日本の水生植物 湿地環境論
小貝川地勢学 地形俯瞰
(C)半夏堂
地勢学と湿地植物の存続

(P)小貝川と氾濫原 茨城県取手市

Chapter1 利根川東遷
■人工河川、利根川

 興味がないと一生知ることがない身近な事実というものがあって、私にとっては毎日通勤で渡る利根川が、実は人工的に開削された河川であった、という事実を知った時には新鮮な驚きがあった。利根川は長さ322キロメートル、信濃川に次ぐ日本第二位の長い河川で、坂東太郎という立派な別名も持っている。しかし17世紀には今の姿ではなく、現在の千葉県関宿(野田市)付近で南に流路を取り、東京湾に注ぐ河川であったようだ。

 利根川の流路変更、いわゆる利根川東遷は一説に大河川が集中し、水害の危険が高かった当時の実質上の首都、江戸を水害から防衛するために徳川家康の指示によって実施されたとされている。この経緯に付いては多くの記録や文献があり、インターネット上でも利根川東遷概史のように優れた記事があるので詳細はそちらをご参照頂きたい。
 江戸時代初期の土木工事としては相当大規模と推測できる利根川東遷事業が記録として残っているおかげで、当時、特に東遷前の姿を知ることができる。そしてこの情報によって現在流域一帯で見ることができる植生の存続理由が見えてくる。


(P)洪水由来の湖沼、中沼。平野の小さな沼だが水深が30mあり湖沼学的に貴重な沼らしい。現在は釣堀状態(茨城県龍ヶ崎市)


■居住地は元大洪水地帯

 リンク先記事の最初の地図を見ると、小貝川、鬼怒川、常陸川(現利根川)は私の居住地、現在の茨城県取手市付近で複雑に絡み合い、周辺に広大な湿地帯を形成している。このような地形は国内で争乱していた時代には外敵からの防衛に最適で、大軍で攻めることができない軍事拠点としては理想的な場所だ。現在茨城県南部の都市に「取手」という意味不明の市名が付いているが、一説に平将門が築いた「砦」に由来するという話もあって、地形から納得できる話だと思っている。

 私の趣味、水生植物見物からすれば夢のような環境だが、一方でこの地形では陸路と水路が近距離で混在し、移動には相当な困難が存在するはず、そして絶え間ない水害のリスクはもちろんだが、蚊や虻、蛇など水辺を好む不快生物にとっても夢の環境であり、当時はとても人が住むような場所ではなかったことが容易に想像できる。逆に言えば現在こうして何ら不自由なく(大都会東京から見れば不自由そのものであることは否定できないが)居住できているのが不思議に感じられるほどだ。

 この状況、つまり水害のリスクが常在する状況は現在では改善されているが、俯瞰してみると本質は変わっていないようだ。この地図は国土交通省から勝手にお借りしたものだが(これは現在の地図)、小貝川に注目してみると最下流(利根川に合流する地点)付近で他にも大規模な河川が集中している。(地図中、赤丸の範囲)各河川、治水対策は成されているが現実に水害は発生しており、洪水銀座である本質に変わりはない。

 茨城県最南部のこの一帯が以前は洪水地帯、大湿地帯であったという事実の一部は現在の地形や地名にも引き継がれていて、例えば上の画像の沼(中沼、龍ヶ崎市)は流出入河川や湧水のない、つまり雨水以外に水源のない水溜りだが、明治時代に小貝川・鬼怒川の氾濫で水田がえぐられて深さ約30mの穴ができ、そこに水が溜まって成立した沼である。水田を深さ30m以上も抉る水流がどれほどのものか想像も付かないが、規模の大きな氾濫であったことは間違いない。

 これだけ聞くとまるで日本昔話のような話だが、けっしておとぎ話ではなく公式の記録にも残っている事実である。まさに事実が想像を超えている。小貝川・鬼怒川両河川の分離は利根川東遷事業の一部として1629年に行われているが、それ以降も治水が完全ではなかったことでこうしたモノがその証拠として残っているのだ。この沼は現在茨城県によって自然環境保全地域に指定されているが、キャプションにもあるように、現況は立入自由かつ無料の釣り堀状態となっている。

