日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
ガガブタ
(C)半夏堂
Feature Nymphoides indica (Linn.) O.Kuntze

ミツガシワ科アサザ属 ガガブタ 学名 Nymphoides indica (Linn.) O.Kuntze
被子植物APGW分類 : 同分類
環境省レッドリスト2019 準絶滅危惧(NT)

撮影 2015年8月 茨城県古河市(fig1)

【ガガブタ】
*自宅で育成している、という点ではヒメハッカやミズユキノシタと並んで最も付き合いが長い水生植物の一つだ。そもそも霞ヶ浦沿岸部、石岡の高浜入という湿地帯の水たまりにあった一株を拾ってきたのが始まりだが、年々増えて人に贈呈したり専用の環境を拡大したりもしてみたが、それでもどうしようもなく毎年相当量を廃棄している。とても絶滅危惧種とは思えない強靭さだが、拾った場所に何年かぶりに行ってみた所、綺麗さっぱり消えていたのでやはり自然下で生きるのが辛くなっているようだ。
 自宅で育成している多くの水生植物は私以外に見向きもされないものがほとんどだが、このガガブタだけは家内も毎年花を愛でる。それだけ造形美というか、繊細な形と色合いの花である。先行して4月ぐらいに開花するミツガシワと花が似ているが、よく見るとミツガシワには中央の黄色い部分がなく、何となくコントラストが低く感じる。その代わり、ってことはないがミツガシワは花茎に咲くので見ごたえがある。お気に入りの花としては甲乙つけ難い。

和名
使われなくなった古語

 はじめてガガブタ、と聞いた時に思い浮かべたのはスブタである。もちろん酢豚ではなく植物、トチカガミ科のBlyxa echinospermaである。同じ「ブタ」だがもちろん「豚」ではなく、一説に中部地方の方言で乱れ髪をスブタというらしい。(裏は取っていない)これに由来すると言い切る情報もあるが、たしかに水中で育つ草姿は櫛を入れていない乱れ髪に見えなくもない。のっけから脱線で恐縮だがスブタをアクアリウムで「ブリクサ」と格好付けて属名で呼ぶ人がいて、それを聞いたビギナーが「ぶり草」(そりゃどんな草だい)と勘違いして笑った覚えがあるが、学名にも誤解の余地があるんだなぁ。

 一方、ガガブタの「ブタ」は髪ではなく、蓋である。こちらも分かりにくいが、鏡の蓋、ガガブタで浮葉を例えた和名であるとされる。鏡の蓋、現代人たる我々はそもそも鏡に蓋があるのか?と不思議に思うが昔々は付いていたのだろう。昔からあって目立つ植物なので、近代になって付与された和名ではないようだ。こうして語源や意味が失われ、形骸化した名称のみ残っている植物と言えるだろう。


2012年9月 自宅育成株 野菜用プランターで育成しているが毎年凄まじい数が開花する(fig2)


想像力

 ややしつこく和名の話が続くが、ガガヌタの語源を「鏡の蓋」とした場合に、同じミツガシワ科のアサザ、ヒメシロアサザ、浮葉を出すという点においてマルバオモダカやヒツジグサはなぜ「ブタ」ではないのだろうか。牧野富太郎以前注1)の植物和名は人口に膾炙する、要するに古典で歌になっていたり一般的に用途があって親しく用いられていたりするもの以外、一定の和名がなかったのも事実。地方名や名無しの「雑草」が当たり前だとして、ガガブタだけ「鏡の蓋」というのが不思議な気がする。個人的好みは別として、目立つことではアサザやヒツジグサには勝てないし、浮葉植物で何か歌を詠め、と言われたら(詠めないけど)やはりアサザかヒツジグサを題材に選ぶと思う。そして開花期以外の浮葉(鏡の蓋)は植物オタク以外には区別もつくまい。それなのになぜガガブタだけ古風で難解な和名が付与されいるのだろうか。
 ガガブタは殖芽の形状が独特で「和製バナナプラント注2)」とも呼ばれる。その殖芽をひっくり返して立ててみると、ほら「みだれ髪」の出来上がり。これでスブタとガガブタには「ブタ」と「みだれ髪」という共通項が見つかった。正解がないクイズの面白さはこれで、趣味である以上楽しめるものは楽しまなければ、という自分の考え方に合致する。

