日本の水生植物 探査記録
Vol.129 房総の風

Location 千葉県山武市
Date August 26, 2013 (Mon.)
Photograph Canon EOS6D、EOS7D / EF100mm F2.8L Macro IS USM / EF24-105mm F4L IS USM / RICOH CX5
Weather
Cloudy and partly sunny
Temperature
29℃
震災後


(P)開花のはじまったムカゴニンジン


 過去記事で何回かご紹介した成東・東金食虫植物群落。機会があり震災以降はじめて立ち寄ることが出来た。東日本大震災はご存知のように広範囲に被害があったが、意外と知られていない事実として、この群落のある周辺都市、山武市、旭市、匝瑳市などでも死者を含めて相当な被害を受けている。震災以降、軽微な被害ながら自らも被災者として思うところもあり、呑気に植物見学でもあるまいという気分的な問題もさることながら、自宅から九十九里に至る道路がズタズタ(*1)で、たどり着くまでどれ程時間がかかるのか見当も付かない、という物理的な障壁もあって2010年6月以来、3年以上のご無沙汰となってしまった。

 ここ成東・東金食虫植物群落は一度来れば満足、という湿地ではない。季節毎に咲いている花も変わるし、行く度に新たな発見もあって何しろワクワク感がある。不定期ながら管理棟には植物に詳しいボランティアの方も居て、見たい植物の名前を言えば位置を教えてくれる。仕事ならまだしも監視員やガイドはまったくのボランティアと聞いている。極力マニアの気配を消しつつ「回答しやすい」雰囲気を作ったが、私のような人間の質問に瞬時に答えるとはとても素晴らしい。それどころか、3年前はヒメナミキの写真を撮りたい私のために、わざわざ炎天下探して下さった方もいた。恨みは忘れず恩はすぐ忘れる私もこのご恩は3年経過しても覚えている。
 正直なところ、自分にできるかどうか分からない。そりゃ植物は好きだし、ある程度のマニアの質問にも答えられる知識はある。しかしいくら希少な植物群とは言え、日がな緑の湿原を眺めて過ごす、というのは耐えられそうもない。ボランティアどころか金を貰ってもイヤかも。自分に出来そうもないことをやっている方は素直に尊敬する。やはり凡人は「たまに見たくなって見に来る」スタンスが良い。

 今回受付票の「交通機関 電車」に○を付けるのがいや(*2)で車で来たが予想以上に時間がかかった。関東地方は主要な道路が東京から放射状に伸びており、横の移動は不便なのだ。今回は国道だけでR6、R356、R51、R409と走っている。脇道抜道はよく分からんし、致命的なことにナビが故障しているのである。液晶のタッチパネルがほとんど反応しないのだ。(たまに反応するので始末が悪い)たぶん修理は「新品購入の方が安い」状態だと思うのでなかなか踏ん切れない。踏ん切れない以上に「決まった道しか運転しない」嫁の決済が降りない。かくして経験と感、アナログ地図という伝統的なアプローチで来るしかなかったのだ。前回までは電車で来ていたので初めて来るようなものだ。これはこれで楽しい。
 途中、震災でダメージを負った利根川にかかる橋のうちの一つがまだ修理中であり、おまけに圏央道の工事も行われていたり事故処理があったりと所々にプチ渋滞がありさらに時間がかかった。これらは主にR356での出来事だが、このR356、またの名を「利根水郷ライン」は非常に危険だ。成田の手前あたりまでひたすら利根川の堤防を走る。従って信号もあまりないし、延々と北海道の道路並みの直線が続く。飛ばすなという方が無理だ。成田方面への物流も多く、大型トラックやトレーラーも多い。これが概ね時速80kmオーバーで狭い道幅(堤防だからね)、片側一車線を走る。渋滞や信号待ちの度に前方よりも追突されやしないかと後続車が気になる。
 では茨城県側、利根川左岸を通り、どこか適当な所で千葉県側に渡れば良さそうなものだが、茨城県側には都合のよい道路がない。言葉は良くないが、陸の孤島と呼ばれることもある(*3)地域なのだ。なにか用事で鹿島に行け、と言われれば迷うことなく千葉県に出てR356、銚子から橋を渡る。てなわけで何と家から3時間以上かかってしまった。

 今回のメインの目的の一つはアイナエを久々に見たい、というものだったが、アイナエはヘラオモダカとは逆に午前中で花を閉じてしまう。到着時間は昼となり、微妙な時間帯になってしまった。