 流出入がないことで水質は安定し、pH6.0の弱酸性、水草の生育には適した環境となっているが、目視した限りでは目ぼしい沈水植物は見られない。護岸された沼の周囲がすべて車で乗り入れ可能となっており、岸には釣具や食品の空袋が散乱している状態が見受けられ、とても「自然環境保全地域」とは思えないが、とりあえず埋め立てて別の利用をすることはない、という意味だろう。

■地名が示す歴史的事実

 地名としても、海も大きな湖沼もない居住地市内には「成沖」や「八重洲」など水絡みのものが多数残っている。現地は海や湖沼の「沖」でもないし、河川の「洲」でもない。どちらかというと乾燥した土地であって、サンズイが付く地名が付与されるような痕跡は現在はない。しかし、こうした水害の歴史と地名の関連は確実にあって、国土地理院でも地名と水害という記事を上げているほど。余談ながら一戸建ての家を探す段階でこうした知識を持っていれば確実に現在の家は買わなかったと思う。先頃配布された市内ハザードマップでは利根川・小貝川氾濫時に我が家は見事に水深3mエリアに入っていた。もはや対策は水害が起きないことを祈るだけである。
 東京都江東区、江戸川区、墨田区の荒川流域を中心とした、いわゆる海抜0m地帯には人家や工場、商店などが密集しているが、失礼ながらその様を見て「何もこんな危険な所に密集して住まなくても」と思っていた。しかし何のことはない、自分も危険度という点では同じような場所に住んでいるのである。我々の日常を支えているのは堤防ひとつなのだ。自分を含めた利根川流域の居住者は普段この事実を忘れているが、海抜0m地帯では電柱一本一本に洪水時の到達水位が刻まれている。それを見て緊急避難用のボートを用意したり積み込むための保存食糧を用意している人はそんなにいないと思うが、これは注意喚起のつもりだろう。現実問題、水害が発生する頻度を考えれば人口密集地帯では火災や震災の方がリアルだ。

 さらに余談に踏み込むと、家を買うという行為は普通の人間には一生に一回あるかないかの大きな買い物なので慎重な判断が求められるが、私の後付の知恵では上記の地名に加え(水に関連した地名があるかどうか)、古い神社仏閣があるかどうか、つまりこれは大規模な震災にも耐えうる強固な地盤があり、数百年以上の建造物が現存している、という証明になるはずだと考えている。何も考えないと湿地や水田を埋め立てた宅地に家を買ってしまい、水害で避難するはめになったり震災で地盤が液状化して家が倒壊したり、という目にあう。自分の経験では「家を買う」という非日常に舞い上がり、頭の中は間取りや価格のみ、長期的な危険性は眼中になかったが、多くの人も似たようなものだろう。しかしこれから家を買う方はぜひ頭の隅に入れておいて欲しい。

 この一帯、文物としては現在の利根町(茨城県北相馬郡注1))を中心に「水神社」が密度濃く散在しており、この地域で何が最も恐れられていたのかが推測できる。水神社のご神体は様々であるが、信仰は水に関するもの、突き詰めて言えば農作物に必要な降雨があり、必要以上の降雨によって洪水が起きない事、である。旱魃はともかく、洪水が発生するのは河川湖沼が存在する場所であり、この水神社の存在も古来の地形を明示的に示している、と言えるだろう。
 そして龍ヶ崎市という地名。龍は河川の化身、龍ヶ崎は太古の二匹の龍(小貝川・鬼怒川)が現在の利根川である常陸川に合流していた「先」だ。龍はもちろん想像上の生物だが、その設定は水生生物である。(西洋では解釈が異なるが)文化的背景を綿密にモチーフとして活用するジブリの「千と千尋の神隠し」にも川の神注2)として龍が登場する。まさに地形を如実に示しているのではないだろうか。

■水生植物の残存

 さて、簡単に言えば元々大湿地帯であったこの地域には希少な水生植物が残存していて当然、なわけだが話はそう簡単ではない。高度成長期以降の開発を通じて、この一帯はすっかり水質悪化銀座になってしまった。COD値、BOD値による水質ワースト上位には印旛沼、牛久沼、手賀沼、北浦、常陸利根川、霞ケ浦など水系の代表的な河川湖沼が並んでいる。当然のように沈水植物は壊滅状態、比較的水質の影響を受けない湿地植物も湿地のゴミ投棄や埋め立てなどによる荒廃、自然遷移などにより甚だしく減少している。しかしこの環境にあっても小貝川氾濫原には多くの希少な植物が存続している。この状態を地政学的に考察したのが今回の話である。お断りだが、あくまで地政学「的」であって地政学ではない。ゆえに地勢学である。

