日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
エキサイゼリ
(C)半夏堂
Feature Apodicarpum ikenoi  Makino


セリ科エキサイゼリ属 エキサイゼリ 学名 Apodicarpum ikenoi  Makino

被子植物APGV分類 : セリ亜科 Apioideae エキサイゼリ属 Apodicarpum
環境省レッドリスト2012 準絶滅危惧(NT)

撮影 2011年5月 茨城県常総市 河川敷氾濫原
前田益斎と本草学

 遠距離から適当に見ているとセリと区別が付かず見過ごしてしまうが、セリが3出複葉なのに対しエキサイゼリは羽状複葉であり、近距離で見ると株全体の印象が大幅に異なる。ヌマゼリを小型にしたような、また角度によってドクゼリにも似たような印象だ。
 花期は早く4-5月頃、スプリング・エフェメラル(Spring ephemeral、春型植物)の一つである。セリ科植物他種とは花期が異なり、花期も有力な同定ポイントである。湿地植物を観察する人間もあまり出歩かない時期、右画像のように野焼き跡の炭化した植物体が残る時期に開花・結実し、初夏には店じまいしてしまうので残存実態以上に目にする機会が少ない。

 全国的には自生地が少ないが、幸いなことに当地利根川水系ではやや広範に自生がある。しかし後述するように特殊な攪乱(野焼き)が存続条件になっている可能性が強く、水系どこでも見られる植物というわけではない。残存数が多いと思われる渡良瀬遊水地でも野焼きの行われない場所では見つからない。
 反面、存続条件が担保されれば他に減少する要因はなく(湿地の野焼きが成される場所は湿地としての存在が保証されている)全国的に自生地は限られるが、NTとしての評価は妥当なのかも知れない。

 エキサイゼリはその名の通り前田益斎(利保)によって発見、紹介された植物だ。前田利保(1800〜1859)は江戸末期の富山藩主(第10代)であり、いわゆる「殿様」だが、何ら成すことなく君臨するだけの殿様ではなかったことがこの植物に名を遺したことから想像できる。
 彼の時代、1800年代は日本国内では天保の大飢饉や商業の勃興による農本経済の疲弊などにより長く続いた封建体制が大きく揺らぎ、やがて明治維新を迎える前夜の時代だ。この時代に「名君」と呼ばれた領主は概ね農業以外の産業を奨励して財政を立て直しており、前田利保は陶器製造や薬草栽培に活路を見出したことが知られている。それも家臣に命じるだけではなく、自ら実地に調査したことでこの植物の発見が成されたのだろう。

 ちなみに富山藩は加賀100万石前田家の支藩で、公式の石高よりもかなり多くの実収があったようだ。それにもかかわらず歴代の藩主による新田開発や産業育成によって増収を図らなければ破綻してしまう際どい財政であったらしい。理由は加賀前田家から分家の際に石高を相当上回る家臣を押し付けられたから、と言われており、前田利保もそうした苦渋を引き継いだ故の「産業人」だったのだろう。従ってエキサイゼリの発見は「好き者」の発見ではなく「商材を見出す産業人」としてのそれであったのだろうと思われる。

 この時代の大飢饉や経済の混乱を、現代の大震災原発事故、TPPによる農業弱体化の懸念、基幹産業の製造業からIT産業へのシフトなどに置き換えてみると社会構造の変遷期という点が非常に良く似ていることに気が付く。似ていないのは、現代は「名君」不在であり、為政者は誰も彼も目の前の問題に気を取られ、足をすくわれ、やがて問題を放り投げることだ。民主党政権時代の流行語「マニフェスト(*1)」は今や失笑の対象でしかない。
 不始末があれば断絶、切腹。自分のみならず多くの人間の命を背負っていた時代の「政治家」と、サラリーマンと大差のない根性の現代の政治家は覚悟と言う点で比較にならないが、彼らの行為が国民の生活にダイレクトに影響するという点は同じ。前田利保を調べれば調べるほどエキサイゼリよりも、むしろ「本物の政治家」の顔が見えてくる。

