日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
マイヅルテンナンショウ
(C)半夏堂
Feature Arisaema heterophyllum Bl.

シソ科ミズトラノオ属 ミズトラノオ 学名 Arisaema heterophyllum  Bl.
被子植物APGV分類 : サトイモ亜科 Aroideae テンナンショウ属 Arisaema
Arisaema heterophyllum Bl.
環境省レッドリスト2015 絶滅危惧II類(VU)

撮影 2016年5月 栃木県(渡良瀬遊水地)
湿原の鶴
 水湿地にはテンナンショウ属の植物は少なく(*1)、本種は春の湿地では一際目立つ植物である。またテンナンショウ属は通常は雌雄異株であるが、本種は雄性個体と両性個体しかない。生態的に、また植物生理も変わった植物であると言えるだろう。
 湿地の一般的な植物、カヤツリグサ科、イネ科などの地味な単子葉植物の中にすくっと立つ姿はまさに湿原に舞う鶴、数多の植物の中でも出色の和名だと思う。テンナンショウ属の中にはウラシマソウやマムシグサなどの綺麗な(見方によっては不気味な)模様の仏炎苞を持つものや、ユキモチソウのように自然の造形の妙を堪能できる植物も多い。これらに比べれば何ら特徴の無いマイヅルテンナンショウだが、草体全体が醸し出す「品」は勝るとも劣らないと思う。

 そんな上品で美しいこの植物も見る機会が激減している。理由は他の湿地系希少植物と同様に自生環境の喪失である。居住地の近場では記録がないので元々どの辺にあったのか知る術がないが、少なくても私が湿地植物に興味を持ち出した2000年頃から小貝川の氾濫原と渡良瀬遊水地以外に見つけたことはない。ある意味絶滅危惧II類(VU)というランク通りの結果だが、季節(開花期)を決めて、目的を持ってピンポイントに行かないと見られない植物の一つになっている。
 審美眼に秀でているとは言えない私の目にもこれだけ美しく見える植物だけあって、園芸用途にも需要(*2)があるようだ。以前個体数が多く自生していた渡良瀬遊水地の子供広場付近(旧谷中村史跡ゾーン)では数10株単位でごっそり盗掘被害にあっており、今でも復活していない。やられた数から考えれば山野草マニアの仕業ではなく、おそらくネットオークション等で転売する金銭目的の盗掘だろう。
 そもそもこんな生育環境を選ぶ植物を育てられるのかどうか、買ってどうするのか不明だが、買う側も転売目的とすれば納得したくないが納得はできる。しかしモラルもさることながら美しい湿原の植物を金に結び付ける貧しい精神構造は納得できない。こういう精神構造の奴らが世界遺産に落書きするのだろう。しかし精神は貧しくても異常に鼻は利くようで、妻の実家の裏山にあった斑入りのムラサキマムシグサもいつの間にか根こそぎ掘られていた。通過交通もなく道は山中に消えるような、偶然人が入り込むような場所ではない。何の変哲もないマムシグサも班が入ればお宝に化ける。転売するということは買う人間がいる、ということで我々特殊なジャンルの植物ファンも含めて山野草マニアは罪深い。猛省。

 人間、経年変化により欲求が縮小するらしいが、その原則通り自分も植物採集の機会が激減している。2016年に採集したのはオランダガラシ(食用)とミズオオバコの2種類だけ。「欲求が縮小」と言うよりは環境を整えて育成する手間が面倒くさいという理由が勝っていることは自覚しており、簡単に言えばぐうたらである。しかし植物に会いたい時に会える場所がある、という重要性は分かっている。「手に取るなやはり野に置け蓮華草(*3)」と言うではないか。


(P)茨城県常総市 2011年5月

Elaiosome
 テンナンショウ属の花の構造は非常に複雑で、外側を包む仏炎苞(*4)(これはその名の通り花ではなく苞)があり、基部は肉穂花序を包む筒部、外に開口する口辺部、上部に広がる舷部から成る。この「カバー」が後述する受粉システムに一役買っている。
 仏炎苞内部の肉穂花序には多くの種で付属体(長く伸びる鞭状の部分)が付き、マイヅルテンナンショウの場合ほぼ真上を向く。右画像でも垂直に伸びたものが確認できる。花はこの肉穂花序の根元付近(仏炎苞に隠された基部付近)に付いている。

 この構造はとても精緻な仕組みで、ある種の意思、または企みを感じるものになっている。テンナンショウ属は虫媒花(*5)であるが、キノコバエ科のキノコバエという種を受粉に利用している。ハエは独特の花の匂いに群がって来る。人により好悪は分かれる香りだがハエにとっては香しいようだ。余談ながら「ニオイテンナンショウ」という種(中国原産、園芸用途で輸入される)もあるほどだ。
 雄株ではハエが仏炎苞に入り込むと付属体の「ネズミ返し」によって上部から出にくくなっており、中で歩き回ることで花粉を身に付け、下部の隙間から脱出する。一方雌株では同様の構造ながら下部に隙間がなく脱出不可能なので、虫が生きて動き回る限りたっぷり受粉できるものになっている。