 蛇足ながら本稿は公開を前提としているが本質的には自分のための情報整理である。この地に居を移し、自生植物を調べ始めて20年以上が経過した。さほど広大な地域でもなく見るべきものは何度も見て考え、ダメダメな部分と特異性が残る部分、そろそろ整理しておこうという趣旨だ。故にこれまでの前振り時点で長大なテキストになっているが、自分で納得するまで書き記そうと思っているのでこの後もどれぐらい続くのか分からない。前述のように本質は「自分のための情報整理」なので公開はするが無理に第三者に読んで頂こうとは考えていない。それでも、という方のみお付き合い頂ければと思う。


【小貝川付近点景】
小貝川の流路変更により取り残された河跡湖群のひとつ。元の小貝川の水質を引き継いでいるが、現在はアサザやヒシが繁茂している。ブラックバスも密放流されている。(龍ヶ崎市) 一部耕地に利用されている(向かって奥が小貝川本流、後方に水田が見える)小貝川氾濫原。頻発する冠水のため、洪水アラームの水位計が設置されている。(取手市)

Chapter2 氾濫
■治水の戦い

 小貝川は流路変更前も後も、さらに現在も氾濫と治水の歴史であると言える。右画像は河口付近(利根川合流地点付近)に設置された豊田堰(取手市、利根町)だが、やや上流には岡堰(取手市)、さらに福岡堰(つくばみらい市)と比較的短距離に3つの堰が並ぶ。同時にこの3つの堰は規模から見た関東三大堰になっていて、治水が大規模に、かつ連綿と続けられて来た事実が理解できる。
 ただしこれらの強力な堰があっても水害を完全には防止できないと思う。近年の気候変動による短時間雨量は堰の設計時の想定を超えているはずで、現に隣接する鬼怒川では従来想定していなかった地点で堤防が決壊している。堰はたしかに多くの水量を蓄えられるが、それが決壊した際の被害は想像に余りある。
 居住地周辺の水田、畑地の多くが小貝川を水源とする用水を使用しており、もともとの湿地帯に成立した、河川と高低差が少ない地域だけに住民にとってはある意味大震災よりも現実的な恐怖感がある。


(P)小貝川の堰、上流から3つ目の豊田堰


 小貝川よりも流量が圧倒的に大きな利根川の方に洪水に関して相対的な安心感があるのは、過去氾濫を繰り返した湾曲部の流路変更や外堤防が強化されているからである。場所によってはスーパー堤防となっている区域もある。上流には多くのダムもあるし流入量の調整機能として渡良瀬遊水地もある。これらの存在意義はもちろん氾濫した際の被害が桁違いに大きいためだ。絶対的な安心感がないのは、台風の度に外堤防まで押し寄せる水流を見ているからである。まさに紙一重、地域住民の安全が堤防一つにかかっている「リアル」は毎年台風シーズンに目視できる。

■豊田堰

 印象として「氾濫の危険度が高い」小貝川の治水機能としては前述の通り3つの大きな堰が代表的な存在だ。うち最下流の豊田堰は1667年に徳川幕府の普請役伊奈忠治(1592-1653)によって灌漑目的で設置されている。その後も連綿と工事が続けられ最終的に現在の形となったのは1977年(昭和52年)である。絶え間なく続けられた工事ではなく中断期間も多かったと思うが、なにしろ通算で300年以上かかっている。規模はともかく、期間だけ見れば壮大な工事であると言えるだろう。

 堰を開放している期間は上流側に広大な砂州が広がるが、同様の地形である福岡堰付近でキタミソウが見られるのに対し、豊田堰付近では見つかっていない。自分も暇人だった時期に相当綿密に見てまわったがついに発見にはいたっていない。同じ灌漑目的を持っている堰ではあるが、より下流にあるために水質が良くないのか、堰付近で合流する北浦川の影響なのか、すぐ上流で合流する、水質では悪名高い牛久沼の水のためか、あるいはその全部か、真夏に水深のある環境に没する、という条件には合致しているが見られないものは見られない。福岡堰付近から種子は流下しているはずだが、もともと精緻な条件下で存続する植物だけあってなかなか難しいようだ。
 さらに常総市の大和橋付近や取手市大曲の氾濫原で見られる希少な湿地植物の数々も豊田堰付近では見ることができない。大曲からは僅かな距離であり地形も酷似しているが、永い間続けられた工事によって多くの構造物がありその影響も排除できないのかも知れない。そして福岡堰上流では氾濫原地形がなく、ごく普通の河川になってしまうので「植生豊かな小貝川氾濫原」と言っても意外と僅かな地域に限られることが分かる。

