日本の水生植物 水草雑記帳 Field Note
越夏芽考 Ver.3 植物のCSR戦略 事例2
Field Note 越夏芽考 Ver.3

エビモ Potamogeton crispus Linn.
2020年5月 東京都葛飾区 小河川(fig1)

【最初に】
*いつの間にか20年物になってしまったテーマ、エビモの越夏芽だが、新しい見方を加味し「Ver.3」として公開する。そもそも回答する術のない植物に「なぜか」と問うテーマは悪魔のテーマである。すなわち永久に解決できない。解決したと思ってもそれは人間の独りよがり、ってやつだ。興味を持った時点でその事に気が付くべきであったがズルズルと長年引っ張ってしまった。私以外の趣味者や研究者の方々は「エビモは夏に越夏芽となって休眠する」とサラリと流している場合が大半で、結論がどうやっても出ない、という結果を視野に入れた「大人の対応」である。その意味では「子供の科学」に類するこんなことに嵌るのは我ながら変わり者だと思う。

 子供の科学といえば近頃ベネッセの「かがく組4年生」という教育雑誌に私の写真(本人じゃなくて植物の写真)が掲載されたが、送られて来た献本を読んでみると多岐に渡る雑草の生き残り戦略が解説されており、4年生でこんな高度なことを勉強するんだ、と思う一方、自分でも勉強になった。正直、茎の断面が三角形の植物がなぜ水辺に多いのか考えたこともなかったが、記事に記された合理的な解説を読んで目から鱗であった。これは下手な記事をネットに上げると子供にも笑われてしまうな、と身が引き締まる思いであった。ついでに外出自粛、ステイホームで太った物理的な身も引き締めて、より多くの場所にエビモを見に行きたいと思った。


Chapter1 2タイプのエビモ
■霞ヶ浦

 現在はほぼ沈水植物を見ることができない霞ヶ浦に、かつて「寒藻(カンモ)」と呼ばれていた水草があったという興味深い情報がある。霞ヶ浦にはこのコンテンツでご紹介した漁藻(イサリモ)という水草も存在し、僅かに残った資料からの自分の考察ではセンニンモ×ヒロハノセンニンモのような交雑種だと考えているが、寒藻に付いては10月頃発芽し、翌年6月頃に実を付ける注1)(越夏芽と考えられる)という情報も付記されていることから間違いなくエビモ(Potamogeton crispus Linn.)の別名(ローカルネーム)だと思う。

 これまで何度かエビモの越夏芽の形成に付いて記事を書いてきたが、当初考えていた流水と止水、環境要因による生態変化を如実に示した話が上記「寒藻」の話だろう。言うまでもなく霞ヶ浦は止水であり、止水のエビモの特徴、夏季は越夏芽となって休眠する、という生態を示しているからだ。エビモという和名も良いが、寒藻は言い得て妙、この植物の本質を示した名前である。


(P)2009年10月 千葉県成田市 霞ヶ浦水系印旛沼畔 通年生育する止水のエビモ(fig2)


■環境要因説

 しかし実は私はこの説(以降、環境要因説と呼ぶ)に大きな疑問を持っている。疑問は理論的なものではなく、止水で何度も夏季にエビモを見ているからである。右画像は千葉県成田市印旛沼畔の止水だが、エビモが一面繁茂している。撮影は10月だが、発芽直後にこれだけの群落は形成できない。夏から存在したことは明らかだ。と言っても近年は10月も夏のようなものだ。さらに下画像は8月の止水(茨城県涸沼)のものである。こちらも越夏芽は確認できない。

