日本の水生植物 湿地環境論
水田の危機 第一部お米の経済学
(C)半夏堂
減少する国内最大の湿地

(P)遷移する休耕田。一帯の水田地帯では約4割がこうした状況だ

Chapter1 減反政策による耕地面積の半減
 あらためて書くまでもなく米は有史以来日本人の主食であったが、戦後の1970年、政府は新規開田の禁止、政府米買入限度の新規設定、自主流通米制度の導入、一定の転作面積の配分を柱とした本格的な生産調整を開始した。いわゆる減反政策である。経緯を追うのは本稿の目的ではないが、この政策の裏に戦後アメリカが自国の余剰小麦を買わせるために学校給食にパンを導入、徐々に日本人の食生活を変革したという「アメリカ陰謀説」がある。政策に即効性を求める国民性のアメリカがこんな気の長い陰謀を企むのかどうか、大きな疑問はありつつも結果としてはその通りとなっている。それどころか現代までコメ離れの傾向は続いている。これがもし「陰謀」だとすれば壮大かつ緻密な計画で、フォーサイスやカッスラー(*1)の小説のモチーフのような話だ。

 陰謀説はともかく、私の成長期には米は3K赤字(*2)の一角であり、逆に言えば米農家は護送船団に守られていた。この根拠は1941年施行の食糧管理法である。本法は戦中に成立した法律でありながら1994年まで継続し、減反はありつつも政策によって米価が安定していたので稲作農家の経営も安定していたのである。

 減反政策はこの「安定」の反作用と言う事ができる。つまり、日本では1964年頃から米消費が減少傾向に転じたが、一方農業技術の向上で米生産が増大、食糧管理制度下で買取義務のある政府の在庫米が急増した。この頃流行した言葉が古米、古々米で、古くなって味の落ちた米は国内では家畜の餌、刑務所の食事、産業用の原料など焼け石に水程度の処理量を除き他に処理の方法もなく、年々税金を使用するだけの「不良在庫」になっていたのである。市場経済の原則から言えば当然こんなことは許されない。製造業で言えば作り過ぎた在庫は会計上棚卸資産、課税対象になるのだ。一般企業でこんなことを2年も続ければ生産計画の責任者は間違いなく首が飛ぶ。
 本来自由経済の国家でこうした計画経済のような(しかも破綻している)スキームが存続したのは、戦後、一時期をのぞき自由民主党が政権党であったからと言えるだろう。自由民主党の当時の大票田は農村であったからだ。農村にそっぽを向かれては政権維持が覚束ない。客観的に考えれば食糧管理法は国家の市場経済介入であり解釈によっては憲法違反と言われても仕方がない。

 さて、すべてが減反政策の影響とは言えないながら、水稲の作付面積は 1969年の317万ヘクタールをピークに、2000年以降、170万ヘクタール前後で推移するようになった。概ね半減である。また1995年には食糧管理法から食糧法に移行し、稲作農家は更に厳しい経営を強いられることになった。この新食糧管理法、食糧法の主な骨子は以下である。

・政府の米買入れ目的は価格維持から備蓄に変更、同時に買入数量が激減
・米価は原則市場取引により形成(自由化)
・生産数量は原則生産者が自主的に決定

 かいつまんで言えば「政府の買上げは行わないので勝手に作って売れる価格で売れ」ということである。今更言われなくても他の業種は昔からそうしているし、これぞ自由経済の原則ではあるが、こと米に関しては簡単に行かない事情があった。(この内容は次項で解説)長年扶養して来た子供に「20歳で成人したから今日からすべて自分で生活しろ」というようなもの。そして自立できない理由を作って来たのは扶養者たる政府そのものなのである。まさに「二階に上げて梯子を外す」という諺を地で行くえげつなさ。総論すれば「お上」が愚民政策で国民を振り回していると批判されても仕方がないだろう。

