日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
アサザ
(C)半夏堂
Feature Nymphoides peltata (SG Gmel.) Kuntze.

ミツガシワ科アサザ属 アサザ 学名 Nymphoides peltata (SG Gmel.) Kuntze.
被子植物APGW分類 : 同分類
環境省レッドリスト2019 準絶滅危惧(NT)

撮影 2014年6月 茨城県龍ケ崎市 旧小貝川河跡湖(fig1)

【アサザ】
*正直アサザのイメージはやたら蔓延って水面を占拠し、沈水植物を駆逐するという負のイメージが強い。事実は多少の水質悪化に強く、他の植物が撤退しても残存している健気な植物かも知れないが、アサザがある池では概ね水面はご覧の通り、競争力がHUAWEI並に強いのか環境適応力が優れているのか、例えばこの空間にジュンサイやガガブタ、オニバスなどが同居し色とりどりの花を咲かせている、夢に出てくるような光景だが現実には見たことがない。生物である以上生存競争があるのは当然だが、霞ヶ浦水系ではガガブタ<アサザ<ヒシの順に強く、遷移しながらも最終的には単一群落となってしまう。
 さて今回はアサザが植物としてどうの、育成がどうのという話は中心ではなく地元茨城県にあるアサザ基金が提唱する概念とそれに反対した意見を考えてみたい。考えると言っても何ら権力のない一介の野次馬なので「外野が」考えるだけである。本音を言えば最も知りたいことはアサザ(に限らず水生植物全般)には水質浄化の力があるのか、環境を改善する能力があるのか、ということ。なぜなら自分の持っていた植生浄化の概念がコペルニクス的転回で変わってしまう事例を知ってしまったからだ。

卵が先か鶏が先か
井の頭の奇跡

 アサザそのものを考える前に、自分の持っていた植生浄化の概念をそれこそ「コペルニクス的転回」で変えてしまった出来事をご紹介したい。それは東京都武蔵野市にある井の頭池のかい掘りである。

 実は私、4年ほど井の頭公園の近所に住んでいた。地方から大学進学のために上京し、どこに住もうか考えた時に吉祥寺が第一候補だったのである。別にファッション性とかおしゃれな街とかアホな理由ではなく、もっとアホな乗り換えなしに4年間通学できる、という理由だ。というのも進学したのがM大・・隠す必要はないか、明治大学の文系で2年間の教養過程が井の頭線、京王線の明大前、2年間の専門課程が駿河台(御茶ノ水)で、どちらも吉祥寺からだと1本で行ける。
 そんな事は今となってはどうでも良いが、要するに40年前の井の頭池を知っているのだ。当時の井の頭池は記憶にある限りトロリとしたバスクリン色の汚い池で、よくもカップルが喜んでボートに乗るなぁ、と呆れたものだ。まぁカップルはともかく汚い池だった、ということは鮮明に覚えている。


2009年5月 自宅育成株 野生植物としては花が美しい(fig2)


 最近そんな「汚い池」になんと自分にとっては幻カテゴリーのツツイトモ注1)が復活したというニュースを見た。おまけに超ド級幻カテゴリーのイノカシラフラスコモ注2)も一緒にである。脳裏には40年前のバスクリン池しかなく、最初は別の場所かと思ったほどだが確かに「井の頭池」と言っている。そして植物が帰ってきたのは「かいぼり」を行ったから、とも言っている。すぐにでも見に行きたかったが、今や三鷹市下連雀(当時の住所)ではなく、現住所からでは千葉県を挟んだ東京都の、どちらかと言えば西の方だ。行ける時は静岡でも(ミシマバイカモ)福島でも(ビャッコイ)行くが、この時期は時間も交通費も惜しい状態で結局は行けなかった。

