日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
ヒキノカサ
(C)半夏堂
Feature Ranunculus ternatus Thunb.

キンポウゲ科キンポウゲ属 ヒキノカサ 学名 Ranunculus ternatus Thunb.
被子植物APGV分類 : 同分類
環境省レッドリスト2017 絶滅危惧II類(VU)

撮影 2011年5月 茨城県常総市

【ヒキノカサ】
*湿地に自生する小型のキンポウゲ属植物。他のキンポウゲ属植物に似るが一際小型(草丈10〜30cm程度まで)であること(別名コキンポウゲ)、根が紡錘状に肥大することが特徴である。葉は単葉で深く3裂する。花期は4〜5月で、まばらな総状花序に約1.5cm径の黄色い花をまばらに付ける。花弁には強い光沢があり、写真撮影ではAEの際、花弁に露出が引っ張られる撮影者泣かせの花の一つ。
 小型であることが災いし、荒廃の進んだ湿地ではアシなどの大型植物に被覆されて絶えてしまう。これが減少の主因であると考えられる。近隣でも冬季の野焼きやアシ刈など人の手が入る湿地でのみ見ることができる。

環境依存

希少となったワケ


 小さな草体と花を見ていると、どこにでもありそうな植物に思えるが、環境省レッドリストでは絶滅危惧II類(VU)という意外に重いランクの希少種である。どこかで見たような気がするのは水田付近でも見られるタガラシやキツネノボタンなど近似の植物の印象が似ているから、かも知れない。
 実際に探してみると水田地帯はもちろん、自然度の高い(と思われる)自然湿地にも見られず、一定の条件を満たした湿地にしか見られない。(詳しくは後述)

 ヒキノカサという和名は秀逸で「蛙の傘」であるとされている。草体の大きさや湿地という自生環境を見事に表現しているものだと思う。ただ個人的にこの説には異議があり、蛙の古語は「川津」(かわず、かはつ)で万葉集の時代から芭蕉の「かわず飛び込む」まで一貫して用いられている。
 ヒキ=カエルという解釈はやや強引で、ここは素直にヒキガエル注1)の傘=ヒキノカサと素直に解釈した方が腑に落ちる。どちらにしても湿地を想起させる優雅な名称だ。

 さてその「湿地」。一定の条件を満たした湿地と書いたが、それは簡潔に言えば定期的に人為的攪乱が発生する湿地である。それも春先の野焼きなど今ではあまり見られない、やや規模の大きな攪乱だ。その「今ではあまり見られない」イベントが一定の条件となっているために、ヒキノカサ自体が「今ではあまり見られない」=絶滅危惧II類(VU)となっている。逆に言えば野焼きを確実に行う湿地、渡良瀬遊水地や田島が原、小貝川氾濫原の一部などではほぼ確実に見ることができる。

 余談ながら湿地の野焼きの主目的は歴史的にアシの品質の担保である。工業化以前、生活用品の材料としてのアシは重要な資源植物であり、ヨシズなど生活用品の材料であったのだ。他にも同所的に自生し、笠や蓑の材料となるカサスゲ、アゼスゲなども野焼きの有無によって発生量や品質に差異があると考えられている。野焼きで前年の枯死体を取り除き、日照を確保するのと同時に土壌の更新注2)を行うことで当年度、それらの良質の原料を得ることが目的であったと考えられる。しかし今や市民団体やNPOが行う野焼きはおしなべて「野焼きによって、湿原の植生や生態系を維持」と謳っている。本来副次的に得られていた現象は本来の目的となり主客転倒の感がある。
 とは言え、近年の「生命に危険が及ぶ猛暑」により、またそれに伴うエアコン用の電力需要の増大によりヨシズはエコな猛暑対策のツールとして見直されている。ヨシズは金属製品やプラスティック製品ほどの耐久性はないが、その分買い替え需要がある。渡良瀬遊水地に面した茨城県古河市では現在でも昔ながらのヨシズ製造所が何軒か見られる。これらの事業所にとっては野焼きは「湿原の植生や生態系を維持」ではなく、古来からの主目的、アシの品質を担保する重要なイベントであることは間違いない。

 ヒキノカサは典型的なスプリング・エフェメラル注3)である。開花が見られる時期は4月から遅くても5月中旬ぐらいまで(関東地方基準)。湿地に付き物のアシなど大型草本植物が伸びきって繁茂する頃には結実までのライフサイクルを終了し草体は消えてしまう。見かけ上はCSR戦略注4)上の撹乱依存戦略(Rideral strategy)のように見える。しかしヒキノカサ単体ではなく、キンポウゲ属全体の生活史を考えるとまた別の側面も見えてくる。次項ではこの部分を考えてみたい。