 後述するが、グローバル化を錦の御旗に政府自民党が推進しようとしているTPP。格安の農産物が無関税で輸入され市場に溢れる事態を想定し、対策としては国内農業の大規模集約化を謳っている。しかしそこには稲作の概念はなく野菜や果物のブランド化を中心にした高付加価値商品による競争を前提にしているようだ。事実、労働対価が比較的安い中国や台湾で日本の安全で味の良い農産物が歓迎されているという話もある。しかし国内全水田面積の30%はグライ土壌であり、技術的にそう簡単に転作が図れるものでもない。
 前述のように減反政策が推進されても生産技術の進展がそれを上回り、現時点でも米の自給率は100%である。逆に言えば資源の少ない我が国で自力調達可能な数少ない資源である。これをこのような形で痛めつけることで日本はどこに到達しようとしているのか、具体的な説明がない現状に対し、大きな疑問を抱かざるを得ない。


(P)稲の開花

Chapter2 短期間に終わった民主党の救済措置
 稲作農家が自立できない理由は、市場経済から乖離した米価が続いたためである。それを継続させていたのは前述の通り政府である。 稲作による安定した収入がある一方、生産財(農業機械など)や消費財(除草剤や肥料など)の価格は変動する。これがある時点で米価を越えてしまったのである。作れば作るほど赤字が拡大する構造的問題。かと言って利益の取れる売価ではまったく売れず、全額が赤字になってしまう。少し前に試算したデータがあるのでお示ししたい。(算定基礎数値は農林水産省の米をめぐる参考資料を参照した)


【稲作コスト10kgあたり適正販売価格試算】*数字はあくまでモデル例

(限界利益率を生産者30%、卸小売(農協含む)業者30%として試算)端数処理:四捨五入

(a)生産者 原価16,497円+限界利益7,071円 = 生産者米価23,568円
(b)流通価格 原価(a)23,568円+利益10,101円 = 流通価格33,669円
*10kgあたり適正流通価格5,612円


 この試算から読み取れる情報は3つある。一つは生産者米価が1万円の時代に、製造原価はその1.6倍、限界利益(*3)を含めた原価は2.4倍近くに膨らんでいること。これは一般の製造業ではありえない。この差額を埋めているのは税金と生産者の涙が半々なのである。
 二つ目は(b)の流通価格に注目すると10kgで最低5,612円となって然るべき米価は現在どうなっているか?ということだ。我が家ではブランド米ではない普通の「茨城県産コシヒカリ」を10kg単位で買っているが、平均価格は3,980円、特売で3,280円〜3,580円程度である。(ネット通販では更に安価な販売がなされている 参照)つまり市場原則から言えば生産者はありえない価格で出荷し、消費者はありえない価格で購入しているのが現状だと言えるだろう。要するに米価は市場から乖離している存在なのだ。繰り返すが、この状態は長年米価を税金を使って安定させてきた結果である。「昨日までお米は10kgあたり3,980円でした。しかし新しい法律になったので今日から5,600円です・・・。」いきなりこんな1.4倍の値上げが通用するだろうか。いや、生産者や流通事業者の適正利益を考えれば13,000円前後の価格設定が成されて然るべきである。しかしそれでは米離れの背中を押す結果となってしまう。
 三つめは試算数値が甘めに見える、という点である。これはあくまで感触の話。試算数値のベースは一等米だと思われるが、水田に稲を植えて水を引くだけでは一等米はできない。良質の肥料や小まめな手入れが必要であり、変動費はこんなものではないのではないか、という話だ。ブランド米が高いのはそれなりに原価がかかっているためだ。米を作ったことがない連中が試算すると往々にしてこうした部分が抜けやすい。

 この試算の結果が現代社会で浮いているように思えるのは、そもそも米価の安定が「国民を飢えさせない」所から始まっているはずだからだ。いつの頃から仕組だけが存続し、選挙やら陳情やら本来の目的とは乖離した要素が付加され既得権化し、本質は忘れ去られ・・・。結論を言えば現代社会で米価が安定しなくても飢餓が社会問題になることはない。経済成長や賃金カーブ、ライフスタイルといった本来考慮しなければならない要素が顧みられていない話だと思う。万が一諸事情によって「飢餓状態」に陥る特定層が出たとしても福祉国家たる日本にはセーフガードとして生活保護制度もある。それこそ「パンがないならケーキを・・」というマリー・アントワネットの台詞は現代社会なら通用するのだ。