 その後、たしか2019年だったと思うが、冬に(意味がねぇ〜)近場で仕事があり、池を見ることはできた。たしかにバスクリン色ではなくなっており透明度がある、どちらかといえば綺麗な池になっていた。また公園内にフリーペーパーがあり「かいぼりによる自然再生のとりくみ」というタイトルのものを見てみるとたしかにイノカシラフラスコモとツツイトモの写真がある。もちろんTVニュースでフェイクニュースは流さないはずだが(ですヨ、トランプ氏)本当に復活していたようだ。
 そしてこのフリーペーパー、なかなかやるな、と思ったのは「かいぼり」の手順を示した上で、なぜ浄化に繋がるのかというシステム面の解説も成されているのだ。A4版の紙を2つに折っただけの簡易なモノだが(無料だからね)知りたかったことが全部書いてある優れものだったのだ。これぞ本当の仕事というもの。(作成は「東京都西部公園緑地事務所 工事課」とある)
 こういう仕事を見て思われるのは我が県の環境行政のダメっぷり。予算も人員も桁違いの自治体と比べても仕方がないのは分かってはいるが、限られた条件でも出来ることをやろう、という姿勢が見えない。(愚痴になった)


井の頭公園のフリーペーパー(fig3)


ここから見えること

 多少屈折した私は「かい掘りは効果があるんだ」とも「維持継続できればいいね」とも思わない。(いや、少しは思う)思うのはこれだけのドラスティックな効果が植生浄化で可能なのか、ということである。ここからやっとアサザがらみで本題に少し入るが、冒頭の画像、アサザが圧倒的に繁茂する池は小貝川の流路変更注3)で取り残された旧小貝川本流、いわゆる河跡湖である。その性格上外部からの流入が少なく、流出もない。よく言えば安定した水域であるが、アサザがこれだけ(ほぼ水域全部)に繁茂しているわりには見るからに汚い。水質を計測したわけではないので迂闊なことは言えないが、概ね汚れた水域に生息するオオマリコケムシ注4)も随所に見られる。面積的に井の頭池と大差のないこの池を「かいぼり」したらどうなるか、結論は見えていて雨水だけでも相当綺麗になるような気がする。(湧水は確認していない)

 この2つの事例を見る限り、植生浄化という概念は効果がない「フェイク」であったのか、効果があったとしても非常に小さなものであって、水質浄化の鍵は湖底の土壌にあった、と結論付けられる。この点、前述の「かいぼりによる自然再生のとりくみ」によれば「底泥から窒素やリンが水中に溶け出し、アオコなどの植物プランクトンが増殖して池水が濁る」状態からかいぼりによって「窒素が空気中に発散され、リンは水に溶けにくい状態に変わる」わけで、これは植物に期待すべき変化ではないことが分かる。もちろん植物に責任はなく、汚した人間に責任があるわけで植物を「役立たず」扱いしているわけではない。この状態を客観的に評価すれば

@植物を植えて綺麗になったわけではなく、綺麗になったから植物が帰ってきた

と言えるはず。これが一つの結論であり命題でもある。さてそれを踏まえてである。

霞ヶ浦を救う
湖岸湿地

 霞ヶ浦を何とかしようと取り組みはそれこそ小は近隣児童によるゴミ拾いから大は霞ヶ浦導水路注5)にいたるまで様々なものがある。茨城県民、周辺住民はこの問題に対して「ぼぉーっと生きている」わけではない。「ぼぉーっと生きている」のは問題意識の欠片も持たず、今日も楽しくバスボートを乗り回して遊んでいるアホ共である。
 その取り組みの中には「これはどう見ても失敗だろう」というものがあって、湖岸湿地保全はその最右翼だろう。何が失敗なのかは一目見れば分かるが、残った結果は雑草生い茂る荒野のみ。

 この「湖岸湿地保全」が何を目指したのか朧げには分かる。実際に目に見えない効果も多少はあると思う。それは湖岸湿地の土壌に住み着く微生物による水質浄化だが、残念ながら広大な霞ヶ浦に対し、効果が実感できるほどのものはない。
 湖岸湿地にしても植生の多様化を目指したはずだが外来種を中心にした陸上雑草が生い茂るばかり、おまけに立入禁止となれば何をやってることやら、という結末。


2011年6月 茨城県潮来市 霞ヶ浦取水の用水路に出現したアサザ(fig4)