 常々思うことだが植物和名の成立は謎に満ちていて、しかも文献や記録に残るような代物ではないために知的好奇心と想像力を刺激する。私に言わせれば近年になって付与された「キタミソウ」や「シモツケコウホネ」なんてのはあまり「美味しく」ない。発見地+一般名詞や既存植物名ってのはすぐに意味が分かってしまう。奇をてらった奴もダメで、例えばヘクソカズラなんてのは我々地方の住人はすぐに実験できるので「ずいぶん上品な匂いの屁と糞だなぁ」と思うしミジンコウキクサなんてのは比喩にもなっていないと考える。
 美味しいのはコバノカモメヅルとかイチゴツナギなど、考える余地のある和名で知的ゲームの対象となり得るものだ。できれば抽象的かつ文学的で、いかようにも解釈できる和名を持つ植物が楽しい。そしてその代表的存在がこのガガブタなのである。

減少原因
準絶滅危惧

 ガガブタは標記の通り、環境省レッドリストにおいては準絶滅危惧(NT)に指定されている。周辺の自生状況を鑑みると妥当なランクであると思う一方、前述高浜入注3)の状況、ここ数年で消滅している事例にも見られるように急速に減少していることも事実である。一地域の傾向が全体評価に反映されないことは理解しつつも見直しが必要な時期に来ていることも確かである。

 減少原因として真っ先に思い浮かぶのは水質悪化であるが、霞ヶ浦の水質悪化はここ数年で始まったことではなく、また個人的な感想ながらガガブタはある程度の水質悪化や土壌の富栄養化にも強い注4)と思われることから、底泥の浚渫や新規護岸工事の影響による水流変化等の理由により水深が深くなったことに原因があるのではないか、と考えている。もちろん水質悪化を原因として否定するものではなく、あくまで霞ヶ浦でのガガブタ減少の原因としての比重の話である。正確に消滅した年月を覚えていないが、東日本大震災で底泥が舞い上がり、霞ヶ浦が急速に水質悪化して以降の話かも知れない。


2012年9月 自宅育成株 一日花だが開花は毎日非常に盛んである(fig3)


全国の状況

 上記の通りガガブタは本稿を書いている時点で最新の環境省レッドデータ2019注5)においては準絶滅危惧(NT)である。一方、都道府県指定を一覧する日本のレッドデータ検索システムにおいては、評価のある都道府県で過半数以上が絶滅危惧U類以上となっている。この乖離は何なのだろうか。

 都道府県版レッドデータの信憑性と、環境省が独自に精密な調査を行っていることに対する疑義、という話になってしまうが、どこを突いても正解が出るような話ではないので自分の判断で物を見た方が良いように思われる。その判断基準(という程のものではないが)に従えば、ガガブタは「現時点での絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては「絶滅危惧」に移行する可能性のある種」ではなく「絶滅の危険が増大している種」であると思う。(定義はどちらも環境省の準絶滅危惧、絶滅危惧II類 (VU)の定義)環境省にしても地方自治体にしても、現実の精密な調査が困難であることは想像していたが、それを裏付ける記述を見つけたことによって更に調査不足を確信した。(次項)


2012年9月 自宅育成株 家では確実に見られるわけだが・・・(fig4)


真の絶滅危惧

 2020年4月に刊行された「日本の絶滅危惧植物図鑑」(長澤淳一、瀬戸口浩彰著 創元社)は、実態調査や写真撮影に関し、大学の研究者以外に多くの民間ボランティアが参加しているが、その序文には「植物ではいまや調査員が絶滅危惧」とあり、民間の植物関連の団体にアンケートを取ったところ、会員の中に60歳以上の会員が多い、若手の新たな参加がない、などの回答が8割以上あったという。
 世の中他に楽しいことが多いというべきか、若い世代が面倒なことをしないようになった、と言うべきか、農業同様に、広い意味で言えばこの「山野草趣味」も高齢化が進んでいるようだ。「最近の若いのは」というのは我々爺さん世代の枕詞であることは認めるが、現実問題若い世代の運転免許所持率が低下していることも事実。どこかに出かけて自然と触れ合うよりも何でもネットでできるようになった(買い物さえも)ということか。別に趣味嗜好の問題なのでそれがいけない、と言うつもりはないが、それが健康的かと言えば明確に否定できる。