(P)2016年4月 埼玉県さいたま市 アシが伸びきる前の日溜まりで開花

生き残り戦略

表にできない多面性


 他種キンポウゲ属でどちらかと言えば「邪魔な雑草」のタガラシやキツネノボタンはヒキノカサや同属希少種のコキツネノボタン注5)と何が違うのだろうか。種が持つ固有の強さ、と言ってしまえばそれで終わる話だが、それでは話の発展性がない。物事、何でも一面真実というのは逆に言えば一面虚偽なのである。

 右図は拙作、水草雑記帳の「彷徨う希少種 植物のCSR戦略 事例1」で作成した概念図の再録である。ヒキノカサやコキツネノボタンは、あくまで現状の自生地による評価であるが、概念図の撹乱依存戦略(Rideral strategy)を取っている。
 一方、里山や人家近くの環境に自生するタガラシやキツネノボタンは、これも現時点の自生地からの評価であるが競合戦略(Competion strategy)を取っていると考えられる。他種に負けないように草体が大型になったり、食害を避けるために有毒であったり(草食家畜の被害が問題になることがある)と、いくつかの「武器」を持っている。
 武器がすなわち種が持つ固有の強さ、と見ることもできるが、けっしてそうではないと思う。それは結果であって原因=生き残っている要因ではない。もちろん少なからず影響はあるし無関係というわけではない。しかし原因と結果を混同してしまうと少なくても「物事を考える」スタンスではなくなってしまう。

 個人的見解ながら植物の生き残り戦略には優劣はなく、生き残り戦略がはまって隆盛となっているか、裏目に出て絶滅危惧種になっているかという現時点のスタティックな評価よりも、自生する地形やそこに発生するイベントにあわせて進化してきた能力を見る必要がある。ヒキノカサは「弱い種」なのではなく、撹乱依存戦略、その具体的な手法としてスプリング・エフェメラルとなった。それがすなわち「武器」ではあるが、武器が通用するフィールドがなくなれば無力である。これがすなわち絶滅危惧II類(VU)の現状である。
 人為的攪乱も放置も人の為せる業であるが、植物がこれを積極的に生き残り戦略に活かしている点は興味深い。自然という概念は奥深いが、まったくの放置、人の手の加わらない状態を「自然」と称する極端な見方もあるが、現実にこうして人為に寄り添う自然もある。人為的攪乱の下で生きる植物達の多くが滅びかけている現状、自然に対するパラダイムシフト注6)も必要だ。
 この点、分かりやすく言えば、よく言われる「何も置いて来ない、何も持ってこない」自然環境だけが自然ではない、ということ。身近な例でいえば人間の都合で水を入れ、逆に干し、耕起する水田には多くの絶滅危惧種植物がある。彼らはすでに人間が行う攪乱に依存した生き残り戦略を身に付けており、「何も置いて来ない、何も持ってこない」環境では生きられない。こうした「自然」もあるということ。

 さて、「種の強さ」という曖昧模糊とした概念を紐解けば、自生地に特化した能力(武器)であると言うことも出来るが、それはあくまで自生地の盛衰とリンクした相対的なものであって単独で評価できるようなものではない。簡単に言えば強くて蔓延って困るオオフサモも水がなければ生きることができない、ということ。何万年か後に砂漠を覆うオオフサモが出現しているかも知れないが、少なくても現在は水湿地という環境なしでは意味のない「種の強さ」である。
 前述したようにヒキノカサは撹乱依存戦略(Rideral strategy)は優れたモノを持っている。しかし他の植物が同所的に撹乱依存戦略(Rideral strategy)を持った場合、今度は競合戦略(Competition strategy)が存続の鍵を握ることになる。このように「種の強さ」は一面的に評価することができず、絶滅危惧種がなぜ絶滅を危惧されるのか、という根本的な問いに対する回答にはなっていない。

 スプリング・エフェメラルは客観的に見て合理的な生き方だ。しかし大規模に野焼きが行われ、日照を遮るものがない、いわゆる焼け野原に生える渡良瀬遊水地のトネハナヤスリやエキサイゼリ注7)などとは少しイメージが異なる。ヒキノカサの場合はやや時期が遅く4月下旬から5月ぐらいに開花する。(関東地方基準)前項の画像は4月下旬(4月20日)であるが、すでに写っているようにアシやその他の植物がそこそこ伸長している。ヒキノカサは彼等が本格的に繁茂し生存に必要な日照を完全に遮断するまでの間に開花・結実する。いわばレイトスプリング・エフェメラルだ。
 より早い時期に成長する種に比べて気温や日照時間などの条件は間違いなく良いはず。この好条件と他大型種による被覆のリスクを天秤にかけた「絶妙の時期」がヒキノカサの適期なのだろう。だからこそ野焼きが生存条件の大きなウェイトを占めると思う。攪乱依存戦略も画一的なものではなく、バリエーションが存在するのだ。

