日本の水生植物 水草雑記帳 Weed
イボクサ
(C)半夏堂
Weed Murdannia keisak (Hassk.) Hand.-Mazz.

ツユクサ科イボクサ属 イボクサ 学名 Murdannia keisak (Hassk.) Hand.-Mazz.
被子植物APGW分類 : 同分類

撮影 2010年9月 茨城県取手市 耕作水田
凶悪化する脇役

能力炸裂

 水田周辺で近年信じられない光景を見るが、ケイヌビエだらけ、クサネムだらけの水田、しかも稲穂が実り収穫寸前で「どうやって収穫を?」という光景もインパクトがある。いわば水道をひねったら出て来たのが水ではなく砂だったような一種衝撃的な感覚。
 自分は祖父母の代まで稲作農家だったためか、水田は生活基盤であって財産で最も重要なもの、という意識が普通であった。その感覚でモノ言うのは申し訳ないが、そうした水田(雑草だらけ)を見ると、投げやり、あきらめ、退廃などネガティブワードが脳裏に浮かぶ。

 しかしここ数年で最大の衝撃はこの画像だ。台風で倒れたイネの上に赤い何者かが這っている。接近してみると正体は意外なことにイボクサであった。遠目には古代米かなにか、赤い稲穂かと思っていた。赤は普通の水田にはありえない色なのだ。
 イボクサというと素掘り水路の斜面や畦際で地面を這うように自生する地味な雑草という印象があったが、倒れたとは言え、イネを乗り越えて激しく自己主張する姿を初めて見たのだ。しかもこの現象が相当広範囲に及んでいたのである。

 今までに見たことがない、凶悪とも言える姿には何らかの「裏」があるのだろうか?例えば除草剤(SU剤)に耐性を持ちスーパー雑草化したオモダカのように。(イボクサのSU剤抵抗性は公式には確認されていない、と思うが)と思われるほど強力なスイッチが入った姿である。近頃は除草剤に限らず酷暑やら多雨やら植物のスイッチが入りそうな出来事に事欠かないのはたしかだ。
 おまけにこの一帯、東日本大震災に伴う原発事故によるホットスポットの一つである。放射能で巨大化・強力化するという「ゴジラ」的発想はフィクションの世界だと思われるかも知れないが、東海村(茨城県那珂郡、原子力施設が多数集中)の施設周辺での桜の変異、雑草の大型化などは個人の情報発信レベルではあるが広く出まわっている情報だ。管理側は全否定するだろうが、霞ケ浦導水路の終端部分、利根導水路2.6kmの試験運用によるシジミの大量死などは管理側による「不都合な事実の隠蔽」の香りが強い。この手の情報操作はある、という前提でモノを見なければならないと思う。

 このうちの何らかの要素が以前のイボクサの姿を変えてしまったのだろうか。ただ、他植物に覆いかぶさるほど伸長が早く大規模に繁茂しているのはイボクサ自身であり、それはイボクサの持っている「能力」ということに他ならない。イボクサなど植物に限らず「持っていない能力」は発揮できない。これは重要なポイントで、遺伝的に持っていない形質は、病虫害など外的要因によるものを除いて見ることができない。「火事場の馬鹿力」も力のうち、ってことだ。それを踏まえて・・・