 さて、このようにレッドリストにしても我々民間の調査が下支えしていることは間違いないが、爺さん世代は時間はあるかも知れないが体力がないのである。それにおそらく政府の失政のためだが年金だけで生活できる時代が終わり、生きるために働かなければならないのだ。自分を顧みても自慢じゃないが時間も金も体力もない。各地の植物関連の団体に私と同じ立場の人間が少なからずいるとなれば調査能力は昔より格段に低下しているはず。少なくても2年ごとにレッドリストを更新できるような精度の情報が得られるはずがない。以上によりかなりの確度をもって「レッドリストはやっつけ仕事の比率が高い」と難癖を付けておきたい。違う、と言うのであれば根拠を見せて頂きたい。

 余談ながらガガブタにしても何にしても、自分が水生植物の見物に行った際に、調査をしている人間は見かけたことがない。もちろん国内すべての自生地に行ったわけでもなく長時間張り付いているわけでもない。しかし綿密に調査をしているのであればどこかで何回か見かけてもよいはずだ。見かけないということは本当に調査員が絶滅危惧になったということか。

鉛筆なめなめ

 改めて書くまでもないが、本稿はタイトルこそ「ガガブタ」であるしガガブタの話を中心に書いていることは間違いない。しかしコンテンツは「水草雑記帳」カテゴリーであって本質は雑記である。その点は植物図鑑ではない、と自分にあえてブレーキをかけていない。その流れでぜひ書いておきたい話がある。

 上記「日本の絶滅危惧植物図鑑」は購入して早々、これは名著だと感じている。ただし本編、各絶滅危惧種の解説や写真はほとんど見ていない。今のところホシクサ科が充実しているな、程度だ。理由はPart1の「絶滅危惧植物とな何か」という序文を読んだだけで感動してしまったからだ。一つは上記の「植物ではいまや調査員が絶滅危惧」であり、もう一つは環境省の評価自体に疑義を投げているからである。自分自身でこれまでこのサイトの記事にこうした事を書いてきたが、心のどこかに「ひょっとしてオレ、へそ曲り?」という気持ちがあったことも事実。みなさんお上の決めたことに従順に従うのか、色々なサイトや本を見ても、素直に「絶滅危惧○類」と書いてある。「自分はそうは思いません」という記述は見たことがない。もちろん真面目な本なので面と向かって疑義は投げていない。表現も「定性的な評価と定量的な評価」であるが、ここに書いてある評価のプロセスは本当にできるのか的ニュアンスを感じたのだ。

 その内容。詳しくご紹介したいところだが出版不況の昨今、結論は「自分で購入しろ」ということでご容赦。私なりの感想を書いておくに留めたい。「定性的な評価と定量的な評価」、各カテゴリーの評価基準は優等生が鉛筆なめなめして模範解答を書いたような雰囲気を感じる。基準として立派だが、現実には誰がどうやって調査するの?という部分が抜けている。だからこそ書く必要もない「植物ではいまや調査員が絶滅危惧」を謳っているのだ。著者は相当のツワモノに違いない。

植生浄化



2015年8月 東京都葛飾区 水面下はおそらく嫌気化が進んでいると思われる(fig5)


植生浄化に有効か?