 環境要因説はもちろん例外の存在を排除していないが、こうも例外が多いと、そもそも環境要因説、止水か流水か、この要因によって越夏芽を形成するか否か、を普遍化することが無理なのではないか、と考えている。これは逆の検証だが、流水中で通年生育するエビモを止水に移植すると「環境要因説」に従えば越夏芽を形成するはずである。これは比較的簡単に実験できるので流水(採集地点では通年生育を確認)のエビモを自宅の睡蓮鉢に移植してみた。結果は予想通り越夏芽を形成することなく通年生育したのである。この2点、止水にも通年生育するエビモが存在すること、流水のエビモを止水に移植しても越夏芽を形成しないことにより環境要因説は成立しないのではないか、と考えている。


【湖沼で夏季に生育するエビモ】
2007年8月 茨城県鉾田市 涸沼(fig3) 同左(fig4)


■流水のエビモ

 越夏芽の形成条件が環境(流水か止水か)でない以上、考えられるのはエビモに2タイプあって越夏芽を形成しないものと形成するものがあるのではないか、ということだ。
 自分で書いておいて何だが、この説には次項、Chapter2に続く重要なヒントが隠されており、止水でもfig2のように通年生育するエビモがある一方、流水ながら(fig6)越夏芽を形成するタイプもある。fig6は農業用水路ながら流水であることには間違いない。そして今頃気が付くとは我ながら迂闊であるが、越夏芽を形成するエビモの自生地はほとんど透明度が低く、形成しない場所の自生地は透明度が高いのである。(この事実が何を意味するのか、は次項で詳説する)

 こう考えれば重要なファクターは止水か流水か、ではなく水域の透明度、そして透明度の低い環境で生育したエビモを透明度の高い環境、屋内水槽や庭の睡蓮鉢などに移植した際にも越夏芽を形成することからもう一つのパラメータ、水温という要素が見えてくる。


(P)2015年5月 千葉県松戸市 通年生育型。水源は湧水である(fig5)


 話を整理する。越夏芽を形成する/しない、の原因を止水か流水かの環境要因説に帰すことは誤認であり(自分に対して言っている)、実際の自生地の傾向とエビモの動向を見た場合、透明度と水温という要素があり、この意味での環境要因説が有力ではないか。そしてこの説には有力な証左と思われるモノが見えてきた。


【流水のエビモ】
2004年4月 茨城県稲敷郡桜川村
霞ヶ浦沿岸部、桜川村は翌年合併により消滅した(fig6)
2005年7月 東京都国立市
 湧水起源の河川、矢川で採集された小型のエビモ(fig7)


Chapter2 プチ原子炉
■無酸素成長

 透明度の低い環境ではなぜ越夏芽を形成するのか?答えはシンプルで「必要だから」である。必要もないのに光合成に有利な夏季を眠って過ごす怠け者は植物にはいない。この「光合成」に引っ張られると思考が迷宮に入るが、逆に無視すると真実が見えなくなってしまう。

 越夏芽と透明度を関連付けて考えたのは同じヒルムシロ科の科名植物であるヒルムシロの殖芽からの発芽システムが大きなヒントになったからだ。すなわち、ヒルムシロは殖芽から発芽成長する際に酸素を必要とせず光合成も行わない。成長エネルギーは殖芽内でアルコール発酵を行うことで得ている。その理由はおそらくfig1やfig6のような環境での生育を想定してるからだろう。
 下図を見て頂きたい。こうした水域の構造は概ね似たようなもので、透明度は10cm程度、水底から数十cm、場合によっては1m以上も光の届かない環境で成長しなければならない。植物の成長エネルギーはすべて光合成生産による注2)という原則に反する成長方式である。


(P)2004年5月 越夏芽から発芽。右上の褐色の物体が越夏芽である(fig8)


