日本の水生植物 探査記録

Vol.187 利根川河口堰



Location 千葉県香取郡東庄町
Date 2019.06.08(SAT)
Photograph Panasonic LUMIX FZ85 / RICOH CX5

Weather Cloudy occasional rain

Temperature 20℃

(C)2019 半夏堂


■利根川河口堰


(P)利根川河口堰 千葉県側、上流側から
Panasonic LUMIX FZ85

河口堰の湿地

■カヤツリグサ科バイブル

 2011年にこのコンテンツで「河口堰の社会学」という記事を上げたが(現在は公開終了)、それ以来、約8年ぶりに利根川河口堰に行ってきた。保管している2011年の記事を読むと、常陸利根川河口堰(常陸川水門)側から見た状況やら感想やらを書いているが、今回は千葉県側、利根川河口堰側の訪問である。
 この河口堰は平行して流れる常陸利根川と利根川にそれぞれ河口堰を設置した連続構造の大規模なものである。常々難敵のカヤツリグサ科の判別にお知恵をお借りしている「カヤツリグサ科入門図鑑注1)」を読んでいると、海水の影響を受ける湿地に生えるスゲが解説されており、その撮影地は「千葉県東庄町」とある。Yahoo地図をみると東庄町は利根川沿いの銚子市の隣にあり、たしかに海水の影響を受けそうな場所だ。地図上には河口堰付近に広大な河川敷もあって、行けば何やら面白い草もあるかも知れない。
 暇な土曜日の午後、朝から鬱陶しい小雨が断続的に降っていたが「午後は雨が上がる」という天気予報を信じ、カヤツリグサ科入門図鑑とバッテリー残量がありそうなカメラをバックに放り込んでいざ出発。


(P)利根川河口堰上流側の広大な河川敷 Panasonic LUMIX FZ85


■東庄町

 この東庄町、実は成田線に並ぶ難読地名注2)の一員である。普通に読めば「とうじょう」または「とうしょう」、しかし正解は「とうのしょう」である。「の」が入っただけじゃないか、と思われるかも知れない。しかし「東」も「庄」も音読み訓読み、いかなる場合も「の」は含まれていない。日本語のルールで決まった読み方に何らかの文字をトッピングして読む必要がある地名は立派な難読である。

 町のホームページを見ると人口は1万4千前後、中長期的にやや減少気味だが過疎って程ではない。銚子市と香取市に挟まれ職場はそれなりにあるだろうし、幹線道路もJRも通っているので住むにはちょうど良い町なのかも知れない。それよりも平成の大合併注3)という愚策をよくぞ生き延び郡部として残ったことに拍手を贈りたい。香取郡の仲間は今や神崎町(こうざきまち、利根川沿い上流)と多古町(たこまち、伝説の多古光湿原がある)だけだ。
 世の中、価値観やライフスタイルにはダイバーシティ(多様性)がごく当たり前の考え方となっている。一方で、これぞ地方の醍醐味、ダイバーシティたる由緒ある地名が消えてしまうのは政治的な理由しかない。自治体を合併させてしまえば首長や助役は一人、必要な議員も職員も段階的に減らして行ける。首長選挙も1回で済み、費用削減に繋がる。一見良い事だらけに思えるが、それは詐欺の手口である。これは行政改革ではない。なぜなら中央官庁も議員定数も削減されておらず、相変わらず税金は無駄に使われている。これは批判の目を逸らすためのスケープゴートだ。裏では「合併しないのなら交付金を減額する」ぐらいの脅しはしているはず。自分はそのように考えているので郡部、町や村が好きなのだ。

 余談はさておき。房総方面へのいつものアクセス、利根水郷ライン(国道356線)を一直線、その名も「水郷」というヨーロッパの田舎にあるような駅舎(ただし無人駅)を横目で見つつひたすら東進、東庄町に入りしばらくすると左手にファミマが見え、そのファミマ前の交差点を左に分岐する道路が利根川河口堰上を通る道になっている。この橋は千葉県側から黒部川、利根川、常陸利根川と3つの川を渡る長大なものだ。黒部川と利根川の間には堤防上を通る側道があり、入るとすぐに立派な駐車場(用途は不明)がある。そこに駐車させて頂き、広大な利根川の河川敷に降り立った。それが最初の画像の光景だ。