 ガガブタに限らず水生植物減少の原因として水質悪化は因果関係がある。脚注4でリンクした報告書は非常によく分析されており門外漢の私にも分かりやすい。テキスト量がそれほどでもない(グラフ図表を入れてA4版2枚)のでぜひご一読頂きたいと思うが、注目すべきは植生浄化の効果を数値的に示した部分だ。植物を植えれば何となく栄養分を吸収して水が綺麗になるような・・・これが私を含めた素人の植生浄化に対する平均的な認識であると思う。専門家や植生浄化に携わる人が同じレベルで情報発信してしまうと大惨事になる。客観的に見るとアサザ基金に対する某氏の攻撃は最も痛いところを突いているような気がする。
 報告書の話に戻り、この部分、埼玉県の野池の一つの出来事としてではあるが多くの部分が一般化できる話ではないだろうか。すなわちガガブタが晩秋に枯死分解する際に大量のリンを放出する、という傾向。そして約1か月後に透明度が上昇した原因として、ガガブタ由来の溶存態リンが浮遊物質に吸着されて沈降したことを上げている。この池はデータからリン制限注6)であることが書かれているが、日本の多くの湖沼は同様であって、例えば霞ヶ浦のガガブタも植生浄化という観点で同様の動態を示すと考えても大きな乖離はないはずだろう。さて、このリンの動態と「質量保存の法則」を考慮して湖沼における植生浄化を考えてみると、非常にネガティブな結論が見えてくる。結論を言えば効果がほぼない、ということである。

(1)ガガブタは成長期(春〜夏)にはN(窒素)、P(リン)とも吸収する。
(2)枯死分解する冬季にはどちらも放出するので年間としてはゼロサムである。
(3)放出されたPは結果的に湖底に沈降する。
(4)湖底が嫌気化した場合、他の水生植物の生育にもマイナス方向に影響する。
(5)沈降した栄養分は翌春以降、すべてガガブタに吸収されるわけではない。

図式としてはこんな感じだろうか。しかし閉水域の物質循環としては成立しても流入する栄養塩を考慮すれば湖沼の植生浄化は機能しない、という結果となる。流入分をすべてシャットアウト出来たとしても良くて現状維持、従って「植物を植えれば何となく栄養分を吸収して水が綺麗になるような・・・」という認識は事実と全く異なり「植生がないよりははるかにマシ」程度、しかしこの場合も現状から一切改善しないということになる。なぜならどれだけ群落が拡大しようと株数が増えようと、湖沼内のPの総量は変わらないからである。現実には日々総量は増加しつつあって、状況は悪化する一方である。これが現実の姿。
 話をまとめると、植生浄化という概念は限られた条件下、つまり外的要因の影響を受けないという非現実的な条件下で現状維持が可能となる概念であって、前向きの効果は期待できるものではないことが分かる。誤解がないように再度言っておきたいが、それでも無いよりははるかにマシ。本当の意味で植生浄化の効果が発揮されるためには、はるか昔の手賀沼のように、圧倒的な水生植物があり(N、Pの吸収)それを農業用肥料として湖域外に搬出する、というスキームがあって初めて成立するものだろう。

景観の力

 昔の手賀沼の話で思い出したが、結論として、植生浄化云々を語るのであれば少なくても画像のような密度の水生植物が必要である。画像はナガレコウホネの基準産地注7)である栃木県佐野市の菊沢川で撮影したものだが、河川の場合は「藻刈り」の代わりに水流によって植物の枯死体や脱落した部分が流されるので自動的な窒素、リンの除去になる。もっともこの河川はかなりの清流であり、生活排水や農業排水の流入も制御されているようなので水質悪化に繋がるほどの流入は現在はないようだ。

 しかし水質の維持も重要であるが、もう一つ、水生植物の持つ大きな効果はヒーリングであると思う。この事はかの角野康郎先生も大滝末男先生もその著書で述べておられる。注8)自分自身もこのヒーリング効果は感じており、よほどおぞましい外来種、ナガエツルノゲイトウやオオフサモ以外であれば外来種であっても何も無いよりははるかに癒される。水生植物に限ったことではないが、これぞ「景観の力」というものだろう。


2018年5月 栃木県佐野市 植生浄化という言葉がリアリティを持つ水生植物の質量(fig6)


特殊な生殖
殖芽

 ガガブタは育成下では増えすぎて持て余す、と前述した。事実毎年何倍もの株数になり、譲渡したり廃棄したりということ無しには維持できないほどである。しかしその増殖は実生によるものはなく、すべて無性生殖、殖芽によるものなのだ。