似たもの

自生地問題


 ヒキノカサが自生する湿原では基本的には似た植物は少ない。強いていえば同属かつ同時期に開花が見られるキツネノボタンやケキツネノボタンだが、彼らはどちらかと言えば競合戦略(Competion strategy)を取るために、草体がやや大型で自己主張が強い。また場所により大群生も見られることから排他性も強いと考えられる。ヒキノカサの実物を見れば一目で区別ができる。葉形も大幅に異なるので誤認することはほぼないと思う。

 困るのはキツネノボタン(ケキツネノボタン)が良く言えば柔軟、悪く言えばアバウトな成長を行うことで、生育条件によってはかなり小型草体のまま開花する。草体全体が未熟のためか、葉形もヒキノカサと似たように見えることもある。種の存続(繁栄)という点ではネオテニー(幼形成熟)的な方法論も持っているのだ。こういう株は一見キツネノボタンには見えない。
 このような場合、確実に判別するには地下茎を見る必要がある。ヒキノカサは画像のように紡錘型の根茎を持つ。この特徴は前掲種には見られないので決定的なポイントになる。
 ヒキノカサは希少種であるし引っこ抜いて痛めつけるのも気が引けるが、前述の通りヒキノカサは自生地そのものにリンクした植物の性格が強く、まさに「ある所にはある」典型的な植物なのだ。確認のために一株二株引っこ抜いても、それがためにどうこう、ということはない。この点では私は「絶滅危惧種だから」という画一的な判断はしていない。現在の里山放棄の状態が続けばカブトムシやクワガタが絶滅危惧種になるかも知れないが、それは人間が採集したからではなく、手入れされた里山という生息環境が失われたためだ。

 ちなみにアマチュア植物界、要するに私が日頃やりとりをさせて頂いている仲間同士、グループの用語になっている「ある所にはある」という概念には意味が二つある。一つはヒキノカサのように条件が揃った場所にはごく普通にあるが他所では一切見られないという意味(自生地依存)、もう一つは自生がかなり偏っていて全国的には希少だが当地ではごく普通に存在する植物、という意味。(地域性が強い)これにはミゾコウジュやホソバイヌタデなどが該当する。後者はともかく、ヒキノカサや前出トネハナヤスリ、エキサイゼリなどの植物は、その湿地に対する人為的介入が途絶えてしまえば一気に消滅してしまう。こうなると数少ない自生の何分の一かが絶えることになり、由々しき問題だと思う。

 小型のキンポウゲ属(Ranunculus)としては他にイトキンポウゲ(Ranunculus reptans L.)とトゲミノキツネノボタン(Ranunculus muricatus L.、別名トゲミキンポウゲ)などがあるが、イトキンポウゲは本州では尾瀬や日光周辺などの高地や北海道などの寒冷地に限られた自生地があるだけなので、目にする機会も極端に少なく考慮する必要はないだろう。植物体もその名の通り線状(葉身と葉柄の区別がない葉で幅が1mm程度の糸状)のイメージなので紛れる可能性はない。
 トゲミノキツネノボタンは最近関東地方でもよく見かけるようになった外来植物(ヨーロッパ・西アジア原産)だが、葉の形状、集合果の形状、株の密生度がまったく異なるので誤認する可能性は限りなく低いと思われる。むしろこんなものがヒキノカサの自生地に入り込めば存続の危機要因となるだろう。本種は渡良瀬遊水地谷中湖付近でも目撃注8)しているが、ヒキノカサの自生地とは土壌水分が異なる地形を好む印象もあるので、脅威となるかどうか今後の観察が必要となると考えられる。


 今回、本稿を書くにあたり写真を綿密に(デジタルになってから15年分)調べたが、本種を撮影したのは驚くべきことにたった3か所、すなわち小貝川氾濫原、渡良瀬遊水地と埼玉県さいたま市の田島が原のみであった。もっと様々な場所で見ているような気もしたが、(見れば性格的に必ず撮影しているはず)これだけ様々な湿地に行っているわりには少ないことに驚いた。もっとも環境省レッドデータでは表記の通りなので本来簡単に見られるものでもないのは事実。