■堰の必要性

 小貝川は「兄貴分の」鬼怒川と完全分離され、貯水量の多い堰を3つ設置、堤防工事も継続して行われているほど治水対策が成されているのにも関わらずなぜ氾濫の危険があるのだろうか。それは端的に言えば降雨時の流量の増加が大きく、増水する時間も短いからである。その理由は利根川の支流中、第二位の長さ(111.8km)を持つ河川でありながら、地形的に耕地に利用されている流域が多く、遊水機能を持つ地形や保水力のある森林地帯が少ないためだ。高低差が少ない平野部を流れる河川の宿命的な弱点かも知れないが、その弱点が最大限に現れているのが小貝川なのである。結果的に増水も渇水も比較的短時間で起きる。

 その典型的な例は「2015.9.10豪雨注3)」で、一度日本海に抜けた台風18号(温帯低気圧に変化)に太平洋から湿った暖かい空気が流れ込み、また接近中の台風17号から吹き込む湿った風とぶつかったことで南北に連なる雨雲(線状降水帯)が継続して発生し雨量が増大した。この結果鬼怒川は常総市付近で決壊し大水害をもたらしている。小貝川は決壊には至らなかったものの3つの堰の水量はほぼMAX、氾濫原はその言葉通り遺憾なく役割を発揮している。簡単に言えば一杯一杯で何とか耐えたレベルであると推測される。ニュースでは鬼怒川のみ報道され、識者と称する方々が鬼怒川の治水に付いて何だか言っていたが、実は小貝川も相当な危険性があったことは報じられていない。不謹慎な話だが鬼怒川は現在守谷市付近で利根川に合流するので我が家には影響がないが小貝川が切れれば無事では済まず、TVで報道された、自宅の屋根で救助を待つ人の姿は自分だったかも知れない。

 この豪雨、堰も氾濫原も無ければ小貝川はあっというまに決壊し、自宅にも濁流が押し寄せたに違いない。まさに「今そこにある危機」だが、前回水害から何十年も経過すると住民も入れ替わり危機意識が薄くなってしまうことも事実。あれだけの大水害がごく近隣で発生しているにも関わらず避難に関する指示や注意喚起はなかったか、気が付かなかった。もちろん「気が付かない」のは自分の責任だが、言い方を変えればその程度の情報発信だった、ということ。ちなみに常総市の水害発生は行政の情報ではなくTVニュースで認識した。自分を含めて大洪水地帯の住人であり、400年近くの治水努力によって何とか人が住めるレベルになっている土地だということは間違いなく住民全員が忘れている。

 決壊現場の常総市でも認識は同程度であったと思う。後で何だかんだ批判するのは簡単だが、近年決壊や氾濫の記録があったのは小貝川であって鬼怒川ではない。 警戒の方向が小貝川に向いていたのは容易に想像できるし同情の余地はあると思う。決壊現場付近は 自然災害情報室平成27年9月関東・東北豪雨現地調査写真で見られるように両河川の距離は1kmほど。どちらが決壊しても被害は同程度であり、客観的にリスクが高いのは小貝川である。リンクサイト、平成27年9月関東・東北豪雨現地調査写真によれば鬼怒川決壊の原因は利根川のバックウォーター現象注4)によるものらしい。鬼怒川合流点下流の利根川沿いにある自分の居住地はある意味、鬼怒川によって救われたと言えなくもない。前述の通り利根川は治水対策が高いレベルで成されており、水の圧力が行き場をなくして支流にしわ寄せが行った、という図式だ。