 これではいくら何でも、と何ら成すことなく終わった民主党政権が2010年に打ち出した政策が米戸別所得補償モデル事業である。稲作農家に対し減反参加を条件に水田10アールあたり15,000円を支給する政策。バラマキとの批判は的外れではないが、少なくても稲作農家にとっては主体的に選択できる幅(生き残るための選択)が広がったことは間違いない。
 水田10アールからの収量は平均で米500kg、10kgに換算すれば所得補償額は300円である。これでも出荷すれば赤字、しかし農家には出荷しないという選択肢がある。とりあえず適当に田植えして後は放置。除草剤も肥料も使用しないので変動費は抑えられる。初期の田植えのための農業機械の燃料と苗代が10アールあたり15,000以下に抑えられれば黒字になるのだ。(以上参考:日本農業新聞2009年12月23日)現実に私の居住地周辺でもそうとしか思えない水田を多数目撃している。収穫期になっても除草が行われず、そのまま収穫すれば米に混入してしまうイネ科雑草(主にイヌビエの仲間)がはびこっている。しかし「収穫しない」前提であれば理解できる。
 こうした不健全とも思えるロジックが出てくる所にもはや、生存に不可欠な食料を生産するという厳粛さはない。しかし一方的に批判できないのは農家にも生きる権利があるからだ。批判可能なのは我々一般消費者が上記計算による10kgあたり5,600円以上の米価を受け入れた時である。それが非稲作農家たる我々がモノ申す際に条件となる話、これでフェアというもの。

 民主党から自民党への政権交代に伴い、この制度は2018年度に廃止となる。政権党が変わった事情があるとは言え、10年に満たない短命の政策であった。(自民党に政権交代後も「経営所得安定対策」と名称変更して数年間は継続した。詳しくは農林水産省の解説を参照)政権の方針によって極めて短期間に変わる経済環境。最近近所にも休耕田や耕作放棄水田が増加しているのは減反や就労人口の高齢化だけが原因ではないような気がする。

Chapter3 国際社会には「良い顔」
 一方、内政(農政)のグダグダぶりに比べて外面は良い。あまりメディアに載らないので知っている人は少ないと思うが「MA米」という存在がある。MA米とは「ミニマム・アクセス米」というもので、元々はGATT(*4)ウルグアイラウンド(1993年)の農業合意に於ける「国内消費量の一定割合を最低限の輸入機会として設定」、「比率を段階的に増やすミニマムアクセス」という条項が根拠となっている。要するに日本は外国産の米を輸入しなければならない、ということになっている。
 後述するが、この取り決めには数値義務はなく「形だけ」輸入しても何らペナルティーはないはずなのだが不思議なことに相当量の輸入が毎年続いている。外圧には弱く、時には国体が変わるほどの過敏な反応(明治維新、太平洋戦争の原因)をするが、国内の不平不満に対しては鈍感、伝統的な日本のスタイルがここにも表れているような気がしてならない。

 国内事情は上記の通り、在庫がたんまりあって生産調整(減反)を進めている。この状態でなぜ輸入しなければならないのか。使途があれば妥当性もあるが、そもそも国内生産が余剰であって、輸入は「思いやり」や「遠慮」以外の理由を見出すのが難しい。優先すべきは国内のような気がするが、日本人は家庭で家族の問題があっても外面は良い。

 少しデータが古いが、輸入量は2015年で77万トン、国内消費量の10%である。この農業合意は(ここから重要)政府は示唆的に国際合意であり輸入義務が課されているかのような表現を行うが、事実は高関税を利用した事実上の輸入禁止を撤廃し、自由貿易を実現することが目的であり関税率とリンクした合意だ。実質的に輸入量の義務付けはない。事実、隣国である韓国の輸入量は日本の10分の1である。
 このMA米のイメージから、主に東南アジア諸国に対する経済支援の意味あいがあるのかと思っていたが、これは先入観に過ぎなかったようだ。輸入先のデータ(*5)を見ると、東南アジアはタイだけ(33万トン、全輸入量の43%)。最も多いのは意外にもアメリカで36万トン、約47%である。これまた双子の赤字の片割れ、貿易赤字の解消に向けた謀略の香りもするが、我々が選挙で選んだ国会が承認していること、今更文句も言えないだろう。