【エビモの無酸素成長概念図(fig9)】

 神戸大学の角野康郎教授はその著書「日本の水草」(参考文献参照)でエビモに付いて「水質汚濁にも強い」と書かれており、また大滝末男先生も「水草の観察と研究」で「水質汚濁にもたいへん強い」と書いておられる。それはこういうことではないか、と思うのだ。すなわち、光が届かずに光合成不可能な水深の水底で発芽したエビモは、ヒルムシロのアルコール発酵のようなシステム(未知、仮説)で成長を続ける。この段階では光合成は行わないので葉には葉緑素がなく褐色に見える。(fig3、fig4、fig6)
 無酸素成長を続け、水面近くの光合成可能な水深に到達すると葉に葉緑素を生成し光合成を開始する。(右図)このように考えると「水質汚濁にも強い」エビモは越夏芽発芽のエビモであって、実生ではないことが分かる。実生株では種子の大きさや構造からアルコール発酵のようなシステムは難しく、水面近くに到達することは困難なはずである。

 越夏芽内のアルコール発酵のようなシステムを未知、仮説と書いたが植物生理の面から考察すればこれはほぼ確実ではないだろうか。他に外部の物質に依らない成長方式というものが見当たらないのだ。消去法的な考え方だが極めてリーズナブルであると思う。


(P)2004年4月 茨城県土浦市 農業用ため池(fig10)


 また同書では「河川などの流水域では殖芽の形成を続けながら通年生育する」とあって、私自身は確認していなかったが、これが事実とすればいつ何時水質悪化があっても生き残る、というエビモのリスクヘッジであろう。ただし使う可能性がなく越夏もしないモノが殖芽なのか、あるいは発芽機能を持たない単なるカルス注3)と呼ぶべきものなのか、これはこれで議論の余地があると思う。
 この越夏芽、機能が想像通りであるとすれば生き残り戦略に於いて非常に優れたシステムである。透明度、水質汚濁は人間の活動による結果ばかりではなく、土壌の特性や天災によっても引き起こされる。この一帯の湖沼を見ていると「人災」面が目に付き、そのことを忘れてしまうが、人間の活動によらず透明度が低い内水面はいくらでもある。水底から発芽成長するにあたり、他率要因である酸素や光を頼らない確実な種の存続、なかなかハードボイルドな生き方ではないか。

Chapter3 競合説の瑕疵
■理由

 そもそもエビモはなぜ越夏しなければならないのだろうか。一般的な植物の成長時期である初夏〜秋を成長に使わず休眠する、そこには合理的な理由が見い出せない。この問題を考える際に真っ先に思い浮かぶ「合理的な」理由は「他種との競合を避けるため」(以降、競合説と呼ぶ)というもの。
 しかし競合説も環境要因説同様に、注意深くフィールド観察するとエビモ自身が否定しているのである。前述したように越夏芽を形成するエビモは止水で確認しているが、競合説はむしろ流水のエビモにこそ該当し、論理的に瑕疵がある。

 右画像は湧水起源の小河川(茨城県土浦市)、エビモは上の方に見えるが同時期(9月)、全面にリュウノヒゲモ、クロモが繁茂し別の地点ではササバモやセンニンモも見られる。実は沈水植物の競合は止水よりも流水の方が激しい。湧水起源で水質、水温が安定し透明度も高い。沈水植物にとっての高級住宅地に彼らが殺到しないわけがない。まさに言葉通りの「競合」の状態である。


(P)2011年9月 茨城県土浦市 湧水起源の小河川。夏季の「競合」、リュウノヒゲモ、クロモ、エビモの繁茂(fig11)


 この状況、沈水植物が集中する現象は他の調査地点、茨城県日立市、千葉県我孫子市、東京都国立市の河川でも同様であった。夏季に他植物が盛大に繁茂する環境は流水注4)であって、競合説によれば流水のエビモこそ越夏芽となって競合を避ける必要があるが現実はそうではない。現実、事実が説に反している以上、説に拘泥する必要は皆無であるだろう。