(P)2011年10月 茨城県取手市 耕作水田


生き残り戦略


 農業系の文献には「出穂後に落水した場合、イボクサが稲穂に向って絡みつく場合がある。これが甚だしい場合、稲刈時にコンバインの刃先に絡みつき作業の邪魔になる(大意)」とある。場合によってこうした姿(画像)になる場合もなくはないようだ。この場合、文献の記述を正とすればイボクサの異常な伸長の「スイッチ」は落水のタイミングということになる。しかし現代の乾田はその運用上「出穂後に落水(*1)」する事はあまりなく、逆に出穂・開花〜結実中期までは大量に水を必要とする、というのが常識のはず。根に酸素を与え実付きを良くするオペレーションのタイミングは出穂直後ではない。出穂後はより小まめな水管理が成されるわけで、文献にある「出穂後に落水」という表現は非常に曖昧な印象を受ける。
 イネはもともとは水生植物である。乾田は人間の技術の成果だが、通年乾いた水田では水稲を最初から最後まで育成できないことは自明だ。それでは畑作になる。これをイボクサの立場から見ると、イネのために落水を設定した時期を感知し、開花・結実のために急ぎ光の多い場所に伸長する、という意図のようなものも見えなくはない。
 しかしこうした普通の水田(乾田)でも毎年の水管理サイクルは同じはずだが、イボクサがここまで暴れた姿は今まで見なかった。台風による水分やイネの倒伏など常と異なる状況が影響したのだろうか。それにしても台風や倒伏は毎年のように発生している。原因はいまいち良く分からないが、このような(最初の画像)まったく異例な現象を見ていると、イボクサにとって何らかの契機があった事は間違いないと思う。

 イボクサの水田における生き残り戦略を見てみると、耕起や初期剤、一発剤の散布により水田内のものはほぼ防除されるが、影響の及ばない畦畔に残草があったものが伸長して水田内に侵入することで生き残る。しかし稲刈後、速やかに耕起を行うことにより(当地水田の標準的な管理である)再生と種子生産はほとんど行われなくなるとされている。畦に残存したものが細々と生き残る世代交代だが、実はこのライフスタイルを変貌させる人間側の都合があったのだ。
 それは隣接する耕作放棄水田の存在である。耕起がなく、湛水も周囲の水田と同様の環境は言わば「イボクサ天国」で、ここで力を蓄えたイボクサが伸びてきただけの話。休耕田や耕作放棄水田がモザイク状に存在する現状は完全に人間の都合であって、これがたまたまイボクサにも都合が良かった、ということなのだろう。さらに耕作水田自体も生産者米価の低迷による米価コストの圧迫、就労人口の高齢化などにより除草が行き届かず、水田内に多くの雑草が残存する状況が常態化している。こうした状況が影響している可能性も考えられる。

疣は取れるのか

エビデンスなし

 イボクサの和名由来は草汁を塗ると疣(いぼ)が取れることによる、とされる。またの名をイボトリクサとも言う。しかしその薬効成分、効果は定かではないようだ。そもそも疣とは魚の目や水痘、水疣まで含む様々な状態を指す言葉であり、どれにどう効くのか、という点も明らかではない。疣のなかには自然治癒するものもあって、イボクサの草汁を塗った時期と重なって「効いた」ような気がしたのだろうか。それにしては情報流通範囲が広大過ぎる気もする。正式和名はイボクサ、異名イボトリクサ、どちらにしても疣に薬効がある事実を示唆している。蚊取り線香の除虫菊とまでは行かないまでも、少なくても何らかの根拠はあるはずだ。

 疣はその多くが「ヒト乳頭腫ウイルス」という比較的無害な(重篤化しない、致命的ではないという意味で)ウィルスが入り込むことによって出来るという。植物由来で抗ウィルス作用のある植物アロマ(*2)も数多く、イボクサの効力もあながち全否定できないとは思うが、効果があるのであれば科学の進んだ現代、何らかの解明があって然るべきだろうと思う。それが無ければ単なる加持祈祷範疇の和名となるが、植物和名でそのような付与パターンはあまり聞いたことがない。
 要するにイボクサの「疣取り効果」はエビデンスがない学説の如きものだが、例えば成人病、特にコレステロール系の悪さに対してはゴマ、エゴマ油、アーモンド、緑茶、大豆(納豆・豆腐)など植物原料の食品が効果があり、それぞれポリフェノールやらオレイン酸やら食物繊維やら、調べれば山ほどエビデンスがある。これがあってTVの健康番組で特集するからこそ毎回売り場の棚からエゴマ油やクルミが消える騒ぎが起きる。
 自分で試してみても害はなさそうなのでぜひ確認してみたいが、残念なことにイボクサはあっても疣がない。かくしていまだその真偽は定かではないが、どこで調べても確たる解がないところを見ると「イボクサで疣は取れない」と考えていた方が良さそうな気がする。