【湖岸湿地再生】
2011年6月 何が書いてあるのかよく分からない(fig5) 同左 実際の現地の状況(fig6)

再生シンボルとしてのアサザ

 この湖岸湿地には所々に水路や池がありアサザの植栽も進められていたが、2011年以降数次の見学ではまったく目にすることが出来なかった。そもそも立入禁止なので奥まで見ることはできないが、メディアの批判もあって様子は間接的に分かる。要するに定植は失敗している。皮肉なことにこの湖岸湿地からほど近い霞ヶ浦取水の農業用水路にはアサザが勝手に繁茂していた。(fig4)水面には油膜、ゴミが浮き、おまけに右の方にはミズヒマワリが繁茂している。2m四方程度の写真で霞ヶ浦の問題点の多くが一緒に写っている「名作」になってしまったが、現在の霞ヶ浦沿岸部はどこでも似たようなものだ。
 この事例は多くの事を教えてくれると思う。アサザやその他の水生植物を定着させようと考えられる限りの対策を行った事業がうまく行かず、まったく想定していなかった場所にアサザが何気に出現、定着した。この状況は自分でも経験があるが、希少な水生植物を育成するにあたり環境を整え、競合する可能性のある植物を排除し、日当たりや肥料分まで考慮して育成したがうまく行かず、隣にある放置状態の育成環境からこぼれ種で芽が出て定着した・・・モノの大小の違いはあるが図式としてまったく同じではないか。

A植物にとっての「快適な環境、綺麗な環境」は人間が考えるものとは異なる

 どちらの場合も原因はある意味簡単で、人間が考えた植物にとって快適な環境というものは実はまったく快適ではなかった、ということだ。より範囲を限定して、アサザが湖岸湿地を嫌い、汚れた農業用水を選んだのはなぜかという原因を明らかにしない限り定植はうまく行かないはず。しかしそれ以前に、そもそもアサザは霞ヶ浦本湖に元々繁茂していたのだろうか。まったく無かったわけではないだろうが、再生のシンボルという象徴的な意味と湖岸湿地の役割や水質浄化を混同している可能性もあると思う。それぞれ同じように見えてよく考えてみると関連性はない。無理に関連付ける必要はないし、何らかの理由で関連付ければ矛盾が生じる。植えても植えても定着しない理由を水質や水深、護岸や波などに帰しても合理的な説明ができるとは思えない。それより元々そんなに無かった、という話の方が分かりやすい。はっきり書けば常陸川水門の完全閉鎖以前は霞ヶ浦は汽水湖であったので、アサザがあったのか?という根本的な問い、である。

 この真実が分かりにくい、おそらく正解がない問題は自分で追求しても解決できないし、何か力を貸せ、と言われてもアサザの里親ぐらいしか出来ないな、と考えていたが正面きってこの問題に突っ込む研究者の方が現れ、特に植生浄化の疑問に対してはまったく同感であったので注意深く読むようにしていた。数々のエントリーの中には金や政治がらみの話もあるがそんなものには興味がないのでパスし、植生浄化に付いての結論を追って行きたい。(次項)

アサザ基金バトル
アサザ基金

 霞ヶ浦関連の自然環境団体で最も全国的に高名なのは「アサザ基金」であることは間違いない。昔の認識ではアサザの里親制度と霞ヶ浦への定植ぐらいしか無かったが、組織が大きくなったのか様々なジャンルで活動を行っているようだ。前述の通り、植生浄化、自然再生の部分だけが興味の対象なのでリンク先の「湖の自然再生」を見てみると、活動内容として(1)湖の自然再生(写真から推測するに前述の永山地区湖岸湿地再生のようだ)、(2)アサザの里親制度、(3)アサザのお花見、(4)湖と森を結ぶ(粗朶消波提)、(5)海と湖を結ぶ(逆水門柔軟運用提案)、(6)生物多様性保全、(7)カムバックウナギプロジェクト、などがあげられている。基本的に私が以前から理解していた活動範囲が含まれているようだ。
 このコンテンツの「(1)湖の自然再生」を開いてみると「よみがえれアサザ咲く水辺」というサブタイトルがあって、どこかで見た言葉だなと思ったら、同名の書籍がある。それもそのはず、この本はアサザ基金の代表、飯島博注6)氏と鷲谷いずみ注7)先生の共著である。


