日本の水生植物 探査記録
Vol.128 東国の箆

Location 茨城県水戸市
Date August 17, 2013 (Sat.)
Photograph RICOH CX5/Canon EOS KissX7/EF-40mmF2.8 STM
Weather
Fine
Temperature
34℃
犬、犬好きを知る


(P)2013年8月17日 トウゴクヘラオモダカ(茨城県水戸市)


 犬という動物は多少人間の気持ちが読めるらしく、犬が好きでたまらんという人間には初対面でも尻尾を振って歓迎する傾向がある。逆に噛み付かれりゃしないか、とビビリながら接すると警戒されて「ワン!」と吠えられたりするようだ。なかなか人間の心が読める賢い動物だ。昨今上辺だけ取り繕う人間が多く、何を考えているのかさっぱり分からん私にはその特殊能力はかなりうらやましい。

 植物に心があるのかどうか分からない(*1)が、どうやら最近調査するうちに好きになったトウゴクヘラオモダカには好かれているらしい。探しにいったわけでもない場所、しかも2時間以内に2箇所で偶然出会ってしまったのだ。このサイトの記事「トウゴクヘラオモダカ」では、最後に残った謎、花芽第一分岐の数に付いて2ないし3、と言い切りつつも、調べられた自生地は3箇所程度である。
 3箇所の自生地がそうだから全体もそうだ、とは言えないのではないかと思いつつ相手はなんせ最新の環境省レッドリスト2012(*2)でも絶滅危惧II類(VU)にランクされる希少種である。その辺の水田を適当に探せば出会えるものでもない。それこそ犬が歩いても棒には当たらないのである。それどころか最初にこの植物を見た時には福島県白河市まで遠征(*3)しているのだ。そのぐらいない。この白河市の自生地は2009年8月に訪問しており、その後も断続的に各所を調査している。ちょうど4年間で3箇所、1年に1箇所も見つかっていない程なのだ。それが探す気がないにも関わらず1日2箇所とは「トウゴクヘラオモダカに好かれている」としか思えない。採集するわけでもないし、初めて見るドキドキ感もない。こういう無私かつアカデミックな態度が好かれる所以だろう。なぜなら私も人並みに金が好きだが、ついぞ拾ったことがない。金に好かれていないと言うよりはヨコシマな心が相手に読み取られてしまうのだろう。

 前置きはそのぐらいにして。茨城県水戸市は私の出身地である。住んでいた頃(すでに故郷を離れて30年以上)は市の中心部、千波湖周辺でも低湿地が多い、まさに「水の都」であったが、今では公園やら宅地やら整備が進んで面影はない。余談ながら先頃の東日本大震災で水戸市役所の庁舎が損壊し使用不能になったとの事だが、市役所の場所は私が住んでいた頃はたしか湿地だった。その周辺部も江戸時代に水戸藩が千波湖を埋め立てた場所なので地盤は緩いだろう。市内の古い構造物、偕楽園の好文亭や常磐神社、護国神社、旧県庁(水戸城跡)などがおしなべて台地や地盤が堅固な場所にあることを考えれば「水の戸」に偽りなし、ってところか。

 当時こうしたジャンルに興味があれば面白い場所だったと思うが、公園になっても谷津田の地形が残っており、今更ではあるがお盆の帰省のついでに短時間まわってみた。長時間ゆっくり見たい気もするが、気温34度、湿度も70%近いので下手すりゃ熱中症で搬送されてしまう。
 一箇所目は地元ではやや有名なサギソウの自生地。盛期は7月末〜8月上旬だが、もちろん今更サギソウを目的にしているわけではない。サギソウをきちんと撮影するつもりならこういう撮影機材のチョイスはない(*4)。これまでまともに見たことがない湿地だったので、興味深い植物があるかも知れない、という軽い気持ち。従って装備もいたって軽い。