 どこまで表現通り受け取るかは別として、我が国で耕作可能な水田すべてで米を生産した場合、1400万トンの生産が可能と言われている。「耕作可能」には耕作放棄水田など「元水田」も含まれているはずなので復田の費用や手間を勘案すれば現実的にはこれより少ないはずだが、それでも国内消費量の800万トン弱を上回ることは間違いない。つまり米に関しては自給率100%なのである。自給率100%のものをなぜ輸入しなければならないのか。
 GATTの対象品目は米だけではないので、輸出立国たる我が国が輸出だけ自由自在に出来て輸入はしない、というスタンスが通用しないのは理解できる。しかしそれでも同様の輸出立国である韓国のような方法もあるのではないだろうか。減反、経営所得安定対策、MA米は相互に矛盾し何らかの動きがある度に被害を被るのは稲作農家だけのような印象を受ける。


【TPP】
 アメリカで共和党のトランプ大統領が当選後、TPP協議を中断し脱退することになったが、安心はできない。諸々「突っ込み所」満載の大統領がどこかで足元をすくわれて早期に退場する可能性も無きにしもあらず、だからだ。2大政党制の米国、そうなれば民主党が政権復帰しオバマ路線(TPP推進)に復帰する可能性もある。さてTPP。

 この「被害」を拡大し壊滅的な打撃を与えそうなのがTPP。TPPとはTrans-Pacific Partnership、日本語では環太平洋戦略的経済連携協定と訳される。全部漢字で13文字、呪文かお経のような名前の協定だが、骨子は経済の自由化、ミクロ的には関税の自由化である。またこれを通して経済ブロックを形成するものである。
 TPPが発効した場合、国内のコストが高い農産物が壊滅的な打撃を受けるのは明らかである。これは新聞雑誌TVでこの問題が議論される際に必ず語られることなので周知の事実と言っても差し支えないだろう。消費者としては輸入品とは言え食料品が安く買えるので安全基準が満たされ品質が満足できれば問題は無い。しかし生産者はそうは行かない。この議論に際し政府自民党は米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物を聖域5品目とし、TPPを推進する上でも除外品目とする約束をしていた。しかし現実にはすべての品目で関税を大幅に削減したり、無税の輸入枠を新設したりしているのだ。当初の約束は骨抜きとなっている。
 米に関しては2015年の交渉で341円(1kgあたり)の関税は維持された。これは現状の米の流通価格からすれば妥当なところで、実現していれば国内稲作農家の競争力は維持されたはず。しかしそこには抜け道があり、MA米の枠外でアメリカとオーストラリアに無関税の輸入枠を新設している。アメリカは発効後3年間5万トン、13年目以降7万トン、オーストラリアは同0.6万トン、0.84万トンで、今後の交渉次第では増枠やら関税額の見直しやらは十分想定される。

 さて上記状況、TPPも含めて「アベノミクス」の方向性が実態と乖離しているような気がするのは私だけだろうか。アベノミクスは骨子が「デフレ対策のためにインフレターゲットを設定、達成されるまで日銀法改正も視野に、金融緩和措置を講ずる」というもの。円相場や金利、株価が先行し実体経済は置き去りの感が否めない。賃金上昇は就労者の圧倒的多数を占める中小企業に於いては全く進まず、一方物価水準は上昇傾向。現実のデフレは解消されず、インフレ傾向も見えてる。要するにスタッグフレーションである。
 気になるのは農業分野の成長戦略で、TPPなど自由化を見据えて「大規模化」を謳っている。しかしこれが出来るのは大規模な農業生産法人など一部に限られる。一般の稲作農家がこの劇的な環境変化に対しどう対応するべきか、道筋も見えていない。将来がまったく見えない現状に対し、離農という回答が増えてくるのは自然な流れだろう。