■エピジェネティクス

 ではなぜ越夏芽を形成するのか、すでに書いたように本当のところは「エビモに聞かなければ分からない」。しかしエビモに答える可能性がない以上、永久に分からないということだ。これこそ悪魔のテーマ。理由らしきモノが見えたのは意外なことに植物生理学の本を読んでいる時で、具体的にはエピジェネティクスという概念である。エピジェネティクスは「DNAの配列変化によらない遺伝子発現を制御・伝達するシステム」である。簡単に言えば「越夏芽を形成する遺伝子を持っているエビモと持っていないエビモがある」のではなく、エビモは等しく越夏芽を形成する遺伝子を持っているのである。これが何らかの要因(DNAメチル化)によって発現される。具体的にはリプログラミング(初期化)によって分化全能性注5)を持ったカルスが初期化の結果として形成される。このカルスが他ならぬ越夏芽である。
 このエピジェネティクスの理論はとても奥深く自分自身深く理解しているとは言い難く、今話題のiPS細胞の理論的コアでもあり、これ以上深入りしても迷宮に入る事は確実、アウトラインのみの理解に止めたい。(ご興味のある方は文末に参考文献を上げておくのでご一読を)

 エピジェネティクスの理論は複雑で理解困難だが、細胞の初期化、分化全能性を持ったカルスの形成であれば植物生理学の話なので何とか理解可能だ。(このあたりが文化系の限界)カルスは植物組織として「一定の秩序」ある形質を示さない不定形の塊のことで、植物ホルモンであるオーキシンの分泌によって引き起こされる。エビモの越夏芽がカルスであるとすれば、これまで検証したように水温が上昇するとか他の植物が繁茂するとか単純な要因によるオーキシンの分泌結果とは考えにくい。
 考えにくい事を考えても結論は得られないので逆に考えてみよう。エビモは初夏にオーキシンを分泌して越夏芽(カルス)を形成する遺伝子を持っている。あえて「遺伝子」という言葉を使ったが、エピジェネティクス理論と矛盾しない。逆に考えるのはエピジェネティクスの発現、すなわち初期化を抑制する何らかの要因が作用した場合に越夏芽を形成しないエビモとなるのではないか、ということだ。ただし参考文献である「日本の水草」で角野先生は「河川などの流水域では殖芽の形成を続けながら通年生育する」と書いておられ、越夏芽(カルス)を形成するがリスタートの手段として使用しないタイプも存在する、という可能性も視野に入れるべきかも知れない。

■抑制

 エピジェネティクスであれば、これまで自然環境下で見た現象も一定の理解が可能だ。止水で葉緑素を欠いた草姿の草体が盛夏8月に繁茂していた涸沼、同じく止水でありながら10月に大繁茂していた印旛沼畔の池、おそらく流水中のエビモも同様であると考えられるが、カルスの形成を抑制、または形成されても発芽や発根を抑制する要因があるはずだ。推論ながら共通するのはミネラルではないか、と考えている。深い考えや実測データがある話ではないが(というレベルなので「推論」)汽水湖である涸沼、掘削間もない印旛沼畔の池、地下からの湧水による湧水起源の河川、共通するのは水温でも競合でもなく、ミネラル豊富な環境注6)というものである。つまりエビモのオーキシン分泌を抑制するのはミネラルではないか、そして状況から最も可能性が高いのはナトリウムではないか、と思う。
 逆に抑制が働かなければどこに生育しようとも同じ挙動を見せるはずで、ここまで駄文を書き連ねる必要もない。可能性としては現状7:3ぐらいの認識だが、もともと遺伝的には同一、環境要因によってエピジェネティクスとして越夏芽の形成有無を決定(7)、もともと遺伝的に2系統あって止水、流水それぞれ独自に進化した(3)、というところか。

Chapter4 シードバンク
■復活

 2020年5月、新型コロナウイルス蔓延による緊急事態宣言が解除されたタイミングで東京都葛飾区の水元公園に植物見物に行ってきた。性格に似合わずお上の言う、ステイホームを素直に聴いていたわけだが盲目的に従っていたわけではなく、万が一感染してしまうと基礎疾患を持っている私なんざイチコロらしいので命には代えられないと思ったからだ。振り返れば意外に長く生きてきたが「死ぬことは怖くない」と言えるほど達観していない。