シオクグとオオクグ

■これぞ探査、真の危険地帯

 懸念していた雨は駐車場に入る頃から一時的に上がり、草々に付着した水滴の不愉快を我慢すれば何とか見て回れそうだな、と思った瞬間海の方向から強風が吹いてきた。叢に立ち入らなくても横から風に乗って水滴が飛んでくる。初っ端から写真を撮るにはタフな環境となってしまったが、ここまで来たら多少の困難は乗り越えなければ単なる長距離ドライブになってしまう。コンビニ袋でカメラをく守ってでも撮影を強行する覚悟を固めた。

 自然状態の河川敷にはえげつないほどの密度でアシやら何やら有象無象の草が立ちはだかり、人間の侵入を拒んでいる。この時期になると草丈も相当あって見通しは効かない。所々に深さも知れぬ沼もあるようだ。この日は藪漕ぎをすればびしょ濡れ確率100%、固めてあるのはトレッキングシューズを履いた足元だけ、あとは全身軽装そのものである。入り込むつもりはなかったが、ここの状況は危険度という点では渡良瀬遊水地と同程度かも知れない。


(P)飛び石作戦でアタックルートを確保 Panasonic LUMIX FZ85


 しかし経験上、この手の湿地帯で最も危険なのはトリッキーな沼やマムシやムカデなどの有毒生物ではなく(それらはこちらの注意次第で何とか避けられる)ノイバラ注4)なのである。過去無謀な突撃で何度も深手を負わされている。手足から血をだらだら垂らしながら植物探査や写真撮影もあるまい。また今回はサックリとドライブがてらなのでファーストエイド注5)を入れたバックパックも持ってきていない。その上軽装でほぼ無防備状態でもある。

 目的は危険地帯を踏破する冒険ではなく谷城先生の図鑑の植物を見ることだ、と気を取り直し河口堰と橋の近くにあるコンクリートブロック(画像)と舗装面を歩き、両脇の植生を調べることにした。よく言えば「君子危うきに近寄らず」であるが、そもそも探査と名乗るからにはそれなりの装備に身を固め、道なき道を踏破して誰も見たことのないような植物を探し出す事が本分、とはこれっぽっちも考えていないので現場で危険な道と安全な道、分岐があれば迷うことなく後者を選ぶのであった。馬齢を重ねると「ヘタレ」と呼ばれても何も感じなくなる。

■オオクグ

 河川敷は外堤防から緩やかに利根川に向かって傾斜し、本流に近づくに従って湿地性の高い植物が見られるようになった。そこここの窪みには水が溜まり不気味な沼となり、その周囲の湿地地形には大型のスゲの群落があった。この群落はかなり大規模で、本流際まで続いていた。時期的に遅かったのか雄小穂はすでに脱落し、結実して褐色となった雌小穂が見られた。自分にしては珍しく予習してきた(カヤツリグサ科入門図鑑、及び当地の群落の位置)のですぐに分かったがこれが件のオオクグ(Carex rugulosa Kuk.)である。

 オオクグはその名に恥じず大型である上に群落規模も大きく、この河川敷では一大勢力となっていた。花期の最終盤に来てもすぐに分かるほどなので、盛期にはさぞかし見事な見物になるだろう。次回は来年以降になると思うが、状況が許せば花期にもう一度撮影しに来なければなるまい。ただし後で書く理由であんまり積極的に来たいと思う場所ではなくなってしまったが。


(P)本流近くの湿地に生えるオオクグ Panasonic LUMIX FZ85


 霞ヶ浦のような海跡地形注6)であれば内陸でも残存した群落が見られるというが、基本的には海水の影響を受ける湿地の植物である。今回初めて見た植物だが、いつも小貝川や渡良瀬で見ているスゲより大型で、この後やはり初めて見たシオクグより草体も小穂も大きかった。