二宮敬作

 イボクサの学名にはkeisakと日本人の名前らしきものが付与されているが、調べてみると二宮敬作という人物のことらしい。彼は江戸時代後期の蘭学者・医学者であって植物学者ではない。しかし当時の医学に付随する薬草の研究も行っていたので、そのあたりからのネーミングだろうか。また日本からごっそり植物を持ち帰ったシーボルトの弟子でもあり、彼の著作「日本植物誌(*3)」(Flora Japonica)の学名は現代の学名に引き継がれたものも多いことから、交友関係として付与した可能性も高い。(読んだことがないので事実関係は推測)
 話は連鎖的に脇道に入り込むが、司馬遼太郎の「花神」に出てくる、大村益次郎(*4)に好意を抱く女性、楠本イネはシーボルトの娘であり、シーボルトの帰国後は二宮敬作が養育し日本初の女医になったという。あまり良く知らない人物だが、こうしてイボクサの学名に名を残すことでイボクサの薬効から私の愛読書「花神」(大村益次郎、楠本イネが登場する)、シーボルトの「日本植物誌」まで関係が繋がった。試験に出るような話ではないし、そもそもワタクシ残りの人生で筆記試験を受ける予定もないので無駄知識だが、イボクサを調べて行くと断片的な知識が繋がったので非常に興味深かった。


(P)2011年10月 茨城県取手市 耕作水田

異説水中育成水草説

イボクサは沈水葉を形成するのか

 自生湿地植物、それも沈水植物ではなく抽水、湿生植物を水中で育成するという、ニッチの中のニッチな趣味を持つ人々(と言うほど数がいるのか不明だが)の間で「イボクサの水中育成」が話題となったことがある。自分でも加温水槽で育成した経験があるので結論は分かっている。水中育成自体は何ら問題はない。
 問題は水中育成ではなくイボクサが沈水葉を形成するか、どうかという点だ。以下は私の個人的な考え方だが、常態で抽水、湿生する植物がクチクラ(*5)を捨てて沈水葉を形成するということは、水中生活への覚悟がある、と思っている。精神論や気合の話ではなく、イボクサに関して言えば一年草で開花・結実が世代交代の絶対条件であり、時間が限られた中でそのような無駄な回り道をするのかどうか、という話。
 もちろん加温水槽は年中熱帯で(熱帯魚を飼育するためなので)一年草、多年草両方の形質を持っていれば多年草のスイッチオン、覚悟を決めて水中生活も「あり」だろう。そうした挙動は同じ一年草水田雑草のミズネコノオやシソクサで確認(*6)できる。まったく可能性がないわけではない。彼らに「覚悟」を感じるのは四季の移ろいに動じることなく沈水葉で通年生育する姿による。

 この点イボクサはどうだろうか。以前長年水中で育成した、というイボクサの「水中葉」を頂いたことがある。上記のように自分でも育成した経験があるが、気中葉草姿のままで「水中葉」の確信がなかったため興味があったのだ。送られて来たイボクサは多少矮小化はしていたものの、少なくても見かけや手触りは気中葉そのものであった。結論として、イボクサは水中でも生育できるが完全な沈水葉は形成しない、というもの。同じ水田雑草でもシソクサやミズネコノオとは植物生理が異なる。性格的にはキカシグサやミゾカクシに近いものがある。
 水辺の植物はその自生地の特質から水没の可能性が常在する。この時に、第一に沈水葉に草体を変化させて乗り切る方法論、第二に一定期間耐える方法論、そして第三の方法論があって、イボクサは第二の方法論を取っていると見ることができる。第三の方法論は草体を大型化させ、多少の水位変動では完全に水没しないようにするもので、オモダカやクサネム、タイヌビエが該当すると思われる。

