日本の水生植物 湿地環境論
霞ヶ浦再生 結論編
(C)半夏堂


茶色い水、アオコ、酸欠、その他モロモロ

渡良瀬の教訓
 結論の前に「生物濾過」の事例をもう一つ二つ見てみたい。

 1990年以降、渡良瀬遊水地の谷中湖(渡良瀬貯水池、右画像)が原因(*19)となり、江戸川取水の水道水がカビ臭くなる事態が何度か起きている。谷中湖は渡良瀬川や遊水地調整池の水を集める人工湖だが、もともとどちらも水質が宜しくない上に水の滞留によって植物プランクトンが大増殖してしまったためだ。利根川水系の渇水時には谷中湖の水が放流されるが、この水が利根川から支流の江戸川に入り、何箇所かの浄水場で取水されたのが原因である。

 谷中湖は酸欠による夏季のハクレン大量死が有名だが、放水後に湖底が露出すると植物プランクトンの死骸が折り重なるようにヘドロ化して堆積していると言う。また湖岸はすべてコンクリート護岸であり、自浄能力は最初からない。こうなることは設計段階から分かっていたはず、という指摘もあるが、分かっていれば首都圏の上水を賄う江戸川で何が起きるか容易に想像が出来ていたはず。詳細な検討が欠けていた、さらに言えば想像力が欠如していた、というのが真相に近いと思う。いくら何でも上水の水質が悪化するのが分かっていてこんなモノは作らないだろう。(と信じたい)

 対策として国土交通省が打ち出したのはヨシ原浄化池。まさに生物濾過である。詳しい経緯は参考文献「新・渡良瀬遊水地」P78〜87に書かれているが、結果的に失敗している。原因は谷中湖の過度の富栄養化に植生がまったく歯が立たなかったためだ。そもそも谷中湖に集まる水は渡良瀬遊水地の広大な植生の間を通ってくるわけで、これを僅かばかりの(遊水地全体に比し)アシで植生浄化しようという発想自体が疑問と言わざるを得ない。話が前に戻るが、要するに植生浄化の「範疇」を超えてしまった水質汚染という図式である。

 渡良瀬遊水地調整池(谷中湖の上流、大湿地帯)は東日本大震災による中断(*20)はあったが、野焼きによってアシが溜め込んだ栄養素を燃やしているのである。結果的に恩恵を受けている多様な湿地植物は別の話題として、湿地を維持し植生浄化の効果を得るための理想的なオペレーションを行っている「フィルター」である。それが機能しない原因は何か、考えればすぐ分かりそうなものだが・・・
 繰り返しとなるが、植生浄化が有効か無効か、現実の数値がないと議論にならない。しかし国土交通省は議論の段階を飛び越えて税金を投入し失敗してしまっている。結果論であるが渡良瀬遊水地谷中湖では植生浄化が無効であることが図らずも証明されてしまった、と言えるだろう。考え過ぎかも知れないが、谷中湖のヨシ原浄化池は江戸川取水の水道水のカビ臭に対するエクスキューズのような気がする。


(P)谷中湖(渡良瀬貯水池) 栃木県栃木市


【渡良瀬遊水地】栃木県栃木市
遊水地内部の水路や池は概ねこんな感じ。透明度のまったくない泥色の水。水中の水生植物はアシ以外、僅かにヒシやイヌタヌキモが見られる程度である。 青いハート型が谷中湖。上流の緑色部分(調整池)はほぼアシ・オギ帯で、植生浄化理論上は最良のフィルター(生物濾過)を備えているはず。理論と現実が違う場合、理論を疑うことも必要なのではないか。

手賀沼の怪


 汚れた湖沼日本一(*21)として有名な手賀沼は本編物理濾過編にも書いたように、北千葉導水路の稼働によって現在ではCOD値による水質は改善している。しかし見た目の生態系はまったく変化がなく、手賀沼を代表する(していた)ガシャモク(*22)をはじめとする沈水植物はまったく見られない。これは前述したように堆積したヘドロが原因であると思われる。またCODは改善しても導電率は改善していないように見える。透明度が低い状態は自分が手賀沼をはじめて見た時から顕著な変化がない。この状態は沈水植物全般に辛い。(辛い状態なので復活していないわけであるが)
 一方、南岸にはハスの群生地があり、自分の見るところ規模は年々大きくなっているようだ。見た目には大群生で、手賀大橋(*23)の東の湖面の相当部分を覆っている。また画像手前は湖岸のアシ帯で、植生は霞ヶ浦や印旛沼よりも豊かに見える。しかし実態は上記の通り、植生浄化が有効であれば水質の改善とともに生態系の復元も進むはずだが、これはどういう現象なのだろうか。