 カヤツリグサ科は正直判別が非常に苦手で、カサスゲなどと混生していたら見分けが難しく訳分からん状態になっていたと思うが、幸いなことに同種の単一群落のようだ。塩湿地という特殊な環境が同属他種の進出を阻んでいるようだった。事実、こうした環境で見られるはずの他のスゲ属やフトイ属などカヤツリグサ科の植物は見られなかった。ただ、他科含めて在来の湿地植物が進出に二の足を踏むような塩湿地環境にもセイヨウオオバコ(外来種、ヨーロッパ原産)がはびこっており、やはり外来種は強いな、と思った。余計なことだがこのセイヨウオオバコは草姿が美しく、庭植えしても映えるなぁと考えてしまった。同じように考える園芸愛好家が多いために分布が広まった部分もあるはず、迂闊に「綺麗だから」と行動を起こす(採集する)わけにはいかない。
 ヘラオオバコは今更というほどどこにでも帰化しているが、生態がよく分かっていないユメノシマガヤツリ(Cyperus cogestus Vahl.)やメリケンガヤツリ(Cyperus eragrostis Lam.)などがこの環境に入り込んだらどうなるのだろうか?塩湿地だから安心、とは言い切れない不気味さを持っている外来種だけに、この見事なオオクグ群落に多大な影響を及ぼすかも知れない。メリケンガヤツリが帰化している場所(少し前の静岡県三島市、清水町)を歩いた靴と同じ靴で来てしまったのも迂闊だった、と反省。靴に泥が付着し、その中に外来種の種子が含まれている可能性は低いかも知れない。しかしどんなに確率が低くてもそうやって分布を広げた外来種は多いと思う。尾瀬の入口にある泥落としはその低い可能性も排除するためのもの。可能性の低いこと、何気ない事でも生態系は簡単に壊れるようになってしまったのだ。

■シオクグ

 オオクグ群落から少し離れた場所に、草体、小穂ともやや小型のスゲの群落があり、こちらはまだ雌小穂が緑色、雄小穂も付いており、こちらも予習の甲斐あってシオクグ(Carex scabrifolia Steud.)とすぐに分かった。強風のためにかすかにしか匂わなかったが、一帯に海岸っぽい匂いがしており、まさにシオクグに相応しい環境に生えている。当地はやや海から距離があり20kmほど離れているが、さらに距離がある霞ヶ浦では常陸川水門閉鎖以前に塩害があったことを考えればここは確実に海の影響を受けている。

 何やかやと批判の多い河口堰だが(利根川、常陸川に限らず一般的に)、近頃地震の頻発する房総沖で大規模な地震があれば津波は確実に利根川を遡る。その際に最初で最後の盾となるのは河口堰だ。こんな所まで海の影響がある証明(オオクグとシオクグ)を見ていると同じ利根川流域の住人として危機を感じざるを得ない。河口堰もスーパー堤防も河川の上流からの増水に備えるようには出来ているだろうが、東日本大震災の際の津波の破壊力を鑑みるに文字通り怒涛の勢いで逆流する津波には残念ながらまったく無力かも知れない。


(P)やや小型のシオクグ RICOH CX5


 シオクグの群落には満潮時の水の通り道のようなものがあり(下画像右)水の流れの痕跡が筋状となった泥が残存しているのが見えた。まだ乾ききっておらず、潮の干満によって日に何度か冠水するのだろう。その通り道の左右と島状の部分にシオクグの群落があり、オオクグより水の影響を常時受ける環境に自生しているように見える。少なくてもここ利根川河口堰付近では両種は混在せず、それぞれ適した環境に住み分けている印象を受けた。

 今回の目的はオオクグとこのシオクグを見に来たわけで、目的はあっさりと達成されてしまった。最近のパターンはこういうのが多いが、空振りやニアミスなどの苦労がないと探査と言えないのではないか、と思った。こういうのは植物園で解説板が付いている植物を見るのと大差がない。予習しすぎると授業がつまらなくなる、というパターン。
 他のカヤツリグサ科植物はもちろんだが、何か目ぼしい湿地植物はないものか、と一応探せる範囲は探したが特に興味深いものは見つけることができず、強風に遮られつつ断続的に聞こえる「こちらは国土交通省・・河口堰・・・増水・・・危険」というアナウンスに脅かされて引き上げることにした。

■河口堰の運用

 オオクグとシオクグを見つけた時点ですでに外堤防から100m以上は利根川に接近している。ここで急に「河口堰を閉めて増水する」と言われても逃げられるかどうか微妙だ。念のため利根川河口堰のホームページを調べたがそれらしき情報も載っていない。植物の予習はバッチリだったが肝心の身を守るリスクマネジメントが皆無というお粗末。渡良瀬遊水地も同じだが、ここは植物園でもなければ水田地帯でもない。中洲にキャンプしていてダムの放水や急な豪雨による増水のために逃げられなくなる人をニュースで見るが、それと同じだ。下手すれば自分がニュースになってしまう。次回から安全が保証された環境ではない場所に行く際には植物だけではなく少し安全面も予習しようと反省したのであった。