 水元公園はその名の通り無数の水路や池があって水生植物も元から自生していたもの、移植されたもの、勝手に住み着いた外来種など多くの種類を見ることができるが、今回初めてエビモを見ることができた。エビモを見た水路はこれまで季節を問わず何度も見ている場所なので、少なくてもこの10年は存在しなかったはず。水生植物展示エリアである水生植物園注7)ならまだしも、しかも緊急事態宣言中にあえて排水路である園内の小さな水路にわざわざ観賞価値の少ない雑草範疇のエビモを移植しないだろう、という前提で、これはまず間違いなく「復活」だろう。


(P)2020年5月 東京都葛飾区 水元公園の水路に見られた「緑色」のエビモ(fig12)


 問題はその復活が越夏芽によるものか、埋土種子によるもか、という点で客観的に見ればどちらでも良いし多様性の観点からはウェルカムな状態である。雑草のエビモと言えど今や自宅から徒歩やチャリで見に行ける場所がない。自生地点が1箇所でも増えればありがたい。
 動植物の採集に関しては緩い公園だが、都民の公園で(水元公園は都立公園)茨城県民が自由気ままに振舞うことに遠慮もあったのでこのエビモには触っていないが、引き抜いてみれば越夏芽か埋土種子によるもか一発で分かっただろう。しかしこの時点ですでにChapter2に書いた内容が頭にあったのでこれは越夏芽によるものではない、と判断した。

 それはどういうことか。これまで数多くの自生地の状況と草体の色の相関関係は仮説ながらほぼ一致しており、理論的背景はChapter2に書いた通りである。しかしこのエビモは透明度が低い環境に自生しつつもこの時期に見られる褐色の草体ではない。以上から実生株と判断したが、本Chapterで触れる必要もない新型コロナに触れたのは、深い因果関係があると考えたためである。
 東京都は下水道普及率が高く、公園環境はもちろん一般の河川にも生活排水や産業排水の流入が抑制されている。しかし一方、人口密度や産業の集中、道路網の整備など(社会科の教科書のようだ)ノンポイント汚染注8)の原因は我らが人口密度の低い茨城県とは比べ物にならない。つまり外出自粛が続いたためにノンポイント汚染が低減し公園水路の水質も良くなって実生から発芽した直後から光合成生産が可能になる水質が担保されたためではないか、ということである。ミクロ的には緊急事態宣言に伴う外出自粛で公園利用者が減少したことも要因だろう。何だか「風が吹けば桶屋が儲かる」的ドミノ理論だが、当たらずと言えども遠からず、ではないか。

 このChapterはChapter2の補足とも言うべき内容だが、それは新たなテーマとして「越夏芽の有効期限」という問題も視野に入れなければならないからである。越夏芽を何のために形成するのか、という原点に戻ると「越夏」のためである。何のために越夏するのか、という大問題は依然として闇の中だが、越夏のために越夏芽を形成することは文字通りで間違いない。ここで考えなければならないのは越夏はシーズン内の季節変化に対応するものであって埋土種子のような目的を持っていないのではないか、という推測である。
 越夏芽が数十年保つ、と言われれば検証したわけでもなく反論できないが、埋土種子というリスクヘッジはそのための手段であって、二重に持つ必要がないようにも思われる。そして構造的にみればカルスは植物体の一部であり、耐環境性能のある外殻を持った種子とは似て非なるものだ。越夏芽の現物を眺めてもそう思う。「復活したんだからどっちでも良いじゃねぇか」という意見には賛成である。