 こうした状況程ではなくても、氾濫原への冠水は年に数回発生している。それも台風や集中豪雨ではなく、ちょっとした長雨程度でも、だ。このために小貝川の氾濫原は撹乱が頻度高く発生し、こうした環境を好む湿地植物の特異な自生地となっている。植生的には近所にこうした場所があって有難い話だが、理由としてこうした水害との戦いの中で安全弁的に維持された人為的環境と言えなくもない。小貝川の氾濫原を失くしてしまうと、小貝川はもちろん、連動する利根川や鬼怒川の洪水のリスクが高まるのである。それは前掲の国土交通省の地図を見れば明らかな話で、水の行き場は茨城県南部に集中した河川のどこかなのである。


【小貝川の堰】
小貝川上流、福岡堰(つくばみらい市) 同、岡堰(取手市)
【流路変更】
台地を開削した鬼怒川の新流路(守谷市) 利根川蛇行部を改修した跡に出来た河跡湖
(古利根沼、茨城県取手市・千葉県我孫子市)

Chapter3 撹乱
■氾濫原の植生

 氾濫原の植生とはどういうものか、明確な定義があるわけでもなく氾濫原だけに自生する植物というものもない(知りうる限りは)ので推測範疇の話になってしまうが、ある程度傾向を知るためには現地の綿密な調査(これにはある程度積み上げたものがある)と撹乱の種類を出来るだけ詳細に分析することが必要だと思う。

 植生に付いては後述するが、まず攪乱のタイプ。一般に里山の生物は人為的攪乱に依存するとされている。茨城県でも数多く見られる、放棄され荒廃した里山では特有の昆虫類(クワガタ、カブトムシなど)が姿を消し、林床性の小型植物であるカタクリ、キキョウ、センブリなどが見られなくなっている。現象面を見ればこれらは人為的な攪乱に依存していたことが明らかだ。逆に言えば自然遷移において「負け組」の生物達と言えるだろう。
 里山の撹乱(二次的自然)に対する分析は多くの研究成果があり、共通しているのは下草刈や枝打ちなど人為撹乱による明化注5)(特に林床性の小型植物に対し)と枝打ちによる枯れ枝の貯留、落葉の定期的利用(昆虫類の餌)が効果として指摘されている。


(P)平成27年9月関東・東北豪雨による冠水後の小貝川氾濫原 茨城県取手市椚木


 意外と勝手に増える印象のカブトムシだが、数年間利用しない雑木林のコンポストを繁殖場所にしているグループは菌の繁殖で全滅してしまうこともあるそうだ。別なテーマとなるが、燃料や肥料の供給源としての里山はかなり以前に役割を終えている。今時電気やガス(LPG含めて)が来ていない居住環境があるだろうか。里山の攪乱イコールこうした生活用品の供給であって、それが滅んだライフスタイルである以上、生態系の維持を目的として意図的に手入れを行わない限り元に戻ることはないだろう。河川の氾濫原とは関係ない話だが、実はこの話が通常の「河川敷」と氾濫原の性格の違いを考察する出発点になっている。共通する現象はもちろん「攪乱」である。

■氾濫原仮説1

 氾濫原の攪乱は里山に見られるもののように微妙な、人間のメンテナンス的な攪乱ではなく自然由来の大規模なものだ。画像は平成27年9月関東・東北豪雨の約1か月後の小貝川氾濫原だが、立ち木が倒れ枯草はすべて押し流される程の流れが河川敷を通り抜けている痕跡が見られる。水害時の冠水ではなく、通常(長雨など)の冠水でも似たような状況だ。この攪乱はもちろん環境の明化や昆虫類の餌確保といった「微妙な」効果をもたらすものではないことは明らかである。それこそ昆虫類の住処ごと押し流されてしまうほどの「攪乱」である。
 冠水後の氾濫原を歩けば気が付くが、一帯に新たに土砂が堆積している。これは河床に堆積した土砂が冠水とともに河川敷に上がったもので、同時に河川敷土壌表層の流失も起きていることを勘案すれば土壌の更新が起きていると考えて良いと思う。小貝川も例外ではないが、河川敷の優先植物はアシである。成長スピード、繁茂スピードが早く養分吸収が大きいこの植物は成長期には養分に加えて日照も占有してしまうので他の小型植物にとっては天敵のようなもの。一方、冬には枯死して養分を戻すので、季節によって土壌の貧栄養化の原因にもなれば富栄養化の原因にもなっている。