 連続した構造である常陸川水門はこのように日時単位で開放と閉鎖を告知している。もっとも常陸川は利根川のような遊水地帯を持っていない注7)ので河川敷に入り込んでうっかり流される、ということは物理的に有り得ないが、それでも「水門操作時は、水門付近で流れが速くなりますので、水門に近づかないでください。」(リンク先HPより引用)と注意喚起を行っている。利根川の方ももっと具体的な情報を発信しても良いのにな、と思った。折からの豪雨で増水した利根川の川面を見ると恐ろしげで、こんな場所に立ち入って写真を撮っている行為が我ながら愚かしく感じたのだった。

【オオクグとシオクグの群落】
オオクグ群落。奥にある沼が見える。沼の水面が地下水位だ
Panasonic LUMIX FZ85
シオクグ群落。利根川から水が入り込んだ跡が生々しい
Panasonic LUMIX FZ85

死して屍拾う者なし

■非日常空間

 上にも書いたが、最初から最後までどうも「ここは危険だ、ヤバい」と内なる声が聞こえて来るような気がしていた。自分は人並みの臆病者ではあるが、基本的にどのような場所でも感じたことがない異質な感覚。それは広大な空間に自分一人という状況もあり、上のシオクグ群落の画像のように利根川の水面とほぼ標高差のない環境に居る自分、という恐れもあり、様々な要素が入り混じってのものだと思う。

 しかしこの程度の事は渡良瀬の遊歩道を降りて調整池内部に踏み込んだ際にも、浮島湿原(霞ヶ浦)注8)で荒れ放題の見学路をアシをかき分け進んでいる時にも感じている程度のことだ。これが嫌ならそもそも植物探査なんぞしていない。この手の(この記事のような)記録を安全な家でPCで眺めていれば良い。それが出来ないからこうして彷徨っていることも十分承知の上。
 それでも異質な感覚を感じてしまったのは非日常的なオブジェクトをいくつか見てしまったからである。一つは画像の物体。まるで小さめの睡蓮鉢にアシを植え、そのまますっぽり抜いたようではないか。


(P)どこかで売っている「侘び草」的オブジェ RICOH CX5


 こういうのが橋脚部分の直下の舗装面に「はい、置きました」的に設置されていると何者かの意図を感じてしまう。(感じませんか?)最も可能性が低いのは「侘び草」とやらの雑草をニコライ・バーグマン注9)のようにブーケにして売っている某メーカーの実物広告。最も可能性が高いのは増水した際に生えていた土壌ごとはぎ取られてここに鎮座というパターン。実は最も可能性が高いパターンが一番恐ろしく、それだけ勢いのある水流がここに来る可能性がある、ということなのだ。写真では分からないが、この睡蓮鉢状の土壌部分は直径約50cm、高さは20cmほど。これだけの土壌は手で持っても相当重い。これだけのものを剥ぎ取ってここまで運ぶ水流がこの写真の撮影地点を現実に通っているのだ。
 客観的に考えればそういう事なのだと思うが、現実の光景でいきなりこんな物が目の前にあると悪魔が遊んで投げつけたように感じてしまう。すなわちこの感覚が「非日常」であって根源的に恐怖を感じる部分である。


【河川敷の非日常】
半世紀以上生きて初めて見たカラスの遺骸
RICOH CX5
正体不明の散乱した白骨体
RICOH CX5


■死の風景

 キャプションにも書いたが、恥ずかしながら半世紀以上生きて来てカラスの遺骸は初対面である。そもそもあれだけ厚かましく生命力のある奴等に「死」という概念があるのかと思っていた程。この広大な湿原をうろつく獣や虫に食い荒らされることもなく原型を保っているのが余計に不気味さを感じさせる。一説にカラスの寿命は100年〜120年という話があり、さすがにそれは無いなと思っていたが、一方「だから死体を見ないのか」とも考えていた。真面目な資料を見れば「寿命は10〜15年」とあって、そのあたりが妥当なところだろう。どちらにしてもこんなモノは初めて見た。
 もう一つ、鳥なのか魚なのか、あるいは獣なのかも分からない散乱した白骨。これは数カ所で見かけたが、これも快適な人間の生活空間ではまず見ないシロモノである。生活道路ではよく狸や鼬の轢死体を見かけるが、2〜3回轢かれた奴でもいつの間にか片づけられている。道路上で、あるいは道路以外でも白骨化するまで放置されたモノは見たことがない。動物学や解剖学の知識があれば正体が分かると思うが、あいにくバリバリの文化系人間である私には正体不明、何者か分らない事がさらに不気味さを感じさせる。