貧栄養湿地

 サギソウの方は盛期を過ぎつつもまだかなりの株が開花しており、ここまで来て何も撮らないのも悔しいので適当に撮影。もちろん綺麗だし今や希少な水生蘭なのだが、幾多のカメラマンが題材にしており、今更自分でシャカリキに撮っても仕方あるまい。
 それよりも経験上、水生蘭が咲く湿地は概ね貧栄養湿地であり、この環境を好む特定の植物(*5)があるはず、と思ったらやはりあった。イトイヌノヒゲ(ホシクサ科)。実はイトイヌノヒゲにも好かれているようで、つい最近見たヒメナエの大群生地にもあった。この植物も初見はトウゴクヘラオモダカ&ビャッコイ遠征の福島県白河市の休耕田だ。その後は渡良瀬遊水地など、ごく限られた場所でしか見ていない。それが月に2度、しかもこの植物を目的に探しに行ったわけではない。

 何となくこのあたりから望外の植物に出会えるような予感がして来た。これは結果論ではなく今までの経験則だ。ダメな時は最初からダメで、これは渡良瀬でも印旛沼でも変わらない。希少植物の宝庫渡良瀬でも空振りは多い。これは彼の地が広大に過ぎる、という理由もあるが予感がない時は概して結果が得られない。行かれた事のない方のために少しだけ解説する。
 渡良瀬遊水地は「遊水地」であって植物園ではない。どこに何が生えているかという情報はもちろんない。「読み」と「執念」がないとアシの壁を貫く僅かばかりの通路を見るだけで終わる。通路を外れれば底知れぬ沼地や水溜りがあり危険極まりない。場所によっては蚊の大群に襲われる。こうして何ら得ることのない訪問がかなりの確率であるのだ。こういう時はファーストインプレッションが宜しくない。直感は誤らない、誤るのは判断だってところか。
 かたや自然破壊と水質汚染の象徴(*6)のような印旛沼、そもそもあまり行く気にならない場所だが予感に背を押されて行ってみると滅茶苦茶な土木工事で掘り返した穴に水が貯まり沈水植物が発芽して大群落を作っていたりする。過去記事で書いたが(*7)エビモ、オオトリゲモ、シャジクモなどが復活していた。どれも珍しい植物ではないが、あれだけの量のエビモが繁茂しているのは初めて見た。これだけでも価値があるし大きな出会いだと思う。湿地の探査は須らくこうした人智を超えた偶然に結果が左右される面がある。運という不思議な力。

見られそうでなかなか見られないイトイヌノヒゲ もうひとつの出会い。ミズオトギリ。昼過ぎなのでまだ咲いていない

東国の箆、その1

 予感は継続。谷津田地形のどん詰まりに歩いていくに従い、両脇の木々の密度が増し、温度・湿度ともやや猛威を潜めた感があった。最奥から湧出する冷水は細い流れを作っていたが、予感通り小さなヘラオモダカが見えた。残念なことに午後1時を過ぎていたが開花が始まっておらず(*8)葯の色は確認できなかった。しかしこれまでのトウゴクヘラオモダカとの関わりのなかで、草体全体から受ける印象がトウゴクヘラオモダカそのものであることを確信した。蝮の姿が見えたため流れに降りる勇気がなかったが、一生ピントが合わない緑の重なりの中の花茎を、カメラをだましだまし撮ってみれば、第一分岐は2型(これは別記事にて詳細を解説しようと思う)、V字分岐である。ちなみにこれは我が家にあるトウゴクヘラオモダカと同じタイプだ。

 本Webサイト記事「トウゴクヘラオモダカ」で書いた通り、トウゴクヘラオモダカはこうした湧水源近くだけにあるとは限らない。しかし確率的に(後述する例も含め、5例中3例が谷津田最奥、湧水近くで発見、すなわち60%)こうした環境にあることが多いのは事実だ。数少ない本種に付いてのネット上の情報の多くが「ヘラオモダカ:平地、トウゴクヘラオモダカ:湧水源」と自生地を特定しているが、それは確率の問題のような気がする。