 前田益斎は「本草通串」「本草徴解」「本草通串澄図」「万香園裡花壇綱目」(*2)を自ら執筆、博物大名と呼ばれていたが、このエキサイゼリをどこで見たのかはっきりしない。現在関東地方と中部濃尾平野の一部にしか自生しない植物であるが、彼のような地位の人間がワタクシ半夏堂のようにあちこち植物見物にフラフラ歩くことが許された時代ではない。
 余談ながら彼の執筆した「博物学」の書籍は、本草学がベースである。本草学は現代の植物学とは異なり、薬草、つまり薬効のある植物を研究する学問である。藩の財政立て直しのための薬草栽培事業が背景にあるのは間違いない。秋田藩の佐竹候は家臣に命じてこの事業を行わせたが、この家臣の子孫が龍角散の経営者であり、TVCMに佐竹候の子孫である佐竹敬久氏(秋田県知事)が出演しているのにもこの背景がある。

 さて、前田利保が採集したエキサイゼリ、一説には「江戸郊外で採取」とあるが、当時は現在と自生状況も大きく異なっていたはずである。なにしろ上野寛永寺にトキが営巣していた時代だ。ライフスタイルの変遷とともにトキのみならずこの植物も自生可能な場所が狭まって来たことは容易に想像できる。それは次章で触れる人為的撹乱の発生頻度や形態の変化と無縁ではないだろう。


(P)2010年4月 栃木県栃木市渡良瀬遊水地 野焼き焼け跡から芽吹く

焼け跡依存植物


撮影 2011年5月 茨城県常総市 河川敷氾濫原

 数多い、とは言えないエキサイゼリの自生地に共通するのは「野焼き」というキーワードである。前項画像は野焼後、炭化したアシの枯死体の間から芽吹くエキサイゼリだ。この植物は概ねこんな感じの地形に生える。渡良瀬遊水地しかり、小貝川氾濫原しかりである。ただし約1か月後の開花画像には周囲に他植物が伸長しつつある姿が写っており、スプリング・エフェメラルの日照確保説も納得できなくはない。しかし野焼きの意義は本質的には「焼き畑農業(*3)」であると考えている。植物の枯死体や有象無象を焼くことで堆積した有機物を減じ、無機塩類を増やすことで土壌の更新を行うものだ。(以上は個人的意見、理由は後述)

 観光イベント化した渡良瀬遊水地のヨシ焼き(*4)や、希少湿地植物の保全を明確に目的とした小貝川の野焼き(*5)の如きものは江戸時代にはもちろん存在しなかったと思うが、本来的な意味での「焼き畑農業」的な野焼きは行われて来たはず。それは農地ではなく、アシが建築材料、生活用品の原料として重要な資源(*6)であり、湿地が準農地扱いされていたはずだからである。その結果として本種エキサイゼリやトネハナヤスリ、ヒキノカサなど小型の希少な湿地植物が存続する要因になっていたことが推測される。

 野焼きが成されないとどうなるか、事例として2011年の渡良瀬遊水地がある。野焼き直前に発生した東日本大震災の影響で当年の野焼きは中止されている。中止理由は「被災地への対応のため消防に避ける人員が確保できなかった」というものだが、翌年2012年は「放射性物質がアシに蓄積されており、野焼きの灰とともに飛散するおそれがある」ことで中止となった。(2012年の中止理由は科学的観点からの否定意見もある)
 事の是非はさておき、前年まで野焼き後にエキサイゼリやトネハナヤスリが見られた地点で、2011年〜2012年にはこれらの植物が見られない場所が多かった。この事実から、上記植物は完全に「焼け跡依存植物」である、と言えるだろう。依存内容が上記のように無機塩類なのか、よく言われるように日照の確保なのか確たることは分からないが、これらの植物は客観的事実として野焼きの有無により出現数が大幅に異なるのである。因果関係は明らかだ。