 この受粉に向けた用意周到な仕組みは人間が考えてもなかなか思い付かない合理的な構造になっているが、無宗教な私にも神の存在を感じられる部分だ。さらに結実後の種子散布にも精緻なシステムが用意されている。この際に役割を果たしているのがビジュアル的にパッと見こけおどし以外の目的が見いだせない鞭状の付属体である。
 付属体にはエライオソーム(Elaiosome 脂肪酸、アミノ酸、糖で構成される物質)という物質が含まれており、このエライオソームが蟻を誘因する。この物質はテンナンショウ以外にスミレやカタクリなどの植物の種子にも付着しており役割は同一である。実態はやわらかい付着物で、種子をアリに運んでもらうために進化したものだ。誘引された蟻は餌として種子を巣に持ち帰り、エライオソームのみを食べる。種子は運搬された場所で発芽し版図を拡げるという寸法。実によく出来ている。

 この手の話を見聞きする度に思う事だが、植物は進化の過程でどうやって虫の存在を知ったのだろうか。虫がいない、または存在を察知しなければ虫媒花というシステムは成立しないし、蟻に種子を運搬させるためには蟻の存在もさることながら、好み(エライオソームは食べるが種子はついでに運ぶだけ)も知らなければならない。植物生態はシステムとしては理解できても、その成立要因というか条件がまったく分からない。植物には解明されていない「頭脳」があって、生き残りのためのシステム設計をしているとしか思えない。そうでなければ、それこそ神が造ったものだろう。フィールドワークと宗教、まったく無関係な話がリンクしてしまいそうな、ある種の威厳を最も感じるのがテンナンショウだ。


(P)茨城県常総市、ノカラマツと混生する 2011年5月

春の湿地


チョウジソウ、ノカラマツ、ハナムグラと混生 2011年5月


 マイヅルテンナンショウの花期は5月〜6月、この時期かれらが自生する湿原では多くの希少植物も開花する。自宅から最も近い自生地ではごく狭い地域に絶滅危惧種が集中し、花畑を形成する。
 河畔林の林床にはチョウジソウ、開けた湿地にはノウルシ、アシ際を見るとヒキノカサやエキサイゼリ、どこを見ても絶滅危惧種のオンパレード。少し季節が進むと同所でノカラマツやハナムグラ、タチスミレも開花する。

 この湿地は野焼きは行われないが、都度冠水する氾濫原であるために適度の攪乱(湿地植物にとって)が発生し、またこの理由によって人工物がない、開発もされないという好条件が揃っている。こうした地形はありそうで無く、近場の利根川や鬼怒川でもあまり見られない。これらの河川ではゴルフ場、野球グラウンド、市民農園、それらのための駐車場、トイレなどで開発されている。場所によっては広範囲にアスファルトで固められており、植物が入り込む余地も極めて限られたものになっている。この湿地は撹乱はあるが、ある意味安定していると言えるだろう。
 また私見ながら、この攪乱の実態は土壌の更新ではないかと考えている。河川が運搬する、植物の生育に不可欠な物質を豊富に含んだ土砂が年に何回かの氾濫によって積み重なる。表層の古い土砂は同時に流出する。

 一方、これだけ自然度が高いということは不快・危険生物も多い。マムシ、ムカデ、スズメバチ、しかしマイヅルテンナンショウや上記植物が開花する季節は夏に比べれば気温も低くあまり活動していない。もっともこうした湿地は真夏には植物的に「端境期(*6)」に入るので、あえて行く必要が無いのが救い。
 生物ついでに余談だが、子供の宝物、クワガタやカブトムシはクヌギやコナラなどブナ科の木が多い雑木林に生息するものと考えていた。しかしこの氾濫原や周辺の河川敷を見ると、こちらの方が個体数ははるかに多い。基本的に湿地なので、発酵した何とも言えない強い樹液(*7)の香りを広範囲に拡散するクヌギやコナラは少ないが、集まるのは意外にもカワヤナギ(ヤナギ科)である。カワヤナギの樹液はあまり匂うことはないが、カナブンやケシキスイ(時にスズメバチも)とともにどこからともなく夕方に集まってくる。カワヤナギの密度の濃い葉をかき分けてみると必ず何匹かは見つかるという生息数の多さ。こういう姿を見ていると彼らはけっして里山に特化した生物ではないと思う。あるいはここに集まるのは里山が極端に減少してしまった一帯で生き残るための代替手段なのだろうか。

 マイヅルテンナンショウはこうした自然の営みを容易に目にすることができる湿地に自生している。条件が揃った湿地が少なくなっている現状に鑑みれば、繰り返しになるが目的を問わず採集すべき植物ではないと思う。テンナンショウ属なら他にもっと綺麗で興味深い植物がある。(それも山野草範疇なので必ずしも採集はお勧めしないが)見たい時に見に行ける場所があるということがこれほど切実に感じられる植物はあまりない。


