日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
ノジトラノオ
Photo : PENTAX OptioW90  Canon EOS 30D,EOS KissDigital
Tamron A061 SIGMA MACRO 50mmF2.8EX DG
(C)半夏堂
Feature Lysimachia barystachys Bunge.

サクラソウ科オカトラノオ属ノジトラノオ 学名 Lysimachia barystachys Bunge.
被子植物APGV分類 ヤブコウジ科 Myrsinaceae オカトラノオ属 Lysimachia
環境省レッドリスト2012 絶滅危惧II類(VU)
誤認
 元々自生が多い種ではないが、近年は激減という表現が相応しいほど見る機会が無くなっている。ネット上ではイヌヌマトラノオとの誤認も多く、(*1)、確実な自生地が不明となっている都道府県も多い。たしかに全体的な雰囲気はイヌヌマトラノオに似ている。ノジトラノオを確実に見分けるには「毛」の有無だろう。全草、特に開花前の花穂(画像参照)はかなり印象的だ。(*2)
 地元、茨城県でも現在では自生の有無は良く分かっていない。図鑑的表現を借りれば「やや湿り気のある原野」に自生するが、そんな地形は近在ではお目にかかったことがない。自生地は湿地周辺の地下水位の高い、遷移が進んでいない原野、という表現が相応しいだろう。加えて「原野」という表現も曖昧だが、人工物のない、またセイタカアワダチソウなど草丈のある植物の進出や森林化の初期段階以前の地形とも呼ぶべきか。簡単に言えば湿地や周辺の草木が繁茂し過ぎていない場所、ってところだ。そんな地形は何箇所残存しているだろうか。

 こうした地形は人為的に維持されている場合が大半だが、自生地として知られる渡良瀬遊水地は典型だろう。人為的な管理としては野焼きがあり、これによって大型草本、木本の進出を阻んでいる。湿地は遷移するが、渡良瀬の場合には越流もあり「やや湿り気のある原野」は何とか維持されている。(*3)環境省の絶滅危惧種情報検索によれば「26メッシュのうち2メッシュで絶滅し、7メッシュで現状不明である。現存するのは6メッシュで数個体、9メッシュで数十個体、1メッシュで数百個体、1メッシュで千個体以上であり、総計約4000個体と推定される。平均減少率は約80%、20年後の絶滅確率は約60%である。土地造成・道路工事・湿地開発が減少の主要因である」とあり、要するにノジトラノオの自生地地形は開発が進められ、残るは4,000株、20年後に6割の確率で絶滅する、ということだ。6割・・・今日の午後は降雨確率60%って出たら間違いなく傘を持って出る、そしてほぼ確実に雨は降る、そういう確率なんだろう。

 渡良瀬遊水地は幸いにも開発はない。主目的が遊水なので、度々冠水する土地に何か作ろうという物好きもいないし第一法的に問題がある(*4)。その意味では安定しているかも知れないが、別の問題があるのだ。それは、自分では幸か不幸か出会ったことがないが、ノジヌマトラノオ(ノジトラノオ×ヌマトラノオ、Lysimachia barystachys×fortunei)というものがあるのだ。名前を見ただけで両親が分かる雑種だが、ヌマトラノオはノジトラノオと自生地が被るだけに厄介だ。未確認情報ながらノジトラノオとオカトラノオも交雑するようだ。なにしろヌマトラノオとオカトラノオも交雑するので(イヌヌマトラノオ)3種のうち2種が混在するエリアでは余程慎重な同定が必要になると思われる。そういう交雑種も誤認しての「4,000株」なのかどうか見極めも必要だろう。

 さて、誤認の元となるイヌヌマトラノオ、ノジヌマトラノオ等との見分けはやはり「毛」の特徴。花穂を付けていない時期には茎葉を見る。画像は冒頭写真の部分拡大だが葉の縁、茎などに細かい毛が密生しているのが分かる。ノジヌマトラノオもノジトラノオの性質を受け継ぎ毛があるが、ノジトラノオほど密生はしないようだ。花が咲けばひと目で分かるスカスカ感もあってノジトラノオではない、と判断できると思われる。(思われる、のは筆者がノジヌマトラノオを未見だからである。場所は概ね見当が付くので、機会があれば撮影して画像を追加する)イヌヌマトラノオは毛がさほど目立たず、似ていると言われるが印象はまったく異なるので見分けは付くだろう。
 イヌヌマトラノオ、ノジヌマトラノオ、ノジトラノオ、ヌマトラノオ、オカトラノオ、どれか1種、できれば2〜3種の特徴を目で覚えれば同定はやや容易、似たもの同士だが言葉にし難い印象とも言うべき「雰囲気」があって見分けが付くと思う。

 こんなことをグタグタ書いているのは「残り4,000株」にイヌヌマトラノオやノジヌマトラノオがどの程度含まれているのか分からないからだ。ノジトラノオは関東では渡良瀬遊水地の湿地資料館(*5)で確実に見られるので興味があって未見の方は確認して欲しい。