 水辺の植物である以上、水に対する親和性があるのは当然の事ながら、その適応方法は画一的ではない。考えれば当然の話だが、畦際でかたまって繁茂している雑草群を見ていると、つい同じように見えてしまうし考えてしまう。彼らは今現在は似たような生活をおくっているが、来歴はまちまちであり、遠い未来には行く先もそれぞれのはず。これを一つ一つ考えてみるのがこのコンテンツ「Weed」の趣旨の一つでもあった。一再ながら「雑草という名の植物はない」という金言が実感できた。


(P)2005年9月 茨城県取手市 休耕田

脚注

(*1) 普通の水田は出穂後30日程度で落水する。その後もこまめに水の管理を行うが、これを可能にしたのが基盤整備、乾田化であり、水田への導水、落水は水門ひとつで簡単に行える。この人為的なサイクルに適応した植物も多いが、割を喰ったのがミズオオバコ、スブタ、イバラモ科植物などの沈水植物で、水がなければ生活できず、軒並み絶滅危惧種となっている。

(*2) 抗ウィルス作用はジャスミン、ジンジャー、シナモン、ユーカリ、ブラックペッパーなど多くの植物由来成分で知られている。ただし本文にあるようにイボクサに付いては現状不明。不明というだけで、民間伝承にはそれなりの根拠があることが多く、完全否定はできないと思う。

(*3) シーボルトが日本滞在中に収集した標本を中心に作成した30分冊の図鑑。1835年〜1870年にかけて刊行された。シーボルトは標本以外に植物生体も持ち帰っており、このうち観賞用としてヨーロッパに広がったイタドリは、現在イギリスでコンクリートの建物を崩壊させるまでに大暴れし大問題となっている。ちなみにシーボルトは蘭学(西洋医学)の父であるが、蘭(オランダ)出身ではなくドイツ人である。

(*4) 幕末〜明治維新にかけての洋学者で日本の近代的軍制の創始者と言われる。激動する時代背景の中で庶民が能力によって中央政府の要職に登用されるプロセスを体現した人物。上野彰義隊の討伐や戊辰戦争において作戦立案、成否、弾丸の消費量まで的確に予見した点は特筆すべきで、その後の軍部は第二次世界大戦にいたるまでこの点で劣化している。「素人は作戦を語り、玄人は兵站を語る」。維新の人物というと坂本龍馬や西郷隆盛など華やかな人物が語られる事が多いが、大村益次郎のような地味で埋もれた人物に脚光を当て、あれだけの力作を書いた司馬遼太郎も凄いと思う。

(*5) 特定の物質ではなく、いわば「膜」のこと。英語読みではキューティクル、髪の毛の手入れで語られることも多い。植物のみならず生物全般に通じる概念であり、特に昆虫類や甲殻類ではイコール外骨格である。植物の場合も様々な表現系があるが、概して水分蒸散防止や食害からの防衛に役立っている。一方、沈水植物の場合は水分蒸散の心配がなく(浸透圧やその他の問題は発生する)水流に対する抵抗があると植物体が損なわれる等の弊害があるためにこの構造がない場合が多い。

(*6) シソクサやミズネコノオが多年草の形質を持っているかどうかはあくまで未確認。東南アジアには同種で多年草のタイプが存在するというが、稲作の伝来とともに帰化したという説を信じたとしても、すでに数千年(最近の研究では稲作の伝来は縄文後期)の時間が経過しており、彼らが日本の四季にあわせた進化を遂げ、別種になっている、つまり多年草の形質を捨てた可能性も否定できないからだ。


Photo : Canon EOS 40D + SIGMA 17-70mm/PowerShot S95/PowerShot G10 Nikon CoolPix5000

Weed Murdannia keisak (Hassk.) Hand.-Mazz.
日本の水生植物 水草雑記帳 Weed
inserted by FC2 system