 こういうのを見続けていると、そのうち人間の遺体でも発見してしまうのではないか、と思ってしまった。事実、かなり上流の居住地付近で人間の遺体が発見されたこともある。そんなことになれば一大事で、警察を呼ばなければならないし、さすがに無かったこと、見なかったことには出来ないだろう。それでなくても長居したくない場所に足止めされることになるし、貴重な休日の時間を潰されることにもなる。金目のモノなら懐に入れて「無かったこと」にも出来るがあいにく湿地で金目のモノが落ちているのを見たことはない。


【河川敷の非日常2】
謎のカニの遺体
Panasonic LUMIX FZ85
非日常的構造物のアングル
Panasonic LUMIX FZ85


 非日常的なモノは他にもあって、橋脚下の舗装面には点々と様々な種類のカニの遺体が落ちていた。画像のカニは昔飼育していたアカテガニに似ているが、他にもより大きなやつ、小さな地味なやつなど10数体を確認した。しかしこれは不思議なことだ。湿地帯まではほんの10数m、水分も食糧もごく近距離にあり、乾いてしまうことも飢えることも考えにくい。さらに殺虫剤など人為的な介入もないはず。常に水に晒される、他に利用価値もない河川敷に殺虫剤を散布することはないはずだ。
 カラスや謎の白骨を見ているだけにこの空間が死に支配されているような気がしてさらに不気味な思いにとらわれた。しかしこの河口堰から向こうを見ると、さらに大規模な環境破壊の原因になった注10)とされる常陸川水門がある。ここで見た僅かな「死の世界」は上流にあたる霞ヶ浦や北浦ではさらに大規模に見られるはず。柄にもなく真面目にそんな考えが去来した。

■意外な絶景

 帰路、同じルートを通るのも芸がねぇな、と思ったので(そもそも今回はドライブがてら、なので)探査中に見上げていた河口堰上の道路を茨城県側に渡り、県内を移動して帰ることにした。とは言え、利根川は完全な県境ではなく、潮来市の南方には千葉県(香取市)が食い込んでおり、利根川北岸を通りつつも茨城→千葉→茨城のルートで帰ることになる。余談ながらこういう場所はもう一カ所あって、利根川の蛇行改修で南岸に残された茨城県(取手市)もある。ここは近所であり状況もよく分かっているが、渡し船やら市営バスやらで経費をかけて行政サービスを行なっている。この「飛び地」に税金を投入して行政サービスを行うぐらいなら香取市、潮来市、取手市、我孫子市で話し合ってトレードでもした方が利便性が向上すると思うのだが、なかなか簡単には行かないのだろうか。過去にそうした議論もあったようだが、結局は今の形に落ち着いたらしい。
 両方とも利根川の流路変更の結果であり、洪水防止や利水などのメリットはありつつも、それぞれの飛び地に住む人は市役所や銀行に用事がある時どうするのか。迂回して大利根橋(取手市の飛び地)、利根川常陸利根川河口堰の橋(香取市の飛び地)を渡って市の中心部に行かなければならない。もちろんもっと不便な場所は世の中いくらでもあるし、住民の大部分は今時車ぐらい使えるだろう、実質生活上さほどの不便はないにしても、心情的に大河の向こう側はやはり「向こう側」なのだ。明治に勃発したトレード議論の記録を読むと、結局は「心情的」な部分が判断基準になっている。当事者以外の人は「茨城も千葉も変わらんじゃないか」と思われるだろうが、千葉県の住人は茨城県の住人になりたくないのだろう。(たぶん)