(P)収穫寸前。経済環境の変化に関わらず稲は実る

Chapter4 ミスマッチ
 就農人口の高齢化は経済とは関係ないように思えるが、実は密接な関連があるのではないか、と考えている。具体的には労働と対価のミスマッチだと思う。
 稲作で得られる所得は上記の通りであり、逆ザヤが常態化している。一方、労働環境は厳しく機械化された現在でも重労働そのものである。こればかりはいくら文章にしてもやってみなければ分からない。幸か不幸か自分は祖父母の代まで稲作農家で、たまに手伝うだけでも(しかも短時間、作業のごく一部)かなりしんどい思いをしたが、しんどいのは運動不足の都市生活者がたまにやるから、という理由だけではない。紫外線に晒され炎暑の中で毎日肉体労働をすればその「キツさ」によって人間の容貌にどのような影響が出るのか、就労者を見れば分かる。

 要するに今や稲作はキツくて金にならない。そんなものを積極的にやる人間がいるだろうか。少なくても私の見聞の範囲では水田を維持しているのは高齢者であり、若手はいない。いかに我が国が少子高齢化社会でも農業だけ急速に高齢化が進んでいるわけではない。田んぼで作業する高齢者にも子や孫がいて多くの場合同居もしている。
 これは具体的な事例だが、医療機関に勤務していた時に春と秋に有休を何日か取得する職員がいて、理由は田植えと稲刈りであった。残念ながら後継者の稲作への関わり方はこの程度。理由は書かずとも分かると思うが、医療機関(に限らず)で得られる報酬は農業とは比較にならないのである。また件の職員は管理職でデスクワーク中心、肉体的な労働のキツさも比較にならない。
 兼業農家、という言葉があるが、たしかに業を「兼」ねている。しかしその比率は農業:他の仕事が1:9とか極端な比率になっているのが若年層の実態ではないだろうか。もちろん10%の力で水田は維持できない。これを埋めているのが本来引退して然るべきの年齢層である、というのが実態であると思われる。農林水産統計を閲覧してみると、農家人口に占める高齢者(65歳以上)割合は平成27年で38.6%、しかも毎年数字は増加している。この年齢構成が劇的に変化しない限り20年もしないうちに「田んぼを耕す人」がいなくなるのは自明だろう。ここに有効な手を打つとすればインセンティブ、つまり労働に見合った対価を得られる仕組を作るしかない。それが上記したような市場経済連動型の価格政策だと思うが、それを困難にしているのがTPPである。
 この統計にはもう一つ、就農人口の減少に関して興味深い情報があり、年々増加する離農者を対象に、離農理由のアンケートを行っている。この結果を引用する。


離農した主な理由(複数回答)
「主たる農業従事者が高齢化したため」44.0%
「病気や介護等により農業が続けられなくなったため」29.6%
「農家以外の仕事に就職又は専念するため」15.6%
「農業では十分な収入が得られないため」14.8%


 上記した事情は「農家以外の仕事に就職又は専念するため」と「農業では十分な収入が得られないため」を包括している。つまり15.6%+14.8%で、30%を越えている。この状況で大規模集約化によって競争力を高める、というアベノミクスのお題目がいかに現実離れしているか理解できるというもの。それとも農業は家族経営ではなく法人化しろということなのだろうか?恣意的にそうした状況を作るのは憲法違反(第22条第1項、職業選択の自由)ではないだろうか。本チャプターの最後に、水田周辺の動植物に詳しく多くの名著がある内山りゅう氏の言葉を引用する。


【引用】「田んぼの生き物図鑑」第一版 内山りゅう 山と渓谷社 P8
ここ数年各地の田んぼの取材を通して、農家の方の高齢化、後継者不足を目のあたりにした。減農薬や有機栽培などで頑張っておられる方のほとんどが70歳以上であり、「自分の代でこの田んぼも終わりだ」などという話を耳にすることも少なくなかった。田んぼは撹乱をせず、放置すればたちどころに変化してしまう。人が管理するから田んぼなのであって、放棄水田の増加は人にも生き物にとってもマイナスといわざるを得ない。