 自宅では毎年毎年これだけの数の花を咲かせつつ、結実、実生が皆無なのである。何のために花を咲かせるのか、という根本的な疑問があるがカラクリを知った現在では「家族を楽しませるため」と割り切って考えるようにしている。その「カラクリ」とは、ガガブタは長花柱花、短花柱花のタイプが混生しないと結実しないというものである。そしておそらく長花柱花と短花柱花は遺伝的形質であり、もともと一株を拾ってきた我が家のガガブタ達(たぶん長花柱花のタイプ)はこの環境が続く限り永久に実生はしない、ということになる。実生を見たい気もするが、そのために短花柱花タイプを探してくる、という手間をかけたくないとも思う。結果的にこれまで以上の廃棄をしなければならなくなることが目に見えているし。


2008年1月 自宅育成株 特徴的なガガブタの殖芽(fig7)


遺伝的多様性

 ガガブタは結実にあたってなぜこのような面倒なシステムを採用しているのだろうか。殖芽の形状からすれば越冬は種子よりも有利であることは分かる。定着(殖芽に重量もあり、足が引っ掛かって流されにくい)や翌期のスタートスピードなどいくつかのアドバンテージがあることは事実だ。しかしこれだけ花を咲かせるので自家受粉は避けられないにしても(結果的に結実しないので同じだが)、種子も残すことで更なる種の存続に繋がると思うのだが、それは人間の理屈なのだろうか?
 他家受粉のメリットとして、自分にはない遺伝的形質を得て更なる強化を図れる、というものがある。それにより病害虫の突発的な発生で群落まるごと絶滅、といった事態を避けられる可能性が出てくる。しかし遺伝的多様性をもたらさない結実はしない、という事と、遺伝的多様性により強化を図る、という事は同じように見えて全く異なる事象である。普通に考えれば通常は自家受粉で結実し、他家受粉できた時に他株の遺伝子を取り込めば良いわけで、自家受粉による結実を拒否するまでもないことだ。

 一般に顕花植物には雌雄同株、異株があり、さらに雌雄同株には雌雄同花、異花がある。多様な遺伝子を重視した場合は当然雌雄異株を選択するはずだが、一年草の場合は最悪受粉できない(近場に相手がいない)というリスクがある。ガガブタは多年草なので受粉できないリスクは考慮する必要はないが、それであればなぜ雌雄異株ではないのか。どちらにしても盛大に殖芽を生産するので種の存続にあたって問題点はないはず。もし以下に記する「仮説」の通りであればこの話は大きな疑問となって残る。

 「なぜこのような面倒なシステムを採用しているのだろうか」これはそれこそガガブタに聞かなければ真実は分からないので推測の域を出ないが、これまで掲示してきた開花画像にヒントがあるのではないだろうか。簡単に言えば植物体の構造上、同一株の開花は一箇所にまとまらざるを得ない。しかしこれでは他家受粉の可能性がほぼ無くなってしまうのだ。しかもガガブタは一日花、一回の受粉チャンスは最大限に見積もっても14時間注9)しかない。この構造で自家受粉による結実を行い続ければ種としての進歩が止まってしまう。しかし現実には他家受粉のチャンスは非常に低く、そのリスクヘッジとして非常に多くの殖芽を生産している、と見ることができないだろうか。

 これが正解だとすれば「面倒なシステム」どころか「よく練られた合理的なシステム」である。頭脳を持たない植物がいつどのようにこれを考えたのか、無宗教の私であるが、植物のこうした側面を考える度に神の存在を強く意識するのだ。

脚注

(*1) 牧野富太郎が命名した植物の中にはノボロギク、ワルナスビ、ハキダメギクなどネガティブ系のものもあって奴らの性格をよく現しているもんだ、と感心する。そのなかでもイヌノフグリは秀逸だ。どちらかというとお茶の実の方がフグリっぽく、和名を付けるとすれば「ヒトノフグリ」だが、お茶は昔から飲まれていたので名前が決まっていた上に、飲み物に「フグリ」はかぶれそうで怖い。またハキダメギクは帰化植物であるが、最初の発見場所が東京都世田谷区のゴミ捨て場だったことに由来する。ゴミ捨て場を「ハキダメ」と表現するのはなかなかのセンスだと思う。
 牧野富太郎は天敵の南方熊楠と違い謹厳なイメージがあるが学術分野でこのような遊び心を持っており、対して破天荒なイメージの南方熊楠が学術分野では真面目であったという対比が面白い。(実生活においては両者とも破天荒で経済観念が皆無のキャラだったらしい)