 この状況の解として、ラムサール条約(*24)に登録されたことでも有名な宮城県の伊豆沼に付いての興味深いレポートがある。

伊豆沼における底質と湖内植生について 東北大学大学院工学研究科 梅田 信 仲田信也

 伊豆沼は平均水深0.76mと、手賀沼と似た浅い沼である。(手賀沼は平均水深0.9m)レポートによれば伊豆沼もかつて豊かな沈水植物群落があったが、現在は激減し、ハスの群落が拡大している。この点も手賀沼と極めて近似している。この環境でハス群落が植生浄化の役割を担っているのかどうか、興味深い検証が成されている。
 結論を言えば湖底中の栄養塩は6月〜10月のハスの生育期にかけて「僅かに」減少している、とあり、枯死堆積物の栄養塩貯蓄量は季節を通じて変化が見られなかった、とある。紐解けば、ハスは底泥から栄養を多少吸収するが、枯死すれば同じ濃度の栄養塩貯蓄量を持った堆積物が増える、ということだ。湖底のヘドロ化が進行するが、ハスは元々そうした環境に強い。

 以上を考えればこの画像の光景は水質を基準にした場合、マイナスであると言えるだろう。しかも水深の浅さが災いし、ハスの群落は年々拡大している。植生浄化どころか環境負荷要因が年々大きくなっているのである。もちろん手賀沼では「ハスが水質を浄化する」という情報のミスリードはない。しかし「ハスが水質を悪化させる」という指摘もない。あるのは「ハスの群生地」という案内板のみ。
 以前この問題が話題になった時、手賀沼にご関係の深い森嶋先生(*25)は「これ以上手賀沼のハスを増やしてどうするつもりなのか・・」と仰っておられたが、ここには他にも北千葉導水路、手賀沼ビオトープ、湖岸植生帯の造成など、まったく関連性のない「浄化努力」が林立し、信じられないことに効果も検証されていない。

(P)手賀沼南岸ハス群生地 千葉県柏市


 「効果」のつもりなのか、湖岸植生帯の造成では霞ヶ浦の湖岸湿地再生実験とまったく同じ情報のミスリードが成されている。これは湖岸植生帯の岸側に設置された千葉県柏土木事務所の案内板だが、湖岸植生帯の造成によりトネテンツキ、ジョウロウスゲ、カンエンガヤツリ、コイヌガラシ、ウスゲチョウジタデ、アオテンツキが見られた、とある。これらの植物の一部は手賀沼の別所でも見られるので、湖岸植生帯の造成という「撹乱」によって種子が発芽したものだろう。

 設置側は「だから湖岸植生帯は価値がある」と言いたいのだろうか?本来の目的は何で、目的に対する効果の測定はどうなっているのだろうか?こういう情報の出し方は、平均的知的レベル(というと語弊があるが)の多くの人間に「貴重な植物が復活している、だから湖岸植生帯の試みは成功し手賀沼が綺麗になっている」と誤解される。確信犯的な情報であるしプロパガンダの性格が強いと思う。

 すでに荒地と化した手賀沼ビオトープ、手付かずの水路沿いのオオフサモ、水の館敷地内のナガエツルノゲイトウなど(どちらも特定外来生物ですヨ)やるべき事は先にいくらでもあるように思うが、手賀沼の思い付きとしか考えられない対策はすでに謎を通り越して「怪」となっている。

結論
 どうも生来のヘソ曲がりなのか、物事「疑ってかかる」癖が身についてしまっている。しかし疑って考えてみれば物理濾過である霞ヶ浦導水路も(もちろん北千葉導水路も)、生物濾過である湖岸湿地や植生浄化も、これまで述べてきたように霞ヶ浦や手賀沼ではあまり意味がないように思えた。CODの改善は評価すべきだと思うが、正直なところ現状は何も変わったところはない。
 繰り返しとなるが、図式としては、汚す原因>対策 であって、対策効果を汚染原因が吸収してしまうので再生手順としては効果がない、ということである。もちろん沈水植物の復活が最終目的ではないが、様々な方面に対して「目に見える効果」のアピールが必要なことも事実。(上の手賀沼のような出し方は問題外)

 ではどうするか、対案なき反対意見は犬の糞ってのも然り、単純化すれば「現象に対策するのではなく、原因に対策する」べきであると考えている。提言というわけではないが、霞ヶ浦導水路に3000億円もかけるのであれば他に有効な金の使途がいくらでもあると思う。

(1)ヘドロの浚渫
 霞ヶ浦では細々と続けられているが、手賀沼では最近見ない。浚渫の際にヘドロが水中に舞い上がり、余計に水質を悪化させてしまう恐れもあり、霞ヶ浦ではホースで水と一緒に吸い込み分離する方式も見られる。どちらにしてもまずはヘドロを除去しないと土中微生物やベントスが正常に繁殖しない。生物環が作用しなければ沈水植物の復活もない。正常な生態系の再生という観点では不可欠な手順であると考えられる。