 東庄町から神栖市(茨城県)に入り鰐川を渡る際の外浪逆浦注11)の風景、香取市に再突入した際に見えた与田浦注12)の意外なまでの美しさ、あまり来ることのない地域だが、なかなか絶景があるではないか、と思った。もちろん運転中であり駐車する適当な場所もなかったので写真を撮れていないが、こういう風景だけを撮影するために再訪するのも良いな、と思った。霞ヶ浦や北浦にかかるいくつかの橋も絶景ポイントとして有名だが、ここにもこんなに素晴らしい場所があった。利根川河口堰で感じていた陰鬱な気分もこの絶景で少し晴れたような気もした。

脚注

(*1) 2007年に刊行された、私が知りうる限り最もカヤツリグサ科に付いて詳しく写真も豊富な図鑑。図鑑の内容の充実もさることながら、著作者である谷城勝弘氏が大学や研究機関の研究者ではなく、千葉県の県立高校の教師であることが驚異的だ。つまり本業を他に持ちながらこれだけ専門性が高く他に追随を許さない事跡を上げたわけで、賞賛以外の言葉が思いつかない。書くのも大変だと思うが読むのも大変で、2007年の初版を真っ先に購入した私だが、いまだにカヤツリグサ科の同定は素人の域を出ない。

(*2) 以前も書いたような気がするが、JR成田線には結構な難読地名があり、木下(きおろし)、安食(あじき)、下総松崎(しもうさまんざき)など普通に読んでも正解しない地名(駅名)がある。駅名ではないが、道中の神ア(こうざき)、そしてこの東庄(とうのしょう)も土地勘がないと一発正解できない。このエリアから南に行くと八街(やちまた)、匝瑳(そうさ)という難易度の高いクイズ問題レベルの地名もある。匝瑳市は合併によって誕生した(2006年、八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併)市であるが、域内で最も難読の地名を冠した所はすばらしい。

(*3) 1995年(平成7年)に合併特例法という法律が施行され、国による財政支援策や市や政令指定都市への昇格の際の人口要件の緩和など「飴玉」によって市町村合併が促進された。その結果、2005〜6年をピークに全国で合併が行なわれ、市町村総数は1995年の3234から2018年には1741と半減している。笑っては失礼だが、奇妙な合併による変な市も誕生している。例えば茨城県内の小美玉市。東茨城郡小川町、東茨城郡美野里町、新治郡玉里村の3町村が合併して出来た市だが、市の名称はそれぞれの旧町村名の頭一文字を繋げたもの。それがどのあたりにあるのか、旧町村もさほど特色のある地域ではなかっただけにイマイチ良く分からない。どうせ分からないのならお隣の「かすみがうら市」のようにすっきりと過去を引きずらない方が潔いと思う。

(*4) 湿地探査の際によく引っ掛かる(文字通り)のはノイバラ(Rosa multiflora)及びテリハノイバラ(Rosa luciae)で、渡良瀬でも成東(食虫植物群落)でも霞ヶ浦(浮島湿原)でも、あるいは地元の利根川河川敷にも生えている。基本的には陸上の植物だと思われるが、抽水のようなヒタヒタの環境でない限り湿地でも平気なようだ。アシ原を藪漕ぎしている場合に引っ掛かると厄介で、まとめて生えていると迂回もままならず、完全なシケインとなる。強引に突破すると服やバッグに穴があき、軽くはないケガもする。そういう意味ではスズメバチ以上の破壊力がある、湿地最大の障害物である。

(*5) 分かりやすい赤十字マークが付いた専用のケースもあるが、単なるケースなのに数千円もするのでとても買えない。100均のもので十分である。中身も凝りすぎると使わない可能性のモノで一杯になり、期限がある薬品だと使わないまま終わってしまうので、これも100均で入手できるもので十分だと思う。何が必要かは人により、シチュエーションにより異なると思うが、基本的には消毒薬(除菌ウエットティッシュも可)、バンドエイド各サイズ、包帯、虫刺され薬、刺抜き(ピンセット)、ハサミなどで充分。意外に役立つのがシリンジ(100均のポンプ)を改造して作ったポイズンリムーバー。蚊に食われた時などブシュと吸い出すと後が楽。蜂やブヨ、毒蛇にやられた場合にも役に立つと思う。

(*6) 霞ヶ浦は海跡湖であり、常陸川水門閉鎖前は汽水湖であったことは事実。内陸側にも浸食された地形が谷津田になっていたり、丘陵部に貝塚があったりする。オオクグやシオクグがそうした場所で自生するのは(見たことはないが)海水の影響を受けていた地形に自生していたものが環境に順応したものだろう。この付近に多いカモノハシ(植物、イネ科)も塩湿地性が強いとされているが、今では海から遠い里山にごく普通に生えている。