(P)2011年6月 栃木県栃木市 湿地資料館にて

交雑

 意外なことにサクラソウ科の植物はわりと容易に交雑するようだ。前項で触れたイヌヌマトラノオ(Lysimachia x pilohora Honda)は本来自生地が異なるオカトラノオ(陸生)とヌマトラノオ(湿地性)の交雑種で、陸地にも湿地にも見られる。ただしヌマトラノオと交雑するということは陸地と言っても湿地周辺であるので、ヌマトラノオはともかく、オカトラノオの嫌気耐性がどうなっているのか(*6)興味深いところだ。
 このサクラソウ科オカトラノオ属の似たもの同士にはイヌヌマトラノオ、ノジヌマトラノオ以外にもそれぞれ交雑種が存在する。整理すると以下のようになる。

(1)オカトラノオ × ヌマトラノオ イヌヌマトラノオ
(2)ヌマトラノオ × ノジトラノオ ノジヌマトラノオ
(2)オカトラノオ × ノジトラノオ ノジオカトラノオ

 つまり「似たもの3種」は交雑によって倍の6種となる。6種程度であればそれぞれの特徴を精査して同定することは可能と思われるが、気になるのは交雑によって誕生した、イヌヌマトラノオ、ノジヌマトラノオ、ノジオカトラノオに稔性があるかどうかという点。
 未確認ながらイヌヌマトラノオとヌマトラノオとの自然交雑種も存在するらしく(学名はイヌヌマトラノオと同一)、それぞれ稔性がある可能性は高い。少なくてもイヌヌマトラノオはオカトラノオ、ヌマトラノオ同様2n=24の染色体を持ち、稔性があるとされている。ノジヌマトラノオ、ノジオカトラノオも同様であれば組み合わせは無限(は大げさか)になってくるので余程慎重に精査しないと種を特定できない事態も考えられる。もちろん最終的には遺伝子解析レベルのエビデンスが必要だと思うが、素人の野歩きではそこまで望むべくもない。
 出来ることはそれぞれの種の特徴を頭に入れて可能な限り詳しく精査することだ。もしかすると近所の休耕田のヌマトラノオはノジヌマトラノオ×イヌヌマトラノオでヌマトラノオに先祖返り?笑い話かも知れないが「人間が想像することは現実になる(*7)」らしいからね。

 くどいようだが環境省の自生地メッシュはそこまで考えられているのだろうか。別に私が気を揉むことではないが、何となくスッキリしない。疑っているわけではないが、渡良瀬のノジトラノオもエビデンスレベルでは管理者側による立看板で「ノジトラノオ」と掲示されただけ。オカトラノオ属は意外や意外、どうも一筋縄ではいかないグループらしい。
 さて、散々交雑の可能性に言及した上で何だが、上記のようにノジトラノオ交雑種(ノジオカトラノオ、ノジヌマトラノオ)は筆者未見。まさに「講釈師、見てきたような〜」を地で行く他力本願ながら、以下リンクに画像があるのでご興味のある方はどうぞ。

・ノジオカトラノオ 上州花狂いの植物散歩 ノジオカトラノオ
・ノジヌマトラノオ さいたま市の荒川堤と水田の花 ノジトラノオ内リンク観察会で出会ったノジトラノオとその交雑種達


(P)ノジトラノオの開花 2010年7月 栃木県栃木市 湿地資料館にて

後悔

 茨城県龍ケ崎市をご存知だろうか。何ら特徴のない地方の小都市で全国区の有名な史跡や名所もない。自然は豊かだったが、下手に首都圏に近いからか大規模な宅地開発が行われ、それも損なわれてしまった。要するにあまり特徴のない街だ。そんな街の中に奇跡的にスポっと自然が残っていて時折信じられない植生が見られたりする。私がはじめてヒメハッカを見たのもこの街(*8)だ。
 というわけで家から近い、霞ヶ浦方面へのアクセス途中等の理由で度々植物探査に行くが、ある時オカトラノオでもない、ヌマトラノオでもない、イヌヌマトラノオでもない「明らかにオカトラノオ属」の植物を見た。ロケーションは休耕田から農道に移る半湿地で、農道の反対側には雑木林が迫る日陰だ。オカトラノオ属であることはすぐに分かったが、どうにも違和感があって調べる気になった。
 違和感の理由は花弁の形で、前3者はやや丸みを帯びているのに対し、かなりスマートなのである。直感的にピンと来たのがノジトラノオだ。1株だけであり採集も憚られたので写真だけ撮って翌年以降を楽しみにしていたが、よくある話で絶えてしまったようだ。