 問題は他の植物の成長期に養分補給が成されるかどうか、という点だが氾濫原では春先の多雨の時期、梅雨の時期、台風の時期に冠水によって土壌更新が行われ養分補給が行われていると推測できる。人為的な春先の野焼きと同じ効果だ。河床の養分に付いては諸説あるが、 独立研究開発法人土木研究所の記事によれば、洪水時(氾濫)には相当量の有機物が河床から流失していることが分かる。流失先(堆積先)は小貝川の場合、氾濫原である。従って以下の仮説が提示できると思う。

仮説1:氾濫による土壌更新、養分補給が行われている


■氾濫原仮説2

 二点目に小貝川氾濫原全域に護岸が少なく氾濫原の標高と水面の標高差が少ない、という点があげられると思う。護岸が少ないのは川岸に護岸しても度々冠水するので堤防の劣化が早くコストがかかる、氾濫原を河川の一部として考えている、などの理由があると思う。小貝川の氾濫原は言葉通り氾濫原なので年間の多くの期間「川底」の状態なのだ。コストをかけて川底を守る必要性は皆無である。

 小貝川の氾濫に対するディフェンスは前述したように大きな堰3つと強力な外堤防によって行う、という思想である。この河川を見れば それ以外に考えようがない 。と言うよりも、これだけ時期により水位差が大きい実態から考えれば、内堤防による洪水防止効果は見込めないはずである。従ってありがちな「河川敷の有効利用」もあまり見られない。(水没しても構造物に影響しないキャンプ場やバーベキュー場などは若干ある)なにしろ「有効利用」しても年間の相当期間、「無効」になってしまうのだ。無効になるものに投資する人間はいない。


(P)氾濫原(通常時水位)のサイドビュー、アシの生え際(氾濫原土壌)と川面水面の高低差に注目


 結果的にこの地形で何が起きているか。氾濫原は地下水位が非常に高い。多くの場所で低地状の窪みが池となっている。このような池の水面が小貝川の水面=地下水位であるはず。小貝川の氾濫原探査で障壁となるのはアシの壁に加えてこうした「ズブズブ地形」である。ちなみに湿地探査や動植物採集を「ズブズブ」と呼ぶのは本当の湿地を知らない人達だ。池に至っては深さは知れず、周囲も植物の枯死体が堆積しどこまで沈むか知れたものではない。迂闊に踏み込めば命の危険まである。素人(研究者ではない、という意味)の「調査」の本質は物見遊山だが、こんな所に気分まで物見遊山では自ら危険地帯に飛び込むようなもの。要するに氾濫原は本来的な意味での湿地なのである。言うまでもなく「多様な湿地植物」は湿地に自生する。至極当然の話であるが今やなかなかこういう地形はない。

 例えば街中に「底知れぬ池」「どこまで沈むか分からない泥炭地」があったら子供の一人歩きも危ない。街中ではなくても郊外でもこんな地形は急速に姿を消している。理由は危険だから、である。場合によっては開発の対象にもなるだろう。それどころかあまり近寄る人間もいないはずの田園地帯の農業用ため池も全周フェンスで囲われているほどだ。本物の湿地は現代の価値観ではなかなか存続しえない「荒々しい自然地形」なのである。
 なぜこんな事になっているのか。一つのヒントとして早稲田大学の森岡正博先生が書かれた「無痛文明論」という本がある。話が大きくなるが「快を求め、苦しみを避ける方向へと突き進む現代文明」というテーゼはまったく正しい。肉は大好きだが解体現場は見たくない、マグロのトロは好むが何か月も船に乗って漁場には行かない、スズメバチには近寄りたくないが家に出来た巣は除去して欲しい。大自然は好きだが危険な目にはあいたくないというのも同列の話に思える。本物の湿地は核の如き、ある意味放置状態の氾濫原や遊水地にしか存在しないのも理解できる。

 閑話休題。画像は氾濫原を対岸から撮影したものだが、アシの生え際もハンノキ注6)の疎林の根元も水面に近く、この状態は多少の緩やかな勾配を伴いつつも外堤防まで続いている。余談ながら本来の湿地探査の個人的な三大障壁は上記「アシの壁」と「頻発するズブズブ地形」に加え、私の苦手な「蛇」だが、この自然度によって雉をはじめ野鳥が繁殖しており蛇をあまり見ない注7)。植物のみならず氾濫原は野生生物の生息環境としても適していることが理解できる。本稿タイトルの地勢学は「地政学」のモジリだが、本家流に言えば野生動植物の生存適地である、と言えるだろう。