(P)除草作業が十分に出来ない水田に目立つケイヌビエ。このままでは収穫にも影響が出るはず

Chapter5 統計から読み取れる事実
 平成27年度の農林水産統計データの第2章を見ると、2014年の米の国内産出額は1.4兆円で農業総算出額の17%となっている。1984年の同3.9兆円、34%から激減と言っても良い程減少している。これは前述のように自然減だけではなく政策的な部分も多いので、ある意味「意図通り」だろう。もちろん耕作面積も半減近いデータが出ている。
 変な話だが、この情報に操作が無いと思われるのは現実の水田がほぼこの傾向だからである。近所にも転作転用された形跡のない水田地帯が多くあるが、平均で4割は休耕または耕作放棄水田である。極端な例では谷津田にある水田が半分近く、付近のスポーツセンターと医療機関用の駐車場になった例もある。要するにデータと現実の光景が合致している。意図が入り込んでいない点、これはこれで素晴らしい。

 恣意的だと思われるのが前チャプターで述べた「農業は家族経営ではなく法人化しろということ」という部分で、同白書では「農業経営体数は137万7千経営体となり、そのうち家族経営体数は134万4千経営体、組織経営体数は3万3千経営体」とある。そして規模の大きい経営体が増加し、雇用者数も増えていると結論付けている。まさに政府自民党、アベノミクスの望む記述である。しかし、ちょっと待てよ、という所がある。

 農業生産法人は簡単に言えば会社組織で行う農業、農業白書で言う通り年々増加し規模の大きな組織も現れている。理由としては一般企業よりはるかに有利な農業系融資や助成金を使えるからである。もちろんその意図はTPPを視野に入れた国内農業分野の競争力向上である。しかし残念ながら規模の大きな農業生産法人は稲作にはあまり関心が無い。ブランド化された果物、無農薬の露地野菜など現金収入が容易(簡単に言えば作れば売れる)で付加率(*6)の高い農産物が生産の中心である。法人化されることによって利益や投資といったキャッシュフローの問題が発生するわけで、売れる物を作るのはごく普通の話。稲作文化を守るというミッションは存在しないのである。
 この事から推察できるように「農業の大規模化」と稲作の維持はまったく関連しない。関連しない「事実」を書く必要はないが、これでは情報のミスリードになるのではないか。要するにアベノミクスでいう農業の大規模化による国際競争力の向上は水田には一切関係ないのだ。稲作農家にとっては書いてある「事実」よりも書かれていない事の方が重要ではないのか。
 どちらにしても企業化、大規模化というワードは収益性に支配される。稲作の場合、米価の問題が根本的に解決(*7)されない限りこの問題を乗り越えることはできない。また米価の問題は経営所得安定対策以降、何ら具体的対策が見えていない以上、解決は見込めない。これらの状況を勘案すれば、アベノミクスは小規模家族経営の稲作農家の切り捨てと言わざるを得ないだろう。

 もう一点。前出リンク、統計データには稲作に限らず農業全般の生産農業所得の推移が掲載されている。このデータも1984年の4.5兆円から2014年には2.8兆円に激減している。データが語るように規模の大きい経営体が増加し、収益を上げて国際競争力を備えつつあるのであれば生産農業所得は急速に増加に転じるはずであり、矛盾していると言わざるを得ない。
 最近は議題にもなる機会が少ないが、日本の食料自給率は相変わらず低く、平成27年度はカロリーベースで39%、生産額ベースで66%である。(データ:平成27年度食料自給率について(*8)農林水産省)自給率は今に至るまで年々落ちていて、昭和40年(1965年)はカロリーベースで73%、生産額ベースで86%である。この意味では生産農業所得の推移と比例しておりその通りの結果なのだが、ここに農業の大規模化の影響が入り込んでいるとすれば、非大規模農家の収入はデータ以上に落ちているはず。厳しいデータを分析すればさらに厳しい現状が見えてくるという悲惨な状況となっている。農業分野に関して言えば、農業を淘汰し食料自給率を低下させるのが国策であると指摘を受けても仕方がない。

 以上のように家族経営の稲作農家にとっては、どこをどう見ても明るい材料は無い。その結果が冒頭の画像の光景である。現実に結果が目視できるモノの理屈付けにしかならない本稿だが、現状は水田の減少の臨界点に達しているとしか思われず、近未来にTPPなどの大打撃が息の根を止める事態も現実味があり、出口の無い状況を「水田の危機」として個人的意見を述べてみた。