(2)浄水機能の強化
 面源負荷と言いつつ(もちろんそれも大きい)、原因を特定できる点源負荷も多々ある。前出のハス田、鯉の養殖、沿岸部の養豚場など。また流入河川で汚染度合いの強い山王川(石岡市)や桜川(土浦市)など、現在でもほぼ何も対策が成されない「汚染源」も多い。思い付く限りの点源負荷に浄水機能を付けても3000億円はかからない。

(3)常陸川水門の柔軟運用
 湖水の滞留時間が汚染原因であるならば常陸川水門をより柔軟に運用すべきだと考える。国土交通省の主張する「用水確保」は鹿島臨海工業地帯のこれ以上の拡大の可能性は低く、具体的な数値で検討ができるはず。また塩害に付いても逆流が発生する時期のみ逆水門として運用すれば良いはず。

 個人的意見ながら手賀沼にしても霞ヶ浦にしても自然再生が進まないのは対策が対処療法で、しかも汚染の進行が対処を量的に上回っているためであると思う。原因を完全に除去することは湖のタイプ(*26)からして不可能であるが、汚染原因が少なくなった時、どこかに物理濾過や生物濾過が機能し始める「損益分岐点」があり、現状の「対策」が機能するポイントがあると考えている。

 NPOやら何やらでこの湖に関わりを持って15年になる。正直なところ状況は15年間本質的に変わっていないと思う。アサザプロジェクトには「100年計画」というコンセプトがあり、希望に満ち溢れた将来図が描かれている。コンセプト、計画として異議を唱えるものではないが、1989年に発表されてからすでに25年、1/4が経過し、うち15年を実際に見てきた正直な感想は、残り75年でも本質的に何ら変わらないだろう、というものだ。もちろん「100年」が象徴的な表現であることは承知の上。対策が効果を上げないのはどこに原因があるのか、人間関係や利害関係、個人的好悪を排除して客観的に考えてみたのがこのテキストである。


(P)霞ヶ浦 茨城県土浦市

蛇足その他
 以上の3テキストは前々から薄々気が付いていたことだが、どこにも誰も書いていないようなので自分の思考をまとめる意味で稿を起こした。くどいようだが湖岸湿地の造成やアサザの植栽に反対するものではなく、霞ヶ浦に関して言えば努力を上回った環境負荷が存在し、結果として効果が上がっていない、という主旨である。それは霞ヶ浦の浄化を目的に努力する人間の責任ではなく、努力の価値をいささかも損なうものではないと思う。
 効果の出ない努力を連綿と続けてどうなるのか、という論点もあると思うが、アサザ基金などそれは十分承知の上だと思う。だからこそ「100年後の霞ヶ浦」と言っているし、第一努力する人間がいなくなってしまったら軌道修正もできなくなる。近視眼的に効果や方法論にイチャモン付けるより、問題点と対案を提言する方が重要だ。こんな例がある。

 以前シャジクモの件でメールのやりとりをさせて頂いた東京大学大学院新領域創成科学研究科の山室教授のブログではわりと執拗にアサザ基金に対する批判が繰り返されている。
 この話がどうとか、どちらが正しいとか低次元の話ではなく(もちろんどちらの肩も持つつもりなし)発端は努力の成果が出ていないことにあると思う。リンク先ブログの冒頭の「湖岸湿地」に付いてはこの稿でも取り上げた通り自分でも調査しているので十分納得できる話だが、これは元々「再生実験」であって、実験である以上成果が保証されたものではない点に注意が必要だ。もちろん一時的に効果があった事を「書き逃げ」のような形で公表し、その後の推移に付いて報告されていないのは問題だと思うが、Web上の情報である点を考慮すればそんなもの。(手賀沼は立て看板まで設置しているが)

 アサザの植栽、湖岸湿地再生、ビオトープ浄化、マイクロバブル、流入河川へのホテイアオイ投入、次々と出てくる浄化対策だが現状はあまり変わっていない。上記リンクのやりとりでは「科学的ではない批判」という論点が出てくるが、もとより私のこの文章も科学的ではない。しかし現状何がどうなっているのか、という点に付いて見た目で判断する観点も必要だと思う。どうも「あれもダメ、これもダメ」という昔の野党のような感じのテキストになってしまったが、素人の見た目の判断なので関係各位にはご容赦願いたい。