(*7) 常陸川水門周辺はきっちり護岸されており、いわゆる氾濫原にあたるものは見られない。もともと公式には満潮時に霞ヶ浦への逆流を防ぎ、塩害を防止するためのもの、とされているので上流側の水量が増えれば利根川に流すだけ、というシンプルな設計思想が見てとれる。流された利根川の方は河口堰下流なので上流側の河口堰で流量調整、調整できない水量は氾濫原にプール、ということで一応辻褄は合っている。最も調整しなくても河口堰下流は相当川幅が広く、河口である銚子にかけて堤防もしっかりしているので問題はないと思うが、人間の想像を超えるのが最近の自然災害、油断は禁物だ。また本文に書いたように、海からの津波などは設計上おそらく想定外、この手の災害が発生し、河口堰が無力で損害が出た場合の新聞の見出しは「想定外」。予言しても始まらんがつまりはそういうこと。

(*8) 検索すると同名の北海道の湿地ばかりヒットするが、霞ヶ浦の方の浮島湿原も重要な湿地で、なにしろ日本でここだけに自生するカドハリイがある。ただしこの広大な湿地、かつ接近できる場所が限られている湿地でカドハリイが自生するピンポイントの場所は厳重に秘匿されていて、心当たりの場所を探しているがまだお目にかかっていない。こんな地味な単子葉植物を盗む奴がいるとは思えないが、用心するに越したことはない。最近はミズヒマワリなどの外来種の繁茂と荒れ放題で歩けない遊歩道も気になる。別名「妙岐の鼻」

(*9) デンマーク出身、日本在住のフラワーアレンジメント作家。オシャレなフラワーショップを一等地に多数構えるなど大成功しているビジネスマンでもある。最近はバラエティー番組やコマーシャルにも出演するなどメディアへの露出も増えている。フラワーアレンジメントの進化形であるフラワーボックス(防水の箱に吸水性の高いスポンジを敷き、そこに花をぎっしり生けたもの)を売り出して人気のようだ。個人的には買うことはないし某社の「侘び草」の方が心情的に近いが、元は雑草じゃねぇか、という思いもあって結局どちらも買ったことはない。

(*10) 常陸川水門の閉鎖によって霞ヶ浦の水の循環が遅くなり汚染が進んだ、という主張には一定の説得力があるが、相手が巨大すぎて真偽の程は正直よく分からない。国土交通省側の反論もそれだけ読むと「なるほど!」と思わせる内容で、どちらも「理論的には」という前置きを付ければ納得である。しかし実際は霞ヶ浦の汚染は複合的な要因であり、水門の閉鎖は影響があったとしてもそのうちの一つの要素に過ぎないような気がする。肝心なのはこれ以上汚さないようにすることだと思われるが、そちらの議論はあまり活発ではないようだ。

(*11) 鰐川は北浦からの流出河川で、霞ヶ浦からの流出河川である常陸利根川と外浪逆浦で合流する。地図で見ると外浪逆浦が両腕で霞ヶ浦と北浦を捧げ持つように見える。尚、外浪逆浦から利根川への流出河川も常陸利根川の名前で、色々と議論のある常陸川水門はこちら(下流側)にある。その「議論」は地図を眺めれば一目瞭然、霞ヶ浦水系すべての水の出所が常陸川水門なのである。汚れた水が海に流れないじゃないか、ってのも乱暴な議論だが、最初から汚さなければいいじゃねぇか、ってのも現実離れした議論で、歴史的に考えると先祖代々好き放題に汚してきたものを今更どうしよう、と。汚したのは国交省の責任ではない、ってのも分かる。一つだけ確実なのは最終解決案は霞ヶ浦導水路ではない、ということ。

(*12) 千葉県香取市(茨城県側飛び地)にある湖。利根川の流路の変化で海が閉ざされてできた海跡湖と言われている。非常に細長い河川状の湖だが、途中に3つ大きな湖状の池があり、私が見たのは最も北にある池の県道101号線沿い(与田浦橋)からのビュー。湖岸が整備されいかにも水郷地帯といった雰囲気で好ましかった。例によってブラックバスが密放流されておりルアーフィッシングの名所になっている。


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