(P)同所的に開花するチョウジソウ。茨城県常総市 2011年5月

河畔林の林床に出現するノウルシの花畑 2014年4月 同所 アシ際に咲くヒキノカサ 2011年5月 同所

脚注

(*1) 基本的にはテンナンショウ属で湿地植物として認知されているのは本種、マイヅルテンナンショウのみである。しかしその「湿地」の概念次第で話は変わってくる。多少の湿り気がある林床や原野にはウラシマソウ、マムシグサなどが進出するし、マイヅルテンナンショウ自体も冠水している場所や水中から立ち上がることはない。彼らが混生している姿を見たことはないが、可能性は十分あると思う。このように考えるとマイヅルが湿地植物でマムシグサが山地性(陸生)とは一概に言えない気もする。
 当地に自生するテンナンショウ属では、ウラシマソウは平地の林、マムシグサは低山、マイヅルテンナンショウはもちろん湿地と「棲み分け」が綺麗になされているが、たまたま残存したのがその地形なのか、もともとその地形に適した植物なのかという点は確証がない。そもそもサンプリングを行うほど多くの自生地が残存していない。この点、今後研究の余地があると思う。

(*2) 「マイヅルテンナンショウ 販売」で検索すると多くの植物通販サイトがヒットする。絶滅危惧II類(VU)の植物がこれだけ流通している事実に驚きだがどのサイトも判で押したように産地情報は掲載していない。元々は山採りであるのは間違いないと思うが、こうして広く販売できる栽培技術が確立されているのだろうか。そうであればぜひ教えて欲しいところだ。(もちろん皮肉)
 絶滅危惧種だから採集・販売してはいかんという法律はないが、その事実がこうして自生地からの消滅を招いているのであれば再考して欲しいところだ。難しいのはこのクラスの植物の多くが農地(水田)にあることで、一律の規制は不可能なのかも知れない。行きつくところ個々人のモラル、ということか。しかしこの言葉は植物マニアの心には届いてもお金マニアの心には届かないのが悲しい。

(*3) 滝野瓢水(1684-1762 俳人)の句。有名なこの句は彼が遊女を身請けしようとする知人に贈ったもの。転じて警句、諺として「やはり野に置け蓮華草」が定着している。大意はレンゲは野にあるからこそ美しい、を例えとして「そのものに合った環境に置くのがよい」というもの。

(*4) 肉穂花序を包む大形の苞葉(苞)で、最も目立つが花そのものではない。サトイモ科テンナンショウ属、オランダカイウ属、ヒメカイウ属、ミズバショウ属などに見られる構造。園芸植物のアンスリウムやスパティフィラム、農作物のコンニャク、アクアリウムプランツのクリプトコリネなどにも見られる。仏像の背後の炎を模した飾りに似ていることから来た呼称。花の構造の一部に見えるが、葉の一部である。

(*5) 昆虫類の媒介により受粉が行われる花。またはその植物を指す用語。花冠が美しい、蜜が出るなどの昆虫誘引要素の他、花粉に突起や粘着性を持ち可搬性を高めているなどの特徴を持ったものが多い。受粉システムの相違により、風媒花(風で受粉)、鳥媒花(鳥によって受粉)、水媒花(水の流れで受粉、水草に見られる)などに分類される。
 意外なのが強害草のドクダミ(いつも自宅で苦労されられております)で、見方によっては観賞価値もある白く目立つ苞があるが虫媒花ではない。それどころか風媒花でもなく、受粉せずに結実するのである。地下茎も深く除草剤が浸透しないので根絶できない上に、開花すれば確実に結実する。テンナンショウ属のように精緻なシステムは芸術的だが、どこかで狂いが生じればアウト。ドクダミのようにどう転んでも生き残る仕組は最強かも知れない。

(*6) 物事の入れ替わりの時期の意。一般湿地では春先と初秋に個人的に興味のある植物が出現・開花し、真夏にはさほど興味ある植物がないためにこの表現を使用した。夏に植物がないわけではなく、むしろ成長が著しいために立入が出来なくなる場所が多くなる程繁茂する。この時期には本文にあるような危険・不快生物も活発になるので好都合。

(*7) ご存知の通り、植物は光合成によって水と二酸化炭素から糖を作る。(かなりプロセスをはしょっているが)雑木林ではこの糖を頂くためにスズメバチが傷を付けた跡や、幹に潜り込んだカミキリムシが開けた孔などから樹液として出てくる。この糖(樹液)が微生物によって発酵したのが件の匂い。(知っている人しか知らないと思うけど)発酵により、糖からアルコールと有機酸、炭酸ガスが生じるが、雑木林に漂う香りはどちらかというとアルコール寄りの香りのような感じがする。この香りがクワガタやカブトムシがいる雑木林のサインでもある。

 

Photo : Canon EOS6D/EF100mmF2.8L Macro IS USM ・EOS7D/EF70-200F4L IS USM/EF-S60mmF2.8 Macro PENTAX OptioW90 RICOH CX4 SONY DSC-WX300

Feature Arisaema heterophyllum Bl.
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