2005年7月 自宅育成環境 開花するアサザ、里親制度のものではない(fig7)


疑問

 アサザ基金をディスるために書いているわけではないことは前述の通りだが、このコンテンツには自分で歩いて見た現実と異なる部分があった。それはアサザ基金を設立した経緯を示す部分で「アサザが生えているところでは波が和らげられ、岸近くでは波がほとんど無くなっている。」とある。そしてこれを見てアサザの植栽をすれば波が穏やかな浅瀬が増えて自然再生に繋がる(大意)はず、とある。
 この考え方は前出書の「アサザと霞ヶ浦の植生帯の保全生態学」にある「ゆるやかな環境勾配」に書かれた考え方である。(同書P72〜P101)考え方はその通りであると思うし、現実に護岸され急速に水深が深くなる沿岸部では水生植物が見られることはない。しかし「自分で歩いて見た現実と異なる部分」は原因と結果が逆になっているのではないか、という所だ。

 ここで命題の@をもう一度「@植物を植えて綺麗になったわけではなく、綺麗になったから植物が帰ってきた」。「綺麗」を「浅瀬」に読み替えても同意ではないだろうか。そして現実はその通りになっていると思う。現実から導き出される結論は、アサザには波が荒い沿岸部に定着する力はないので波を和らげ土砂を堆積させて浅瀬にする前に絶えてしまう、ということ。そしておそらくご自身もその事を理解しているからこそ「(4)湖と森を結ぶ(粗朶消波提)」という考え方が出ているのだと思う。アサザが波を和らげるのであれば消波提は不要だ。結果的にこの粗朶消波提が分解して更なる環境悪化を引き起こしている、という指摘もあるが、それは植生浄化テーマから外れるので言及しない。

バトル

 これらの矛盾点に対し、東京大学の山室真澄注8)先生がネット上で指摘(というか攻撃)を行っている。ブログなのでカテゴリー毎に読みやすく、目的である植生浄化関連も見つけやすいが、なにしろブログタイトルがアサザ基金の欺瞞である。タイトルからして喧嘩を売るようなものだが、売られた側も買うしかないわけで第三者としては何とも言いようがない。くどいようだが私はアサザに植生浄化の力があるのかないのか知りたいだけなのでかえって都合が良い。人間エキサイトすると本音が出てくるので、本音の意見がありがたい。大本営発表的意見は必要ないのだ。ちなみに自分でも気が付いた上記矛盾点に対する感想は「そんな事もあるだろう」程度。結果(浅瀬でのアサザの繁茂)から原因(アサザが波を和らげ浅瀬を形成している)を類推し対策(だったらアサザを植えて自然再生しよう)まで考えるのは頭の良い人間にありがちな思考パターンであり、結果と原因を取り違えてしまったのは事実誤認。この程度の事実誤認はよくある話だが、当事者にしてみれば団体設立の原点にもなった事象を事実誤認と認めにくいことも分かる。相手の最も痛いところを突いてはいけない、という大人の嗜み。それはさておき、関連部分を読み進めたい。

水面が葉で覆われても酸欠しないと妄信する生態学者

「その生態学者が、水面が葉におおわれてもアサザであれば酸欠しないという趣旨の発言をしていた」
「水面が葉で覆われればアサザであろうがウキクサであろうが酸欠になるのは常識ですが、こういった主張を臆面無くする自称生態学者がいるので、私は実際に霞ヶ浦のアサザで覆われたところの酸素濃度を測定して、酸欠していることを論文で発表しました」