(*2) 和名ハナガガブタ、Nymphoides aquatica 殖芽はガガブタよりも一本一本が太く、まさにバナナの房のように見える。ハナガガブタというわりには花は大きさ以外は地味で、ガガブタよりトチカガミに近いような印象がある。個人的には開花目的で育成するようなものではないように感じるが、水槽育成のアクアリウム逸出なのか各地で帰化定着している。現状は生態系被害防止外来種には指定されていないが、影響力はけっして小さなものではなくなっていると思う。

(*3) 霞ヶ浦は北西に向かってVサインのような形だが上側の指にあたる部分が「高浜入」で下側は「土浦入」と呼ばれる。要するに入江の呼称だ。それぞれ恋瀬川と桜川という流入河川がある入江であるが、両者に挟まれた半島状の部分が町村合併で誕生した「かすみがうら市」である。土浦入が土浦市に面し都市化、公園化が進んでいるのに対し、高浜入は沿岸部が基本的に農業地帯であって比較的自然環境が残っている。特に恋瀬川河口付近の北岸には自然湿地が残っており近年まで様々な湿地植物が見られた。高浜入は対岸の稲敷市、浮島湿原から霞ヶ浦を北に渡った場所に位置する。

(*4) 個人的な感想。根拠は最も汚れていた時期から最近まで霞ヶ浦でガガブタが見られていたことによる。減少または消滅地点は自然災害による土砂の流入や新規の護岸工事などで水深が浅くなった場所が多いことから、この方が原因として有力ではないか、と考えている。一般的には水質と減少の因果関係が指摘されており、平成15年の土木学会で発表された学術講演会の浮葉植物(ガガブタ)が繁茂するため池の生態系と水質に関する現地調査にデータが詳しく記載されているのでご参照願いたい。
 もう一点、ガガブタの適正な水深に関して。伸長スピードとして湖底から浮葉を展開するまでのスピードは水深に関係なく一定期日(5日程度)とする説がある。しかし本文であえて水深変化をガガブタの減少要因として上げている(まったく個人的な見解だが)のは、霞ヶ浦の持つ特殊性を勘案しているからである。霞ヶ浦の場合は導電率が高い、という点もさることながら水深があると波が高くなる。物理的な要因で成長が阻害されるのではないかと思うからだ。それは同じミツガシワ科のアサザが同様の要因で植栽、定着がうまく行っていないことと同じではないか、と考えるからである。ちなみにアサザの繁茂が阻害される要因が水質ではない、という根拠は霞ヶ浦から導水した農業水路で大繁茂している事実が裏付けとなっている。

(*5) レッドデータ2019はその名の通り2019年1月24日に発表、公開されている。このサイトでは絶滅危惧種に関し極力最新のランクを付記すべく2015、2017と最新情報を拾って改訂してきたが、2019からどうしようもない状況が続いている。すなわち従来はEXCEL形式でダウンロードできたのでEXCELの検索機能を使って特定の植物のランクを見つけることが出来たが、2019はいかなるわけかPDFしかダウンロードできない。すなわちダラダラ長いリストを目検で追うしかないのでいかに暇な私でも対応が無理なのである。PDFにした理由はあるのだろうが、2次利用するには大きな困難が伴うので何とか再考願いたい。(と言っても「パブリックコメント」の和訳が「アリバイ作り」の中央官庁なので無理だと思うが)