 ピンと来なかったのがこの写真。デジタル写真にはexif(*9)という便利な「履歴書」が付いていて、見てみるとカメラは初代キスデジ、レンズは50mm開放F2.8なので当時の所持レンズからするとシグマの50mmマクロだ。ISO感度は400、絞りF4.0、SSは1/60秒。
 今から考えれば「植物撮影でなんてアホな撮り方」と思うが、暗い林縁で何とか手ぶれせずに撮ろうとした結果だと思う。今なら超高感度、手振補正当たり前だがデジタルの世界で9年前、浦島太郎状態なので言っても仕方がない。白トビもこの機種では仕方なし、ISO400も実用感度一杯(今では信じられないが)、これ以上絞ると写真にならない限界点だ。しかしこの写真だけでは今となっては同定の仕様がない。もちろん前述したようにノジトラノオであるという自分の判断は正しいと思っているし大切にしたい。後悔しているのはどうせ絶えてしまうのなら標本にして保管しておけば良かった、ということ。どうも上品(なのかな?)なので少数しか残存しない希少種は採集しようという気が起きない。

 撮影は2005年、9年経過して自分のサクラソウ科に対する造詣がどれだけ深くなったかは疑問だが、植物に詳しい友人達は増えた。力を貸してくれる方も多いので何とかなったかも知れない。なにしろどこをどう調べても茨城県では筑波実験植物園以外では本種は見つからない。大発見まで行かなくても中発見ぐらいには・・なったかも知れない。後悔先に立たず、いかんせん「後」悔であって、もとより「先」ではなく矛盾に満ちた言葉だが、今となってあらためて噛みしめている次第。


(P)ノジトラノオ? 2005年7月 茨城県龍ケ崎市

脚注

(*1) イヌヌマトラノオとの誤認が多いのは、花穂の垂れ具合が似ているせいだと思う。オカトラノオは花穂が垂れるが葉幅があり、ヌマトラノオは花穂が直立する、このどちらとも異なる雰囲気なので誤認の余地があるのだろう。葉茎の繊毛や開花していれば花弁(花冠裂片)の形で判別可能だが、悲しいことに市販の図鑑にはイヌヌマトラノオの名前が載っていることはノジトラノオ以上に稀だ。

(*2) 花穂の先端に見える「毛」は毛ではなく線状の苞葉。このイメージの花穂が確認できれば十中八九、ノジトラノオ。

(*3) 渡良瀬には野焼きというイベントがあって植物の多様性が担保されている。しかし2011.3.11の東日本大震災及び東京電力福島第一原発の事故により2年間野焼きが中止となった。野焼きの灰の中から芽を出して日を浴びるトネハナヤスリ、ヒキノカサ、エキサイゼリ、多くの希少植物の存続が危ぶまれ、渡良瀬のフィールドワーカー大和田真澄氏他の署名活動によって2013年に何とか再開されている。

(*4) 従来厳しく制限されていた河川敷の利用が平成23年3月に「国土交通省成長戦略に掲げる行政財産の商業利用の促進の観点」から大幅に緩和されることになった。原文はこちら。理由は諸々書いてあるが、河川敷に自生する希少な植物に付いては触れられていない。それは国土交通省の管轄ではなく環境省の管轄か。

(*5) コンセプトがタイトな予算を凌駕している好例がこの湿地資料館ではないだろうか。手作りながら必要な情報が網羅された展示、渡良瀬の希少な植物を集めた湿地植物園など「私のニーズ」にピッタリなのである。超広大な渡良瀬遊水地で見たい希少植物を探すのは絶望的な努力が必要かつ成果は見込薄なわけだが、ここに行けばすぐに見られるというすばらしさ。近年渡良瀬で発見されたアズマツメクサやキタミソウもしっかり展示があって、調査と育種も人材が揃っていると見た。

(*6) 素人ながらここ10年以上植物生理学の勉強を細々としているが、陸上植物と湿地植物の境界線は、植物体の根が持つ嫌気耐性の有無なのではないだろうか、と考えるようになった。フィールドワークでも完全な湿地に生える「陸上植物」、陸上に生える「湿地植物」など数多くの種を見てきた。一般の分類とは異なる境界線は確実にあると思う。ヌマトラノオとの交雑も含め、オカトラノオの嫌気耐性は非常に興味深い。

(*7) 「人間が想像することは現実になる」パブロ・ピカソの言葉。いいね!

(*8) ヒメハッカの群落があったのは中規模の沼の岸だが、ここ数年常に水没状態にあって存続は確認できていない。実は周辺の宅地開発によって水源が枯渇し(この沼は周囲の山林の保水力によって成立していたようだ)一度干上がってしまったのだ。しかし市が沼を中心にした公園化を考えていたらしく、人為的に上水を供給し続けている。結果的に湖岸の砂地まで沈めてしまい、多くの希少な湿地性植物の安否が不明となっている。

(*9) exchangeable image file format、画像データのことで、デジカメで撮影されたJPEG画像にはもれなく付いてくる。この情報を閲覧するためのツールもフリーウェアでダウンロードできる。位置情報が刻まれた画像、それも自宅で撮影した画像をうっかりネット上に上げると自宅住所まで分かってしまうこともあるので注意。

Feature Lysimachia barystachys Bunge.
日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
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