小さな花の迷宮


(P)白い点々は圧倒的にナガバノイシモチソウだった。そこにシロイヌノヒゲやホザキノミミカキグサなどが混じる


 すでに正午を回り、目指すアイナエはお休み時間に入りつつある。灼熱地獄が続いた2013年8月だが、この日はやや涼しく曇りがちでもあったので、多少アローアンスはあると思っていたが、なにせ相手は植物で何を考えているのか分からない。「今日は涼しいから早めに仕舞うっぺ(千葉弁)」てなことを考えているかも知れない。そうなると3時間の移動はあまり意味がなくなってしまう。
 ご存知の通りアイナエの花は白く小さなものなので「草原の中の白い小さな花を探せ」で行こうかと思いきや、そこに立ちはだかったのが折から盛期を迎えていたナガバノイシモチソウ&シロイヌノヒゲ。遠目には白っぽく見えるミミカキグサとホザキノミミカキグサが追い打ち。この時期、大きな黄色い花を付けるゴマクサ、オミナエシ、紫のコバギボウシ、ピンクのミズオトギリ以外はおしなべて「白っぽい点々・・」なのである。こうなると意思決定は早い。
 歩き始めた木道を引き返し、件の監視員がいる管理棟に行き、アイナエの場所を聞いてみた。筑波の二の舞(*4)にならないことを祈りつつ尋ねると、手前のブロックにはない、向こう側にある(*5)との事。さっそく教えられた場所に行き無事対面がかなった。すでに半分ほどは花を閉じており、危ない所だった。常々子供にも言っていることだが、

分からん事はすぐに聞け!聞くは一時の恥


なのである。いつだったか、とある湿地にノカラマツの開花を見たさに通いつめ、あまりに開花しないのでノカラマツに「お前、いつ咲くんだ?」と聞いたことがある。これは・・・言ってみれば「聞くのが恥」ですな。(他に人が居なくてよかった、ってやつ)
 アイナエは教えて頂いた場所、開けた一角に数株まとまって咲いていた。こういう希少な植物を見るといつも思うことだが、変な話、あるのが当然という雰囲気で存在している。幾多の湿地を探し空振りを続けた苦労は何だったのか?と思えるほどごく自然に当然のようにそこにある。スズメハコベやアズマツメクサ、キタミソウなど滅多に見られないと思っていた植物も、見つけてみると「あって当然」という雰囲気で大繁茂していたりする。嬉しいような悲しいような微妙な感覚。こういう感覚を味わいたくてはるばる会いに来たのかも知れない。

 アイナエに会いたかった本当の理由は花と根元の葉が見たかったためだ。花はこれまで気にしたこともなかったが、地元でヒメナエの「花毛」を見ているうちにアイナエの花も見たくなったのだ。ついでに根元の葉も写真が残っていなかったし。RDB種ヒメナエの方は近所に群生地があったので、RDBノーマークのアイナエはその辺で見つかるだろう、と適当にありそうな場所を探していたがついに見つからず、以前見たこの場所に会いに来たというわけだ。

 昼を過ぎても開いて待っていてくれた数輪の花の写真を撮らせてもらい、まったく役に立たない肉眼(*6)でも存分に観察し、ひとまず満足。自然湿地では去年存在した植物が今年はない、ってことはよくある。この湿地はその点、地元有志の方々が手入れを継続して食虫植物をはじめ、こうした希少な植物が毎年見られるのだ。ありがたいことです。

やっと会えたアイナエは昼を過ぎて半分の花が閉じていた ヒメナエと違って花の内部に毛がない

宿題、残る


(P)もうすぐ開花するオトギリソウ。葉にも蕾にも腺点がよく目立つ


 話は変わるが、先頃タヌキモの変種を入手した。その名もチョウシタヌキモという(*7)。「チョウシ」は銚子であり、ここ山武市から北上した所にある千葉県銚子市のことだ。全国的に有名な醤油の産地、同じ千葉県の野田市にはキッコーマンがあり、ここ銚子市にはヤマサがある。醤油はともかく、このチョウシタヌキモの自生地もついでに見ておきたい、と思った。
 アイナエに時間を取られ、さらにコモウセンゴケやらヒナノカンザシと戯れているうちに楽しい時間は過ぎ去り、おまけに何やら空模様も怪しくなりつつある。チョウシタヌキモの自生地といっても具体的な場所も分からず、分かったとしても現在は厳重に保護されている、という話なので撮影可能かどうかも不明、遺憾ではあるが今後の宿題として残すことにした。常々思うことだが何か宿題を残すのが何事に限らず宜しい。また来訪したいというモチベーションにもなるし楽しみが残るというもの。

 房総は風が心地良い。特にこの季節、時折吹いてくる九十九里からの海風のやや湿気を含んだ重い空気に、聞こえるはずもない海水浴客の歓声や砕ける波音が感じられ、海の存在を意識できる。海岸線に出れば潮風で錆びた風景と、勝ち目のない海との戦いで力尽きた建造物がある。特に宿題がなくてもカメラ片手にぶらりとしたい場所なのだ。


 帰路、成田市内の渋滞を避けるべく九十九里海岸を一路北上、タヌキモは諦めたが銚子に向かうことにした。本当は匝瑳(*8)から香取に抜けるという手もあったが、道沿いに香ばしい池でもあればのぞいてみようかと。諦めたようで我ながらしぶとい。さらに佐原を通過しつつ、ちょっと前にカメラ雑誌の写真で衝撃を受けた(*9)あたりの街並みを横目で眺めつつ、広角単焦点レンズを持って再訪しようと心に誓いつつ家路を急いだ。
 古い街並み写真もそうだが、植物的にもチョウシタヌキモ、横芝光のツツイトモ、利根川河口付近のカヤツリグサ科(谷城先生の「カヤツリグサ科入門図鑑」の多くの写真がここで撮られている)など見所が満載のエリアなのだ。できれば合宿で数日遊びたいところだが、世間一般のお父さん同様に金と暇が両立しない(そして多くの場合、金と暇が共倒れ状態)小市民の日常が続く。