(P)消えゆく山間の棚田

脚注

(*1) フレデリック・フォーサイス(Frederick Forsyth 1938-)、イギリスの作家。代表作に「ジャッカルの日」「戦争の犬たち」「悪魔の選択」「イコン」など。国際謀略系の綿密で現実味のある作品が多い。
 クライブ・エリック・カッスラー(Clive Eric Cussler 1931-)、アメリカの作家。代表作に「タイタニックを引き揚げろ」「インカの黄金を追え」「QD弾頭を回収せよ」など。基本的に海洋冒険小説だが登場する敵役は巨大で邪悪な相手が多く、謀略のスケールも大きい。

(*2) 高度成長期にかけての国の三大赤字原因の頭文字をとった呼称。すなわち3Kとは国鉄、米、健康保険である。この頃は問題点に対する適切な政策が行われており、国鉄はJRへの分割民営化、米は本文にある食糧管理法→食糧法へのシフト、健康保険は自己負担率のアップなどにより解消している。すると発行残高838兆円にものぼる(平成28年度末見込み)借金は何に使われたのか、3Kを解消した健全な財務感覚はどこに行ったのか、という根本的な疑問が残るが、それは本稿主題ではないので置いておく。しかし客観的に見ればこれだけ大赤字の国が他国に援助しているという姿はまさに「外面優先」のように思われる。

(*3) contribution margin、管理会計の概念だが簡単に言えば売上から変動費を引いたものである。逆に言えば本文の数式で、「原価」が変動費である。固定費+利益でも示される。固定費、変動費とは・・誰も会計学の話は読みたくないと思うのでこの辺で。言いたいことは家族経営であっても立派な経営体であって、会計的に見ればとっくの昔に破綻しているのが稲作農家の現状である、ということ。もちろん国の言う「大規模集約化された農業事業体」は企業であって、この数値が低ければ倒産してしまう。

(*4) 関税及び貿易に関する一般協定、General Agreement on Tariffs and Tradeの頭文字をつなげたもの。(大学入試、入社試験などに頻出、試験に出ます)1994年のウルグアイラウンド(開催地)でWTO(世界貿易機関:World Trade Organization)への移行とGATTの発展的解消が決議され、現在はWTOがその役割を担っている。WTOの本部はスイスのジュネーブにあり、2016年現在164の国と地域が加盟している。

(*5) MA米の国別輸入量に付いてはこちらを参照した。ミニマム・アクセスはあまり輸出産品がない発展途上国に対する救済措置のような雰囲気を感じていたが、現実にはMA米の最大の輸入国はアメリカであり、貿易赤字の解消、国内農家の振興という一国の事情がいつの間にかGATT(WTO)という国際的な取り決めに滑り込まされた好例だと思う。

(*6) 似たような用語に原価率と利益率があるが、それぞれの分母は売価。つまり売価に占める原価と利益の率を示している。一方付加率は原価を分母にしている。(利益/原価、%表示)
【例:売価100円の商品の原価が80円の場合】
原価率:80円/100円=0.8(80%)
利益率:20円/100円=0.2(20%)
付加率:200円/80円=0.25(25%)

(*7) 魚沼産コシヒカリ(新潟県)、つや姫(山形県)、ゆめぴりか(北海道)などの所謂「ブランド米」は価格を見れば本文試算でも十分採算ベース。しかし全国民がブランド米だけを買っているわけではなく、出荷量も比率としてはごく僅かである。加えて上がらない賃金、上昇する物価のアベノミクスによって、ブランド米を買える「富裕層」も限られている。

(*8) 農林水産省公表データより引用。算出方法、よりビジュアルなグラフ等のデータは平成27年度食料自給率について(PDF)に掲載されている。


【参考文献】
・平成27年度農林水産統計
・田んぼの生き物図鑑第一版 内山りゅう 山と渓谷社

【参考記事・法令など】
・平成27年度食料自給率等について 農林水産省
・米をめぐる参考資料 農林水産省
・農業の会計に関する指針 一般社団法人 全国農業経営コンサルタント協会 公益社団法人日本農業法人協会
・WTOとは 外務省Webサイト
・農村の現状に関する統計  農林水産省Webサイト
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