 このやりとりで重要なのはその自称生態学者が馬鹿であることではなく、アサザの水質浄化問題はN、Pの物質循環の話ではなく、水域の酸欠、嫌気化の問題の方が大きい、という事実。ヒシや園芸スイレンに覆われた池が、その圧倒的な植生の質量に比して水が綺麗になっていない、すなわち植生浄化が機能していないことは事実。自分自身が水質問題というと反射的にN、Pの物質動態を発想してしまっていたが、それ以前に酸欠の問題が大きいのではないか、と気付かされた。
 ちなみに「水面が葉におおわれてもアサザであれば酸欠しない」は根拠をたどっても何も書いていない。一番下の事例にアサザ基金がそれなりの根拠と思しきアサザの酸素運搬システムに付いて書いているが、そもそも植物が酸素を取り込むのは自身で呼吸するためであって、土壌や水に供給するためではない。これは生態学ではなく植物生理学の話。また山室真澄先生の実測データからこの反論は否定されるだろう。

アサザ基金のデタラメ環境教育

「沈水植物が繁茂する浅い湖沼は透明度が高い(=植物プランクトンが少ない)」とのSchefferの主張は仮説に過ぎません。そして宍道湖では沈水植物復活と同時に、アオコが頻発するようになりました。」
「水草は根から栄養をとりますから、富栄養状態の湖沼で水草が増えても、植物プランクトンと栄養の取り合いになりません」

 この話はアクアリウムをやっている人なら実感として分かる話である。植物プランクトンと栄養分の競合がないのであれば、そもそも水質に対する植生浄化という概念は直接的には皆無である、ということだ。これで概ね自分が知りたいことは分かった。ちなみに引用の都合でタイトルにリンクを貼っただけなので、この攻撃的な表現は私には関係がない。

アサザがもたらす酸欠

「私はかねてより、科学的な常識として、閉鎖的にした水域の表面を浮葉植物が覆うと酸欠になると指摘してきました。案の定、底から10cm上の酸素は0.3mg/lと、無酸素に近い状態でした。表層10cmでさえも、2.2mg/lと貧酸素化していました。」
アサザ基金のホームページには、本日時点でもなお、
「アサザは水面に浮く葉から茎が湖底に向かって伸び、そのまま湖底の土の中の地下茎につながっています。水面に浮くたくさんの葉のそれぞれには小さな穴がいくつも開いていて、ここから酸素の少ない湖底の根にまで空気中の酸素を水中の茎を通して送っています。アサザはこのような通気システムを持っているため、アサザ群落の下の水底には酸素が根から供給されます。」とありました。

 科学者が自分で計測した実測数値を持って言及すれば最強なので事実なのだろう。結論は上記と同じである。引用記事の全文及び他の湖沼学、生態学に関する記事はリンク先にすべて掲載されているので興味のある方はご参照願いたい。また、本当にくどいようだが私は「自分に理解できることを理解する」だけなので双方にとって敵味方という分かりやすいポジションにいる者ではない。誤解のないようにお願いしたい。

アサザの生態的地位


2011年10月 茨城県桜川市 野池に繁茂したアサザ(fig8)

アサザとは何者なのか

 植生浄化を中心にアサザを考えてきたが、正直なところ自然環境におけるアサザの位置というものがますます分からなくなっている。少なくてもアサザによる水質浄化は期待できず、影響は野池の水面を埋め尽くす園芸スイレンと何ら変わらないことは分かった。しかし園芸スイレンがその酸欠と嫌気化によって在来種に与える影響故に生態系被害防止外来種に指定されている事実を鑑みれば、アサザはいわば生態系被害防止在来種とも呼ぶべき性格である。
 しかし生存競争が宿命である植物は多かれ少なかれこうした性格を持っており、他種に対する配慮なんてものは最初から持っていない。アサザが環境改善に資するものがない、というのは人間の一方的な見方であって、アサザがなければガガブタが繁茂し、ヒシが入り込めば他種を駆逐して環境を専有する。これを異常だと考えるのはライオンが肉食であることを異常と思うようなものでナンセンスだ。
 アサザは自生環境を選ぶヒシの如き存在で、その「自生環境を選ぶ」ことが理由で絶滅危惧種になっている。自生環境がフィットすれば多様性をスポイルするまで増殖してしまう事はヒシと同じだ。この性格を考えれば水辺環境の回復に用いられるような植物ではない。