 もう一つ、こうした地形が故に治水利水設備以外の人工物があまりなく、これが自然度の高さに直結するという、生物多様性にとっては好循環になっているという点があげられる。このため、河川敷にありがちな市民公園、グラウンド、ゴルフ場の類があまり見られない。近所に1か所、氾濫原に野球グラウンドがあるが、氾濫原から水が引いてもしばらくはドロドロの状態である。野球よりも田植えに向いた地形で、年間のどの程度の期間、本来の役割が果たせるのか他人事ながら心配になるほどだ。

仮説2:地下水位が高く利用できない土地であるため自然度も高い

 謙虚に仮説と書いたが、氾濫原の特有な植生を成立させている理由はこの二つに間違いないと考えている。この河川敷をどこかと比較するのにこんなに便利な場所はなく、合流する利根川をすぐに調べられる。利根川河川敷にも氾濫原的な性格の場所はあるものの、とても仮説1のような状況にはない。また仮説2に関しても運動公園あり、両岸にゴルフ場あり、とフルに活用されている状態であって仮説2の状況にはない。結果的に特有の植生もない。普通に考えれば合流点周辺は植生も連続しそうなものだが近くには形跡もない。ネガティブ方向からの証明だがたぶん正しいだろう。

■破壊する者

 霞ケ浦導水路や常陸川水門など、いつも批判的に見ている(書いている)国土交通省だが、良い事もしている。(上から目線で申し訳ない)悪法としか言いようのない家電リサイクル法注8)以来、氾濫原への家電ゴミの不法投棄が増えている。大型の家電品はもちろん自然分解しない上に、有害物質の溶け出しによって環境に悪影響を及ぼす恐れもあって厄介者だが、夜間に河川敷氾濫原に運び入れて捨ててしまう(昼間でも人影がないのであるかも)個人や業者が多く、大きな問題となっている。
 国土交通省では 河川パトロールによって小貝川と鬼怒川の巡回監視を行い、過去には摘発検挙の事例もあったようだ。その意味では成果も上がっているが、回収する量を捨てられる量が上回っているのか、毎回廃棄された家電製品を見かける。私も過去、河川パトロールの方に「河川敷をうろつく不審者」的に職質のような問いかけを受けたことがあるが、よくよく話を聞いてみると下請け業者のそのまた派遣のような立場の方々が実務を担当しているようだった。ただし車両には国交省の名前が入っており、事業主体もまた然り、抑止力という観点から見れば良い取り組みだが、こんな世界にもお役所的丸投げ体質が現れている点は残念だ。

 他記事でも書いたが、この地域茨城メンタリティーとも呼ぶべき悪しき価値観があって、多少のことは自然回復力が吸収してしまう、家電放棄の悪事も草が覆い隠せば見えない、見えなければ無いのと同じ的なノリ、それ以前に人が見ていなければOK、金を払ってまで処分しなくて済んで得をした、のような雰囲気を感じられて仕方がない。本稿主題には関係ないが、様々な排水を延々と吸収してきた霞ヶ浦が限界を迎えてしまったのと良く似ている。こういうメンタルなので不法投棄を見つかって咎められても逆ギレする確率が高いと思う。しかも程度が低い連中が・・。こんな仕事をよくやっていると思ったが、案の定、汚れ仕事は上品な公務員ではなく下請け以下、という落ち。システムが機能しているようで機能不全、それでも中央官庁のデスクワーク人種は「予算を消化し順調に事業が推移している」と思っているのだろう。まさに現場を知らない人間が決定権と予算を握り、その弊害を見ることはない。その典型がここである。小貝川に関してこれだけは書いておきたかった。


 長くなるゾ、と言ってはみたものの予想以上に長いテキストになってしまい、果たして最後まで読まれた方がいたのかどうか不明だが、さすがにこれ以上は犯罪的だと思うので、植生編は稿を改めることにする。