(P)2011年5月 茨城県常総市 紡錘型の地下茎 氾濫原湿地


脚注

(*1) 両生類の世界も分類が細分化されており、近畿地方以西に分布するニホンヒキガエルと東北地方以南、近畿山陰にまで分布するアズマヒキガエルに分かれている。以前はヒキガエル(ガマガエル)とのみ表記されていたように思う。分類の根拠は鼓膜の大きさ、眼と鼓膜間の距離などによる。
 当地、筑波山名物「四六のガマ」は前足の指が4本、後足の指が6本であることを示唆しているが、正確には前足指4本、後足5本である。また薬効のある軟膏はガマガエル由来ではなく、湿地植物のガマ由来である。こうして見ると「筑波のガマ」は最初から最後まで意味がないものに思えるが、筑波のガマは売り口上が伝統芸能なのでそこを突っ込んではいけない。

(*2) 野焼きを行えば草は灰となるが、実はこうして作るのが草木灰(そうもくばい)である。草木灰はカリウムと石灰分を含む肥料であり、特に水溶性のカリウムが多く即効性に優れる肥料として用いられている。強いアルカリ性を示すが、微生物の活動によって大量の有機酸が存在し、強酸性に傾く湿地では土壌の更新の効果があるはず。人為的な介入のない湿地では植生が一定のものになりがちだが、土壌pHも関連性があるのではないかと個人的に考えている。

(*3) 春先に成長し、開花・結実まで行い初夏には姿を消してしまう生活史をもった植物の総称。本文にあるように気温や日照、また虫媒花であれば花粉を媒介する昆虫類の活動が不活発などのデメリットがあるが、これらのデメリットよりも同所的に自生する強力な他種の方が脅威である、という「生き方」なのだろう。ephemeralは英語の形容詞で「つかの間の」、「はかない」、「短命な」などの意味を持っている。湿地にはヒキノカサ以外にもわりとスプリング・エフェメラルが多い。

(*4) イギリスの生態学者ジョン・フィリップ・グライムが1970年代に提唱した植物生態学の用語。一般には「植物の生存戦略C-S-R三角形」と表記されることも多い。本文図の通り、CSRはそれぞれの生存戦略の頭文字を取ったもの。生存戦略は単独では成立せず、それぞれ自生する環境が付随している。実際にこの理屈通り綺麗に分かれるか、というと必ずしもそうではないが、では他に腑に落ちる理論があるかというと無い。少なくてもベクトルのスタート地点、最も攪乱されず最もストレスが少ない地形には植物が押し寄せるように生えるわけで、この状況下では競合によって強い種が残ることは日常的に見られる。

(*5) Ranunculus chinensis Bunge. コキツネノボタンの「コ」はサイズ感を示唆しておらず、意外に草体は大きい。キツネノボタンやケキツネノボタンに似るが、意外な希少種でヒキノカサと同ランク、絶滅危惧II類(VU)である。自生地でも全般に個体数が少なく、自分も渡良瀬遊水地で探し始めて3年目にして初めて巡り合っている。ほぼどの湿地でも見られる前述種と決定的に何が違うのか、よく分からない。

(*6) 自然全般というわけではないが、湿地植物と言うごく限られた「自然」に付いて、より多くの事例を見聞するに付け、ありのままではなく適度に人間が手を入れなければ存続が困難なのではないか、という考えに至っている。特に里山の湿地植物達は農業環境の変化、里山のライフスタイルの変化によってマイナス方向の影響を多大に被っている。それは野焼きのみならず、パイプラインの設置によって役割を終えつつあるため池、生産効率や就労人口の高齢化、輸出入政策の転換によって放置が進む棚田など全般的に見られる状況である。

(*7) どちらもスプリング・エフェメラルかつ絶滅危惧種で、野焼き跡の早春の渡良瀬遊水地では数多くの株が普通に見ることができる。トネハナヤスリは最初に発見されたのが自分の地元である茨城県取手市の利根川河畔(和名の由来ともなった)だが、野焼きなどの人為的な手が入らなくなったためか、運動場やゴルフ場、公園などの整備が進んだためか、現在では見られなくなっている。またエキサイゼリは利根川支流の小貝川氾濫原に自生するが、同様に野焼きが行われない場所では見かけることが少ない。

(*8) 渡良瀬遊水地の南部、谷中湖に通じる道路の両側草地に定着している。遊水地内ではあるが、道路部分は調整池水面から数mは標高が高く、他の植生を見る限り陸地型の地形だ。トゲミノキツネノボタンが完全な湿地植物であるかどうかは不明であるが、少なくても乾燥耐性はあるようだ。本種が湿地植物の脅威となるのは逆に湿地に入り込む場合だが、地下水位が高い利根川河川敷でも見ており、同所的にムラサキサギゴケなどの湿地植物も生えているので予断は許されないだろう。



Photo :
Canon EOS7D + EF24-105 F4L IS USM
SONY DSC-WX300
RICOH CX4
Date :
2011.5.3・同5.13(茨城県常総市) / 2016.4.20(埼玉県さいたま市)

Feature Ranunculus ternatus Thunb.
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