霞ヶ浦の未来はアサザではなくカスミザウルス

 アサザによって水質浄化、環境改善が困難なことは理解できた。また確証はないが昔の汽水湖の霞ヶ浦にアサザが大繁茂し水質維持に貢献していた、というのもお伽話らしいことも分かった。水質浄化のために霞ヶ浦は「井の頭池の奇跡」に習いかいぼりをするわけにも行かない。(手賀沼程度だったら可能性があるかな?)現在「プチかいぼり」のような重機による浚渫が小規模に行われているが、窒素とリンを含んだ汚泥を湖から取り出してしまえば効果が期待できるはず。事実浚渫後に何種類かの沈水植物の復活もニュースになっている。しかし現状ではいかんせん霞ヶ浦の広さに比べて蟷螂の斧であることは否めない。
 これまでの考察から霞ヶ浦クラスの大きさの汚れた湖沼を植物の力で何とかする、という方法論は仮に可能だとしても何世代もかかることが理解できた。「井の頭池の奇跡」を起こすためには力業しかなく、最も効果があるのは重機を揃えて大規模な浚渫を行うことだと思う。国土交通省霞ヶ浦河川事務所も強力な浚渫船カスミザウルス注9)による取り組みをアピールしているが、さりげなく同じ記事に霞ヶ浦導水路も混ぜ込んでいるのか小賢しい。評価が定まらず賛否両論ある霞ヶ浦導水路の建設費用の何百分の一で、効果が実証された浚渫船が買えるではないか。この「カスミザウルス」を艦隊にするのが霞ヶ浦の道筋であると思う。その後でアサザでも何でも植えればいいじゃないか、というのが野次馬的な結論である。

脚注

(*1) Potamogeton pusillus L. ヒルムシロ科の絶滅危惧種(絶滅危惧U類(VU)、環境省レッドリスト2019)であるが、ランクよりも希少になっている印象が強い。皇居のお堀に突発的に繁茂した際には「こんな東京のど真ん中に生えるのが絶滅危惧種か」的な意見も見られたが、それは物事を知らない人間の意見である。おまけに「本当に絶滅危惧種か」的なタイトルのブログで私の写真を無許可でパクられた。意見を言うのなら少なくても自分で実物を見てからにしろ、と言いたい。そしてもちろんたまたま復活した事例をもってモノを普遍化してはいけない。私はこの水草を見るために房総半島、九十九里まで行っている。ただ、この皇居のお堀や井の頭池で復活したということは、もちろん埋土種子が存在したということで、以前は東京都でもやや普遍的な水草であったのだろう。

(*2) Nitella mirabilis var. inokasiraensis シャジクモ科の絶滅危惧種(絶滅危惧T類(CR+EN)、環境省レッドリスト2019)その名の通り井の頭池で発見された藻類だが、井の頭池では約60年前に絶滅し、国内では僅かに千葉県市川市の「じゅんさい池」で細々と生きていたらしい。じゅんさい池には行ったことがあるが、ジュンサイでさえ「どこ?」という状態、おまけに立入禁止となっており泥色の水面を遠くから眺めただけだった。井の頭池では卵胞子(種子にあたるもの)が半世紀以上生き残っていたようだ。雌雄異株なので復活した株が雌雄あり、末永く命を紡いで行って欲しい。

(*3) 利根川東遷事業に伴う鬼怒川・小貝川の分離と新田開発を目的として江戸期に行われた。当時の地図をみると鬼怒川と小貝川は現在の常総市付近で合流し、龍ケ崎まで直進し、常陸川(現在の利根川)に合流していた。この2つの河川を分離し、鬼怒川は常総市付近の台地を開削して利根川に、小貝川は現在の取手市と利根町の境界付近で利根川にショートカットさせたのが現在の姿である。この河跡湖(三日月湖、地元では道仙田と呼ばれている)はその鬼怒川・小貝川の本流跡。なにしろ「鬼が怒る川」と「暴れ川」の連合軍である。氾濫時の恐ろしさが伝わってくる。ちなみにこの道仙田から南に数100mの距離にある中沼は氾濫の際に窪地に水が溜まってできた池と言われる。水深が10m以上あるのに流入、流出が一切ないという地質学的にも貴重な存在らしい。貴重なわりには道仙田ともども現在は無料の釣堀となっている。