 野焼きは湿地以外にも山焼き(草原を牧草地などに利用する場合、森林への遷移を防ぐ目的)などがあり、農業や植物多様性の観点からは歓迎すべきものである。しかし飛び火による火災や煙害による事故なども実例があり、現在では森林法、廃棄物の処理及び清掃に関する法律等により厳しい規制がある状況だ。従って野焼きが可能な場所は限られており、焼け跡依存植物の多くが絶滅危惧種となっているのも現状ではある意味当然なのかも知れない。


2011年5月 茨城県常総市 河川敷氾濫原 同左 ハナムグラと一緒に生えている

湿原の春

 エキサイゼリをはじめとする小型の湿地植物が野焼きに恩恵を受けている理由のうち、「大型植物の枯死体等を焼却し、木本の進出を防ぐことによって十分な日照を担保する」という説には疑義がある。

 画像は5月のエキサイゼリの自生地である。この時期エキサイゼリはすでに開花しているが、ご覧の通りアシはまだ十分に伸びきっておらず、日照が確保できると言えば確保できる。もちろん光合成は植物にとって重要なエネルギー確保手段であるので日照説を全面的に否定するつもりはない。しかし8〜9月の同地点を観察してみると、密生したアシの根元にはセリが生えており開花している。見た目にはセリとエキサイゼリは葉の密度、葉緑素の密度(葉の色から見た感想だが)とも大差なく、光合成にあたっての必要要件は同じようなものに見える。
 セリとエキサイゼリの光合成システムを植物生理として分析したものではないので的外れな見方かも知れないが、少なくても現象面から見る限り日照条件が存続理由の大きな一つになっているとは考えにくい。

 アシの成長は土壌養分の吸収量と比例する。これは様々な要因によって失敗に終わっている環境省の「渡良瀬遊水地アシ原浄化(*7)」の立脚点でもあり理論的には正しい。(現実的に正しくなかったことは脚注7参照)古来行われて来た野焼きがアシの健全な成長を促す目的も持っているとすれば(脚注6参照)、野焼きの恩恵は土壌の更新、つまり攪乱であると言っても良いと思う。エキサイゼリが野焼きの恩恵を受けているのもこの部分、つまり日照よりも土壌栄養分の動態である可能性は強いと考えられる。

 話は冒頭に戻り、エキサイゼリが19世紀に至るまでセリと区別されていなかった事情を考えれば、エキサイゼリも湿地に普遍的に、場合によりセリと混生(*8)して存在した植物だった可能性が強い。前田益斎の「江戸郊外で採取」も、現在の自生地周辺ではなく(現在の)都内の小河川のどこかではなかったかと思う。世界的大都会の江戸と言えども当時のライフスタイルから考えて、建築資材として良質のアシを得るための野焼きはいたる所で行われていたはず。攪乱はこの手の植物のキーワードだが、エキサイゼリを見るたびにその重要性が実感としてわいてくる。


(P)2011年5月 エキサイゼリ自生地 野焼きが行われている河川氾濫原。水面は河川敷の池

脚注

(*1) 声明文、宣誓書、選挙公約などの意。民主党が2003年の衆院選で作成を宣言し、他党が追随することで一般的な用語となった。しかしマニフェストには法的拘束力がなく、当時掲げられた内容はほぼ空手形となっているため、絵に描いた餅状態、失笑の対象である。産業界でマニフェストと言えば産業廃棄物をコンプライアンス下で廃棄するための「産業廃棄物管理票」を示すのが一般的。

(*2) 前田利保の著作、編集、または命じて作らせた「植物図鑑」。当時の学問ジャンルでは「本草学」であるが、本草学は本来薬効のある植物を研究する学問であった。その後動物や無機物など広範に薬効がある物も対象となったため、ニュアンスは植物学より博物学に近い。前田利保の著作は当時としては絵と解説を一体化させた画期的なものだが、こうした書籍の作り方はリンネの「リンネ自然誌」を参考にしたと言われている。言うまでもなくリンネは多くの植物学名にL.、Linnと名を残す先駆者である。

