢ではないかと思うのだ。 どちらにしても、清楚な美しさを持つ植物が近所に自生していることは喜ばしい。しかしヌマトラノオがあれば「思わず足を止めて見入ってしまう」のは上記の通りだが、一瞬後には「ヌマトラノオか・・」という気持ちになってしまうのも事実。失ってしまえばサワトラノオやトウサワトラノオ並みに見たい気持ちが募ると思うが当面その心配も無いだろう、と思わせる強靭さが頼もしい。 蛇足ながらヌマトラノオは徒歩圏で見られる植物のうち、唯一自宅で育成している種類である。特に区分しているわけではないが、いつでも見られる植物をあえて自宅で、という気持ちがあって近所での採集はあまりしていない。ヌマトラノオに関しては無意識にいつの間にかあった、というレベルなので実は好きな植物だったのかも知れない、という事に今気が付いた。丈夫で増えるし花も美しい、湿地植物をこれから育ててみたいと考えている方にはパイロットプランツとしてお勧めの植物だと思う。 (P)2014年9月 茨城県取手市小貝川氾濫原 |
脚注 |
(*1) APG以前のクロンキスト体系(Cronquist system、1980年代にアーサー・ クロンキスト (Arthur Cronquist) が提唱)や 新エングラー体系(modified Engler system、アドルフ・エングラーが提唱したエングラー体系をもとに、 1953年及び1964年にハンス・メルヒオール (Hans Melchior) らが提唱した植物の分類体系)を指す。現在出版されている植物図鑑の過半もこの体系を採用しているが、近年刊行されるものは徐々にAPG分類に置き換えられている。 (*2) そのAPG分類は、ゲノム解析が進むにつれ新しい版が公開されており、現在(2017年)は第4版、APGWと呼ばれるものが最新である。第二版、APGUは2003年に公開されている。ちなみに第一版、APGTは1998年、第三版、APGVは2009年に公開されており、ほぼ5〜6年毎に更新されている。もともとゲノム解析による分類なので更新によって従来の見解が覆ることは基本的にない。 (*3) ヌマトラノオとオカトラノオの交雑種とされ、花穂が直立するヌマトラノオと花穂が垂れ下がるオカトラノオの中間的な形質を持つ。(とされる)また葉幅も両種の中間的形質とされる。ただし脚注5に詳述するように3種とも遺伝子セットは2n=24であり、ひょっとすると独立種である可能性もある。イヌヌマトラノオも葉幅や花穂に様々な表現型があって、そうした可能性も考えられると思う。 (*4) 新種ヒヌマイトトンボ(1971年)の発見者の一人、現茨城県環境アドバイザー。県内外各地の自然観察会やセミナーに精力的に参加されており、自分も何度か里山観察会でお話しさせて頂く機会があった。この言葉はその際に発言されたもので、一際印象が深く、10年以上経った今でも記憶に残っている。もともと研究者ではなく教職を務められた方で、昆虫という趣味が深化し業績を残されるにいたっている。某カメラメーカーの宣伝文句ではないが「趣味なら本気で」を具現化している偉人で、ジャンルは違うが常々見習いたいと思っている。 (*5) イヌヌマトラノオとヌマトラノオとの自然交雑種も存在するらしく(学名はイヌヌマトラノオと同一、和名は不詳)、現実的に表現型はヌマトラノオに近いかイヌヌマトラノオに近いか、あるいはまったくイヌヌマトラノオそのものであるはずなので見た目では区別が付かないと思う。ヌマトラノオ、オカトラノオ、イヌヌマトラノオ、両種の自然交雑種とも2n=24。 一方、「イヌヌマトラノオ(Lysimachia pilophora (Honda)Honda)の種分類学的研究」(1976 中村)ではイヌヌマトラノオが独立種である可能性も示唆されており、それを拡大解釈して個人的に上記3種がもともと交雑種起源ではないのか、という発想に繋がった。ただしこの個人的感想に付いては根拠はまったくない。中村先生の論文と混同されないように願いたい。 (*6) または雑種強勢。交雑種は父母の強い点(特に耐環境能力)を受け継ぐので、父母種や他種より強く版図を広げやすい様を表現した言葉。一方、遺伝的組み合わせ効果により、雑種第1代が稀に弱いものとなることがあり、これを雑種弱勢と呼ぶ。単純に組み合わせれば強いものが出来る、というわけでもないようだ。 (*7) 植物の生き残り戦略に付いては当Webサイト内、水草雑記帳 Field Note彷徨う希少種(Chapter3)に詳述させて頂いているので、宜しければご参照願いたい。地形や競合相手を想定したC-S-Rの考え方は分かりやすく、特定の植物相がなぜ形成されるか、という点で考察のベースとなるが、現実の湿地を見るとこの理論だけでは網羅できない現象もあることは事実。異なる現実を理屈に無理やり当てはめても仕方がないので、この理屈が成立するのは「条件付き」と考えたい。 Photo : RICOH CX5 SONY DSC-WX300 |
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