(*4) あのブヨブヨしたラグビーボールのような生物は一匹の生物ではなく群体であるという。どちらの場合もおぞましい事に変わりはない。北アメリカ原産の帰化生物で、日本では1972年に河口湖で確認されている。毒があって触るとかぶれるという説と、実際に食べても何ともなかった、という話があり毒性については不明。こればかりは絶対に自分で実験したくない。生物分類の「目」まで遡ればホヤの仲間であり食べられそうな気もするが、あのビジュアル、しかも小さな虫が集まって出来ているという不気味さは地球外生命体のようで見るのも恐ろしい。私が見た範囲では水質の悪い湖沼に繁殖しているが、河口湖は霞ヶ浦水系よりはるかに綺麗だし、そもそも私が見る範囲の湖沼はおしなべて水質が悪いので実際のところはよく分からない。

(*5) 本Webサイト湿地環境論霞ヶ浦導水路を参照。水戸市内の那珂川から霞ヶ浦まで地下トンネルで水を引き、霞ヶ浦を「薄めて」浄化しようという子供の思いつきのような国家プロジェクト。北千葉導水路という利根川⇒手賀沼水薄め作戦で多少手賀沼のCODが下がったので二番煎じである。問題は「多少CODが下がる」効果に数千億の費用が見合うのか、という点だが批判されようが裁判を起こされようが、やれ治水だ用水確保だと後付けの検証不可能なお題目を唱えつつ頑として推進する姿は「予算を使ったものが偉い」「公共工事ありき」というブレない官僚の見本のような姿である。「朕は国家なり」霞ヶ関の偉い人はそうとでも思っているのだろうか。

(*6) 特定非営利活動法人アサザ基金代表理事、霞ヶ浦・北浦をよくする市民連絡会議事務局長など。

(*7) 中央大学教授、生態学、保全生態学 2020年3月退任。

(*8) 東京大学教授、大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻陸域環境学講座 専門は陸水学・沿岸海洋学・生物地球化学。

(*9) 霞ヶ浦の底泥浚渫船の愛称。鈍重なボディーに鎌首のようなクレーンを恐竜に見立てている。深刻な水質汚染、汚泥問題に立ち向かう道具としては軽々なネーミングであるという噂もあるが、何でもかんでも真摯にしなければならん、ってことはなく仕事さえ真摯に出来れば良いと思う。むしろ世間に幅広く興味を持ってもらうには最適のネーミングだ。国土交通省霞ヶ浦河川事務所のHPの紹介文には「浚渫船(カスミザウルス)の浚渫装置には、一般に使用されている浚渫船とは異なり、作業時に底泥の拡散を防ぐとともに含泥率の向上を目的として回転バケット方式を採用しています」とあり、環境負荷をかけない汚泥の除去に効果がありそうだ。また「浚渫された底泥は、低地水田の嵩上げ用の盛り土として使われています」とあり、排土として捨てることなく再利用をしている点もポイントが高い。水田はどのみち肥料として窒素とリンを使用するわけであって極めて合理的。


【参考・引用文献】

・よみがえれアサザ咲く水辺 鷲谷いずみ・飯島博著 文一総合出版



【参考・引用Webサイト】

アサザ基金
Limnology 水から環境を考える



【Photo Data】

・RICOH CX5 *2014.6.16(fig1) 茨城県龍ケ崎市
・Canon PowerShotG10 *2009.5.31(fig2) 自宅育成株を撮影
・iPhone6S *2020.5.29(fig3)
・Pentax OptioW90 *2011.6.23(fig4,fig5,fig6) 茨城県潮来市
・Canon EOS KissDigital + SIGMA50mmF2.8Macro *2005.7.3(fig7) 自宅育成株を撮影
・Canon EOS7D + EF24-105mmF4L IS USM *2011.10.3(fig8) 茨城県桜川市


Feature Nymphoides peltata (SG Gmel.) Kuntze.
日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
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