(*3) 主に熱帯、亜熱帯で行われる農業の形態。現存植生(主に森林)を伐採・焼却し、耕耘や施肥を行わず作物栽培を行う方法。熱帯・亜熱帯の森林は地味に乏しく、焼却灰の栄養分はほぼ1回の収穫で失われるため、耕地は新たな場所に移る。地球温暖化につながる温室効果ガスの消費者として重要な役割を担う熱帯アジアやアマゾンの森林がこの農法で一定部分失われており懸念される所。

(*4) 渡良瀬遊水地の野焼き(ヨシ焼き)は例年3月中旬頃に実施される。広大な湿原に火を放つために壮大な風景となり、4月に行われる「渡良瀬バルーンレース」とともに観光イベントとなっている。押し寄せる観光客(見物客)の大半はカメラマンだが、残念ながら私は両方とも行ったことがない。本文にある通り、2011年の東日本大震災後2年間中止されているが、大和田真澄氏他の尽力により再開されている。公式HPではその趣旨を「渡良瀬遊水地のヨシ焼きは、豊かな自然を守り、未来に伝えるために大切な役割を担っています」と解説しており、特に経済的側面に関しては言及していない。

(*5) 小貝川河川敷で行われる野焼きは渡良瀬遊水地同様に、明確に生態系の保存を目的としたもの。大々的な渡良瀬遊水地とは異なり、面積もさほどではないことから一般参加が可能。こちらは1月頃に行われることが多い。主催者は、水海道自然友の会、東京大学保全生態学研究室など。

(*6) 乾燥させたアシ(ヨシ)をヨシズや茅葺屋根の材料としていたのは事実だが、湿原を野焼きすることで真っ直ぐなアシが育ち、良質の材料を得ることができるということが広く知られており、各地で盛んに「野焼き」が行われていたようだ。これは戦後しばらくまで続いており、希少湿地植物の存続にも繋がっていた。渡良瀬遊水地のアシ焼きは今や観光目的が主であるかのような印象を受けるが、周辺に何件かのヨシ簾製造業者があり、経済的側面も僅かながら残っている。

(*7) 渡良瀬のアシ原浄化施設の場合は、水質汚染が土壌ではなく水質そのものに問題があって、アシが水中から直接養分を吸収しないために期待した効果が得られなかったのが失敗の原因であると考えられる。(環境省は失敗とは考えていないと思うが、以上は「新渡良瀬遊水地」 (大和田真澄他 随想社刊)の見解であり、個人的にこの見解を支持するために「失敗」と表現した)ちなみにアシ原浄化施設の目的は谷中湖の水質浄化であるが、そのわりには谷中湖本体の設計がそうなっていない。全面コンクリート護岸で湖岸湿地の浄化機能を生かせず、たびたび魚類の大量酸欠死が発生している。原因に対策せず、現象面に振り回された好例であると思う。批判されて然るべきなのは、これが実験施設ではなく多額の税金を投入した事業であるからだ。

(*8) 渡良瀬遊水地にはエキサイゼリが自生するが、不思議なことに一般種であるセリが自生しない。すなわち遊水地で小型のセリ科植物を見かければ100%エキサイゼリである。お互いの排他性により共存しないわけではなく、茨城県小貝川の氾濫原では両種見られる。湿地でセリ(狭義)を見かけないことはほぼ無く、渡良瀬遊水地七不思議(あとの六つは知らん)である。

 

Photo :  Canon EOS7D/EF-24-105 F4L IS USM/PowerShotG10 PENTAX OptioW90  RICOH CX4

Feature Ottelia japonica Miq.
日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
inserted by FC2 system