Chapter5 CSRから見たリスクヘッジ
■最強雑草との類似性

 エビモが属するヒルムシロ科の科名植物ヒルムシロ(Potamogeton distinctus Linn.)は盛んに開花し結実するが、その発芽率は異様に低く、2%前後であるとされている。せっかく盛大に種子を生産するのになぜ極端に発芽率が低いのか?これはヒルムシロを観察すれば容易に納得できる。
 ヒルムシロは除草剤普及以前には「最強の水田雑草」とされていたが、元々強靭で数株程度で相当の水面を覆い尽くす浮葉を展開する。地下茎も強く越冬芽からも発芽し、種子で子孫を残す必要がない。種子はシードバンクとなり「いざ」という時を待つのだ。立派なリスクヘッジである。
 エビモの越夏芽をヒルムシロ同様の「リスクヘッジ」と考えてみると非常に納得性の高い結論に至ることができる。それはエビモが元々冷水性の水草ではないか?という仮説だ。


(P)2010年5月 茨城県日立市 湧水起源、冷水流水中のエビモ(fig13)


 エビモが湧水起源の河川から徐々に里山に広がったと見れば、生育場所の水温は夏季に上昇し何らかの対策が必要となる。もし溶存気体(低水温では二酸化炭素の溶存量も多い)の確保が不可欠であれば「光合成をしない」という選択肢もリーズナブルである。つまり高水温の時期に越夏芽となってしのぐのだ。
 この着想は冷水中のミズハコベを見ていて気が付いた。ミズハコベは冷水中では細い線形の沈水葉となり浮葉を展開することはないが、里山に自生するものは盛んに浮葉となる。理由はたった一つ、水温上昇と共に水中で調達が困難になる二酸化炭素を空気中に求めるためだ。この意味ではエビモに付いての環境要因説も説得性があると思うが、それはもちろん新たな仮定、エビモが元々冷水性の水草であるという前提が必要である。
 理由はさておき、エビモが越夏芽を形成する事実をCSR戦略注9)として考えた場合、これまで述べたように(Chapter3 競合説の瑕疵)他種に対するアドバンテージを持つためではない。つまり競合戦略(Competion strategy)ではないことは明らかだ。また比較的安定した水域、湖沼河川に自生することから撹乱依存戦略(Rideral strategy)でもない。残るはストレス耐性戦略(Stress torerance)である。他の植物がストレスに感じない環境でストレスを感じる、何となくこの植物の「分かりにくさ」を暗示するような話だ。

■これまでのまとめ、7つの仮説

 絶対的な結論を得られない以上、本稿はあくまで中間報告でありレベルとしては中学生の夏休みの自由研究程度になってしまうが、これまでの考察をノートとして記しておく。20年かけてこの程度かい、と自分でも思うが人生時間すべてを趣味に費やしているわけではなく、更にその趣味時間の中でもエビモだけを調査し考えているわけではない。また既存の見解を否定することから始めているわけで、その意味では未開の大地を開拓するが如き困難がつきまとう事はご理解頂きたいと思う。これが今後新たな発見とともに変わっていくのかどうか、急速に衰えつつある、現場の調査に必要な体力と、同様にPCで文章としてまとめるために不可欠な視力次第、情けない話だが自分自身の「耐用年数」次第である。やる気はあるが体力が付いて行かない爺の泣き言はともかく、まとめは以下。

(1)越夏芽を形成する理由として環境要因説、競合説にはそれぞれ瑕疵がある
 *自生地の動向からそれぞれの説に矛盾する生態が見られる

(2)エビモが越夏芽を形成するのは等しく持つ遺伝的形質(70%)
 *「日本の水草」での角野康郎先生の記述「河川などの流水域では殖芽の形成を続けながら通年生育する」を勘案、要確認

(3)越夏芽を形成する、しないは草体の特徴を併せ、地域変種である可能性(30%)
 *遺伝子的検査を行わなければ真偽は不明、現状は個人レベルでは検証不可能

(4)越夏芽によって越夏するのはエピジェネティクスによる現象
 *透明度、水温など複数の要因が発現のキーになっている可能性がある

(5)透明度の低下と越夏芽からの無酸素成長はリーズナブルなセットになっている
 *光の届かない環境で生育を続けるには最も向いた成長手段だ。これは偶然なのだろうか

(6)現象面から推察し、越夏芽の形成をナトリウムが抑制している可能性がある
 *汽水湖やその他ミネラルの影響がある環境でのエビモの動向から推測

(7)エビモはもともと冷水性の水草であり、越夏芽を形成せずに通年生育するのがノーマルという可能性
 *越夏芽形成が環境適応によって身に付けた生き残り戦略である可能性がある