脚注

(*19) 谷中湖は1989年に完成しているが、早くも翌年1990年に放流により、江戸川流域で水道水のカビ臭事件が発生している。以降、カビ臭を防止するために冬季の干し上げを実施しているが、これが意外な所で行政側の矛盾を露呈することになった。
 民主党政権の「仕分け」で有名になった八ツ場ダムの公金支出差止等請求住民訴訟で、建設理由の一つとなった冬季の利根川渇水対策が、実はこれまた利根川水系渇水対策で出来た谷中湖を干し上げても何も困らなかった、実は利根川水系では冬場は水源に相当の余裕があるはず、という指摘が準備書面に書かれているのである。その後はご存知の通り、当初完成予定が5年伸びて2020年となったが建設は進んでいる。矛盾しようが論理が破綻しようが進むのが公共工事、霞ヶ浦導水路の行く末も、というところが懸念される。
(*20) NHKローカルニュース常連、カメラマン大集結の恒例行事「渡良瀬遊水地の野焼き」は2011年は震災の影響(近隣の消防士が応援で東北に行き、防火体制が手薄となったため)、2012年は放射性物質の飛散の可能性という近隣住民側からの不安で中止されている。2013年以降も中止の雰囲気があったが、地元で活動される大和田真澄氏の署名活動などもあり、無事再開された。野焼きの趣旨は渡良瀬遊水地に多い「野焼き依存型」の希少植物を維持させるためであり、生物多様性の観点からも重要なイベントである。

(*21) 1974年から27年間、全国の湖沼中水質ワースト1位(COD値による比較)を継続。手賀沼がなぜ汚いのか、理由はわりと簡単で、干拓以前の巨大な手賀沼が緩衝力を持っていたのに対し、大部分が干拓され水田や畑といった面源負荷となって逆に襲いかかってきたからである。本文にもある通り手賀沼の平均水深は0.9m、見た目より水の量ははるかに少なく、すぐに汚れるのだ。上流にあたる柏市の急激な人口増など他の要因もあるが、干拓すれば残った水域の水質は悪化するという原則は八郎潟(秋田県)や千波湖(茨城県)が証明していると思う。

(*22) ヒルムシロ科ヒルムシロ属 Potamogeton dentatus Hagstr. 手賀沼ではその昔、繁茂したガシャモクを緑肥として用いていたという記録があり、刈り取る際に器具の発する音を和名とした、という説がある。自生は国内で1箇所(北九州)のみだが、環境省の工事による撹乱で一時的に復活したガシャモクが系統維持されている。またこの「手賀沼系統」のガシャモクを手賀沼に戻そうと様々な試みも行われている。

(*23) 手賀沼のほぼ中央に南北に架かる県道船橋取手線の橋。近頃改修工事が行われ、橋脚が手賀沼の流れを邪魔しない形状に変更されたという。手賀沼は「沼」を名乗るが実は「一級河川」なのである。流れは当然あり、水の滞留時間を少なくすることで浄化に繋げる「環境に優しい構造」とのこと。効果の程は不明。

(*24) 正式名称「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(Convention on Wetlands of International Importance Especially as Waterfowl Habitat)。重要湿地を保全する国際条約で「ラムサール」は条約が作成されたイランの都市ラムサールにちなむ通称。1971年2月2日制定、1975年12月21日発効。2013年10月現在、締約国168ヶ国、条約湿地数は2,165湿地(環境省HPより)。日本の登録湿地は前出伊豆沼(伊豆沼・内沼)、釧路湿原、尾瀬、谷津干潟、渡良瀬遊水地、宮島など46箇所。

(*25) 環境省レッドデータブックで野生絶滅(EW)となっているテガヌマフラスコモを手賀沼の底泥から復活させた偉人、森嶋秀治氏。千葉県立我孫子高校教諭(当時)で、同校はカヤツリグサ入門図鑑の著者、谷城勝弘先生も輩出しており、凄い環境だと心から思う。

(*26) 湖のタイプは環境省による自然環境保全基礎調査で、富栄養湖、中栄養湖、貧栄養湖、腐植栄養湖、鉄栄養湖、酸栄養湖の6つに分類されており、霞ヶ浦や手賀沼は最も汚れた富栄養湖の更に細分類最上級、過栄養湖(Hypereutrophic)に分類されている。都市近郊の湖沼では面源負荷によって富栄養湖〜中栄養湖が多く、ここで言う「水質浄化」は中禅寺湖や十和田湖の状態を目指したものではない。


【参考文献】

・生態系を蘇らせる 日本放送出版協会 鷲谷いずみ
・環境再生と日本経済 岩波新書 三橋規宏
・新 渡良瀬遊水地  大和田真澄他 随想社
・北千葉導水路ってなあに 国土交通省関東地方整備局
・よみがえれアサザ咲く水辺 鷲谷いづみ/飯島博 文一総合出版
・自然再生 鷲谷いづみ 中央公論新社
・市民型公共事業−霞ヶ浦アサザプロジェクト (財)淡海文化振興財団 飯島博
・自然再生 中央公論 鷲谷いずみ

霞ヶ浦再生 物理濾過編
(C)半夏堂
日本の水生植物 湿地環境論
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