(*6) 湖沼の富栄養化を示す指標の一つとしてN-P比(又はN/P比、窒素とリンの比率)があり、N-P比が17以上の場合「リン制限」となる。(OECDの指標)日本の湖沼の多くはリン制限型とされるが、リンの存在量が藻類の増殖を左右する。リンが増加してN-P比が低下する(この状態が富栄養化)と藻類が増殖する。一説に藻類の細胞内の窒素(N):リン(P)の存在比率はモル比で16:1と言われており、N/Pで示せば16、17以上であればリン「制限」となる。窒素とリンは絶対量もさることながら比率も重要で、特に維管束水生植物の敵となる藻類の動向はN-P比にかかっていると言えるわけで、一見同じように見えても水草が豊富な水域と貧弱な水域の違いはここにあるのかも知れない。

(*7) 植物の新種記載が行われた際に記載書に添付された標本を採集した産地。この標本をタイプ標本と呼ぶが、近年国際機関の改称に伴い諸々呼称が変わっている。旧国際植物命名規約 (ICBN) は国際藻類・菌類・植物命名規約 (ICN)となり、例えばナガレコウホネの記載された標本がただ一つであった場合にはホロタイプと呼ばれる。ナガレコウホネは栃木県内で複数の産地が確認されているが、現状ではタイプ標本(ホロタイプ)は佐野市の菊沢川で採集されたものである。この種は産地による相違はないのでどこの標本でも同じだと思われるが、広範な地域に存在する植物種の場合、地域による差異がある場合があり、基準を決める必要がある。
 ふと思い出した話。ミシマバイカモはその名の通り静岡県三島市にあるバイカモだが、三島市内では環境悪化により一度絶滅している。現在市内で見られるミシマバイカモは清水町の柿田川から移植されたものだがこの場合の「基準産地」はどうなるのだろうか。記載された際のタイプ標本は三島市内、現在も三島市内でミシマバイカモは見られるが。それは清水町ルーツ。難しい話だがこういう事態は起こり得る話だ。もちろんふと思っただけなので調べていないし深い意味はない。

(*8) 「ウェットランドの自然」(1995 保育社)P88「各地を旅するとき、必ず水田をのぞき込む。イネがすくすくと、そして整然と育っていても、水の中に雑草一つ生えず、虫一匹泳いでいない水田を見ると恐ろしくなる」、「水草の観察と研究」(1974 ニューサイエンス社)P125「私は湖沼や川の水辺に立つと、いつでも、いくつになっても、気が落ちつくから不思議である」
 私としてもまったく同感で、目指す植物によってアドレナリンが出るのか通常では考えられない距離を歩いてしまい、疲労が長期間残ることがままある。特にはじめて見る植物の良い写真が多数撮れた時の気分は「これがアドレナリンの味か」と思うほど。逆に期待して出かけたのに何もない水辺では期待感の分、落ち込みも激しい。どちらにしても年齢分にプラスして疲れる厄介な趣味だ。

(*9) ガガブタが開花のピークとなる8月の関東地方の日の出から日の入り時間。実際にはガガブタは朝の開花が日の出後しばらくしてから、また日があっても夕方にはしぼんでしまうので受粉可能時間は実質的に7〜8時間程度だろうか。ただしこれは1日単位の話であって翌日には翌日の花が咲く。開花直後にお隣の花(同一株)から自家受粉した場合に、その後日中の開花時間中には他家受粉はしないのだろうか。それとも自家受粉をキャンセルして受粉し結実に向かうのだろうか。こんなことは誰も興味を持っていないようで調べても分からない。


【参考・引用文献】

・ため池と水田の生き物図鑑 植物編 浜島繁隆他著 トンボ出版
・ウェットランドの自然 角野康郎・遊磨正秀著 保育社
・水草の観察と研究 大滝末男著 ニューサイエンス社
・日本の絶滅危惧植物図鑑 長澤淳一・瀬戸口浩彰著 創元社


【Photo Data】

・Canon PowerShot S120 *2015.8.13(fig1) 茨城県古河市
・RICOH CX5 *2012.9.15(fig2,fig4)*2012.9.16(fig3) 自宅育成株 *2015.8.27(fig5) 東京都葛飾区
・Canon EOS KissX7 + EF-S60mmF2.8Macro *2018.5.26(fig6) 栃木県佐野市
・Canon EOS 30D + SIGMA17-70mm *2008.1.4(fig7) 自宅育成株


Feature Nymphoides indica (Linn.) O.Kuntze
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