脚注

(*1) 「寒藻」の話は霞ヶ浦で内水面漁業に携わる漁師さんの話だが、漁師さんの「感覚」で実と表現されるモノはおそらくヒルムシロ科植物の実ではないはず。越夏芽は様々な形となるが、植物に興味があまりない方から見れば立派な実に見えるはず、という予測の話。
 気になるのはこの話がいつ頃の話か、という点。と言うのは汽水湖の涸沼で盛夏に大型草体のエビモを見て以来、オーキシンの分泌を抑制するのはナトリウムではないか、と思っていたからだ。常陸川水門閉鎖以前であれば霞ヶ浦も汽水傾向が強く、ナトリウムも豊富であったはず。寒藻も漁藻同様、正確にどの種を示しているか分からないので仮定の仮定という雲をつかむような話になってしまうことは否めない。

(*2) 植物の成長エネルギーの源泉は光合成であるが、光合成と同時に酸素呼吸も必要になる。どちらも困難な状況下での代替エネルギーとしてヒルムシロに見られるアルコール発酵が有力な候補になる。質量の問題で小さな種子内での化学反応では成長エネルギーを支えることは出来ず、種子に替わる「小型原子炉」は越夏芽以外に見当たらない。また透明度が高く、かつ水深も浅い渓流などでは光合成も酸素呼吸も容易であり、小型原子炉である越夏芽は必要ない、という論理的帰結が主旨である。

(*3) カルスとは特定の物質ではなく植物細胞の塊、かつ葉や根といった特定の形質を示さないものである。植物がカルスを形成する理由はリスタートのためで、水草でよく見られる現象は「頭頂部の縮れ」。沈水状態にあった水草が気中葉を形成する際によく見られる。気中にあっても傷を受けた際、傷口をふさぐために増殖する組織として見られる。この場合は癒傷組織(ゆしょうそしき)と称される。カルスは分化全能性を持ち、厳密には種子的な性格のムカゴと区別されるが、エビモの越夏芽はどちらかと言えばムカゴ的な役割を果たしており、カルスと表現するには無理があるかも知れない。

(*4) 湧水起源の河川ほど沈水植物に適した水域はない。柿田川しかり矢川しかり、本文中に登場した土浦市の名もない小河川もそうだ。この理由は湧水、すなわち土中を通った水が様々なミネラルを含み、かつ水温が安定しているためであると考えられる。霞ヶ浦近辺でも流れ込みの小河川には沈水植物が繁茂する姿が見られる場合があり、その構成は近年入り込んだ外来種を別とすれば元々の霞ヶ浦の植物構成に近いはずで、水質改善や湖底の栄養分除去によって霞ヶ浦の植生が回復する可能性は十分にあると思われる。

(*5) 不定形のカルスは植物体の体をなしていない。元々の成長点やら枝先やらが潰れて塊になっただけ。しかしここから根や茎葉や植物体の形が出来るのは、細胞が初期化されて分化、つまり根や茎や葉、細かく言えば毛細根や維管束や葉脈に至るまで形成が可能になっている(全能性)ためである。初期化はエビモの越夏芽を考察する上での重要なキーワードであると思う。脚注3でエビモの越夏芽はムカゴ的性格、と書いたが形状はまちまちで、より正確に表現するとすれば、性格はムカゴ的、形状はカルス的、ということかも知れない。