ゴマクサも久しぶりに見るような気がする・・ 成東・東金食虫植物群落風景

脚注

(*1) 特に被害が酷かったのは茨城県では鹿島、潮来、波崎あたり。道路はズタズタ、橋は損傷を受けて通行できず、断水は長期に及びライフラインの復旧には長期間を要した。たまたま鹿島付近に居た知り合いの話では、車で走行中に震災が発生、道路が液状化し電柱が踊る様を見たという。津波による東北の被害に隠れているが茨城県は被災地である。我が家も家具や皿や何やら被害はあったが家の外壁、カーポートのコンクリート、フェンス基礎など外周りの被害もあった。ちなみに費用対効果の面で散々叩かれていた利根川スーパー堤防は津波が逆流しなかったため実際のところは分からなかった。執行猶予か。

(*2) 成東・東金食虫植物群落では来訪者はカードに必要事項を記入(というか選択肢に○)することになっているが、あまり来訪者がいない時間帯は監視員の方がしげしげと眺めて吟味されてしまう。「電車?駅からどうやって来たの?」と聞かれ徒歩だと答えると驚かれてしまうのだ。僅か2km程度なのだが、世間一般の認識とは逆に地方の人間ほど歩かない。どこに行くのも車なのでこんなことで注目を浴びてしまうのがこそばゆい。

(*3) 2013年8月に読売新聞地方版に掲載された医師不足の問題。鹿行地域(霞ヶ浦、北浦の東の地域)は県内でも人口当たりの医師数がダントツに低い。救急医療も末期的で、同地域ではほとんど受け入れが出来ないようだ。一番早く受け入れが出来るのが土浦の病院だ、という救急隊員のコメントが掲載されていた。鹿行地域は霞ヶ浦を挟んで土浦の反対側だ。どうにかして霞ヶ浦を迂回しなければならないが、この状態は時間の経過とともに生存率が低下する脳疾患、心疾患にとっては言葉通り致命的だ。

(*4) 筑波実験植物園にはアイナエがあったが、植栽・展示のものではなく勝手に園内に生えてきたもののようだ。「園内自生」という括りでWebサイトにも記載されていたが、維持管理を行う対象外であったため2013年には消滅して見られなかった。確認して頂いたところ、2011年頃に消滅したらしい。

(*5) 成東・東金食虫植物群落は木道を蝶の羽のような形で巡らせており、それぞれの羽が1ブロックになっている。木道際は小さな食虫植物が見やすいように刈り込みされており有難いが、珍しいタデ科植物や水生蘭などはやや木道から距離があり、写真を撮ろうとすると難儀する。しかし事情は尾瀬と同じ、維持しつつ公開する、というスタイルでのギリギリの選択だと思う。

(*6) 2012年に網膜裂孔という病気を発症し、右目の視力が急激に低下した。物理的にも懐的にも痛いレーザー手術を受けたが、医者から「もう視力は戻らないっすよ〜」と軽く宣言されてしまい、仕方ねえなと諦めた。ところがやや元気だった左目が頑張りすぎて視力低下し、今や何とか運転が可能なレベル(一応視野検査は受けた)だ。早いところ再生医療が普及し、手軽く安く網膜を作って欲しいと希望。

(*7) Utricularia australis f.fixa Komiya。タヌキモの品種(forma)とされるが種小名が異なる。資料が少なく確実な所は分からない。少なくても見た目はタヌキモそのものだが、生態的な相違点として夏から側枝に殖芽を形成するようだ。また浮遊性のタヌキモに対し、本種は沈水生であるとする説もあるが、数少ないネット上の画像や自宅での生育状況を見ても浮遊性である。一方殖芽の形はイヌタヌキモに似ており、イヌタヌキモの地域変種説もある。要するに正体不明である。

(*8) 匝瑳、そうさ、と読む。2006年に八日市場市と 匝瑳郡野栄町が合併して誕生。難読・誤読地名番付の「東の横綱」。九十九里浜に面し海水浴場はいくつかあるが、他にたいしたものはない。(と思う)

(*9) 佐原、小野川沿いは古い建築物が多数残る写真撮影地であるが、本文にある利根水郷ラインや水生植物園とは駅の反対側にある。今回もそうだが、ここまで来るとモードが植物モードに切り替わるので幾度となくニアミスしながら行ったことがない。ある時カメラ雑誌のレンズレビューで衝撃を受け、意識的に自分を写真モードに入れて再訪しようと考えている。もちろん同じ機材で同じ場所に行っても同じ写真は撮れない。そこには個々人のセンスや表現力といったパラメータがあって、誰がやっても再現性が100%のものは趣味とは言えない。

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