脚注

(*1) 茨城県南部利根川沿いにある郡部。自治体の合併が進み現在では利根町のみが属している。当初は利根町以外に現在の守谷市全域、取手市の大部分、常総市の一部、つくばみらい市の一部、龍ケ崎市の一部が属する広大な地域であった。福島県相馬郡(野馬追で有名)はこの地域の領主であった相馬氏が領土を与えられて移住した事がルーツとなっており、根は同じである。
 ひとりぼっちの利根町もどこかと合併すれば良さそうなものだが、動線というか生活圏というか、意外なことに千葉県側の我孫子市や印西市と密接である。ちょっとした買い物や病院、銀行などは利根川の橋(栄橋)を渡ればすぐにある。県内隣接の龍ヶ崎市や取手市に行くよりもよほど近い。だからと言って隣県の自治体と合併という話は聞いたことがないが、そこがジレンマなのかも。

(*2) 「千と千尋の神隠し」の重要な登場人物の一人、「ハク」はニギハヤミコハクヌシという川の神で龍の姿をしている。文化的には川を龍に見立てるのは中国から渡来した考え方とされている。ちなみに古事記や日本書紀に登場するヤマタノオロチも(オロチは現代的解釈で蛇だが)島根県の斐伊川上流に登場する。この神話が成立した年代は、日本人のルーツが大陸渡来とすれば古代中国の影響下にあった、と考えてもよいと思う。

(*3) 正式には「平成27年9月関東・東北豪雨」と呼称される。本文にある通り一度日本海に抜けて温帯低気圧になった台風が新たな台風の雨雲を引っ張り、大量の雨を長期間もたらすという最悪の災害であった。雲(線状降水帯)がかかった栃木県、茨城県南部の被害が大きく、鬼怒川では常総市三坂町付近で決壊、全半壊家屋5000棟以上の惨状をもたらした。このようなメカニズムで起きる豪雨災害は聞いたこともなかったが、気候変動の影響なのだろうか。

(*4) 簡単に言えば下流側の水位変化の影響が上流側に及ぶ現象のことである。小貝川も鬼怒川も利根川の支流であり、利根川の水位が上昇すると自己の水量以上に水位が上昇、堤防に圧力がかかる。鬼怒川の決壊はその後の研究でバックウォーター現象ではないか、と指摘されている。利根川の方は大河川だけあって現状考えられる最悪の事態にあわせて治水設計が成されているため最近の決壊氾濫はないが、これとて最近多い自然の「想定外」があれば今後はどうなるか分からない。

(*5) 下枝の剪定などにより林床への光の投射量が増加すれば本文のような林床の陽性植物の存続が可能となる。一方、放置による木本植物の生存競争による枝葉の繁茂で遷移による暗化が起きる。これは里山の生物多様性における人為的攪乱の必要性のごく一部の説明となっている。

(*6) カバノキ科ハンノキ属の落葉木本植物。過湿地で自生する数少ない樹木であり、河川氾濫原のような地形に多い。休耕田、耕作放棄水田にも出現する場合がある。開花期が冬の12月〜2月であり、この時期に発症する花粉症の有力なアレル源となる。ミドリシジミやハンノキハムシなどの昆虫類が食草としているほか、モモンガなど齧歯類も好んで樹皮を食べる。

(*7) 営巣した鳥の巣に卵を食べにくるイメージの強い蛇だが、トビ、サシバ、ノスリ、ゴイサギ、アオサギ、カワウ、モズ、キジなどは蛇を食べる食性があり、これらの鳥類が数多く生息する氾濫原周辺では蛇の個体数が少ない。特にキジは「長年卵を盗まれてきた恨み」があるが如く食べなくても攻撃する習性があり、特にキジの個体数が多いこの一帯では滅多に蛇を見ない。(ありがたい)全国的に傾向は同じようで「キジ、ヘビ」で検索すると動画を含めて数多くのバトルを見ることができる。

(*8) 正式には「特定家庭用機器再商品化法」。2001年4月施行。従来粗大ゴミ等で回収していた家電製品が家電リサイクル券なしでは廃棄できなくなった。資源の有効活用の点ではごく真っ当な法律と思われるが、費用負担増を嫌い不法投棄する者、無料回収を謳って高価な金属だけを売り抜ける業者などが出現し社会問題となっている。こうした取り締まりのしにくいアウトローが出てくるのは容易に予想できたことで、十分に煮詰める前に見切り発車のような形で施行してしまったのは金の流れが新たにできることで天下りか何か知らないが利権が出来るためではないか、と勘繰りたくもなる。


小貝川地勢学 地形俯瞰
(C)半夏堂
日本の水生植物 湿地環境論
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