(*6) 限られた環境(水槽など)で植物を育成すると気が付くが、植物の消費量が大きく最も枯渇しやすいのはマグネシウム(Mg)である。閉環境で植物育成に失敗する、またその症状を見るとマグネシウム欠乏症の場合が多い。また状況証拠ながらpHの高い涸沼(fig3、fig4の撮影地、茨城県東茨城郡茨城町、汽水湖)や土壌からミネラルの供給が多い湧水河川でエビモが休眠しないのはナトリウム(Na)が抑制物質になっている可能性があると考えている。

(*7) 水元公園の水生植物園は公園の北側にあり、自然地形を生かした広いエリアだが、水生植物にそれぞれ案内板が付いているわけではなく、公園の境界となっている小合溜の方にコウホネの大群落があったりしてやや存在感に欠ける。最近できた南側の里山風の展示エリアは手入れが行き届き、様々な里山の水生植物が見られるので個人的にはこちらの方が好きである。両方見りゃいいじゃん、と思うがこの広大な公園の北の端と南の端にあるので遊歩道の移動でも3km近くあってしんどい。それぞれ最寄りのバス停も路線が違うぐらいなので相当な距離があるのだ。知らない人が降りてしまう「水元公園」はちょうど中間地点にあってアクセスが宜しくない。

(*8) 様々な記事で解説していると思うが、工場排水や事業所、団地など汚染物質の発生源を特定できる「特定汚染源」に対し、汚染源が面的に散在し特定が不可能なものを指す。例えば道路には様々な汚染物質が堆積するが、これらが雨水によって側溝に流入、側溝は河川や湖沼に合流し水質を汚染する、といった具合。新型コロナによる外出自粛によって、本来ノンポイント汚染源となる場所での活動が減ったため汚染物質も減少したと考えられる。もしこの水路のエビモがそうした理由で復活したのであれば、制限解除によって再び絶えてしまう可能性も大きい。

(*9) 本Webサイト「彷徨う希少種 植物のCSR戦略 事例1」Chapter3 CSR戦略と彷徨性を参照。CSRは植物が生き残り戦略として、大別すると競合戦略(Competion strategy)、ストレス耐性戦略(Stress torerance dtrategy)、撹乱依存戦略(Rideral strategy)に分けられる事からその頭文字を取って名付けられたもの。エビモは一般的に消極的な競合戦略、つまり競合を避けるスプリング・エフェメラル的な競合を避ける戦術を取っている、と考えられていたが本稿で検証したように必ずしもそうではない事が分かってきた。越夏芽によって夏を乗り切るのは水質が著しく悪化する夏季をやり過ごし、発芽期に水質が悪くても成長するシステムを構築した、と理解できることから「耐環境戦略」とも呼ぶべき新たな生き残り戦略の可能性もあると思う。


【参考文献】


1.エピジェネティクス入門 佐々木裕之 岩波書店
2.大学生物の教科書1 細胞生物学 David Sadava他 講談社
3.動く植物 山村庄亮/長谷川宏司 大学教育出版
4.日本の水草 角野康郎 文一総合出版
5.水草の観察と研究 大滝末男 ニューサイエンス社


【画像データ】

・RICOH CX5 *2020.5.25(fig1,fig12) 東京都葛飾区 *2011.9.17(fig11) 茨城県土浦市
・Canon PowerShotG10 *2009.10.21(fig2) 千葉県成田市
・Canon EOS KissDigital N + SIGMA17-70mm *2007.8.14(fig3,fig4) 茨城県東茨城郡茨城町
・SONY DSC-WX300 *2015.5.27(fig5) *千葉県松戸市
・Nikon CoolPix E5000 *2004.4.29(fig6)茨城県稲敷郡桜川村(現、稲敷市) *2004.6.30(fig8)自宅育成 *2004.4.23(fig10)茨城県土浦市
・Canon EOS KissDigital + SIGMA50mmMacroF2.8(fig7) 東京都国立市
・Canon EOS KissX3 + SIGMA17-70mm *2010.5.2(fig13) 茨城県日立市

Field Note 越夏芽考 Ver.3
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