 やっと4年間で4例目の東国を見つけたが未開花と蝮のおかげでやや消化不良気味。ちなみに私は蛇全般が苦手だが蝮は特に苦手だ。もちろん毒蛇ということもあるが、あの体型と模様が生理的に嫌なのだ。右画像中央やや下寄りに見えるのがトウゴクヘラオモダカ。写真を撮ったつい数分前にこの水路を大きな蝮が泳いで行ったのだ。最接近して根掘り葉掘り調べて写真に収めたい気持ちは強かったが、そんなわけで断念。

 さて、偶然私的な大物に出会ってしまい、しかも消化不良状態、サギソウもイトイヌノヒゲも忘却の彼方にすっ飛び、思考がトウゴクヘラオモダカに占拠されてしまった。ここで開花を待つ手もあるが、開花して葯の色を撮影するには流れを渡り接近しなければならず、上記の悩みと再び格闘しなければならない。とりあえずパスと即決し、別のポイントに向かうことにした。
 別のポイントも里山だが、数十年前、現在の私より若かった両親とよくキノコ採りに行っていた場所だ。植物に興味を持ってから再訪していない。休耕だらけで仕方なしに自治体が買い取って公園にしたと聞いているが、むしろその方が遷移がなく植生が残っている可能性が高い(*9)
 ちなみに当時キノコ採りの対象だったのはホウキタケである。最近の管理されない山林(*10)ではついぞお目にかかれないが、当時は広葉樹林に広範に出現し、炊き込みご飯として美味しく頂けた「秋の恵」だったのだ。当時はあまりにもありふれたキノコだったので山林の所有者含めて小うるさい事は誰も言わず、自由に採ることができた。今から見れば不便なことも多かったが鷹揚で良い時代だったと思う。
 こういう趣味、あるのかないのか分からん植物を追い求めて谷津田を歩くのは、心のどこかに「古き良き時代」を追体験したい、という欲求があるからかも知れない。

(P)湧水近く、細流にタニヘゴやミゾソバに囲まれ自生するトウゴクヘラオモダカ(左下、流れ際)
東国の箆、その2


(P)2013年8月17日 棚田跡に多く自生するトウゴクヘラオモダカ


 ポイント2箇所目、すでに書いたようにトウゴクヘラオモダカがあった。あったというか、棚田を利用した水生植物園(植栽されたものはスイレン、ハス、コウホネ、水生アヤメなど一般的なもの)に点在する雑草、ヘラオモダカはすべてトウゴクヘラオモダカであった。これだけあれば花芽分岐も相当なパターンを調べられる。この結果は自分的に中途半端だと思っているFeatureの「トウゴクヘラオモダカ」続編としてご報告したい。

 再三であるが、トウゴクヘラオモダカの重要な同定ポイントである花芽第一分岐には情報に「揺らぎ」がある。第一分岐は必ず2なのか、2または3なのか、2の時の角度は?3の時の条件は?株ごとに特徴が出るのか?個体群の性質なのか?とにかく疑問が山程ある。ネット上の情報(文献にはこの種に付いて詳述したものが見つからない)はこの点に付いて「第一分岐が2」「2または3」と実にサラリと済ませている。葯が褐色の通常タイプヘラオモダカが見つかった以上(*11)、この同定ポイントをすっきりさせないと種として独立させる存在なのかどうか分からないようになると思う。
 このあたりが自分の中でモヤモヤしている部分、そしておそらく誰も明瞭に回答できない部分だ。ここまで深入りしてしまうと、この植物に付いて自分より詳しい人間を探すのが困難なので誰かに聞くわけにもいかない。それが目前に好きなだけ調べられる群落があるのだ。

 エッセンスだけ書いておくと、先の湿地にあったV字分岐(仮に2型と表現する、分岐は約90度)と直線状の2分岐(仮に1型、要はカカシの手のような分岐、約180度)があって、興味深いことにひとつの株で両方のパターンを持つ場合が多い。そして2型の方は3分岐が約50%混じる。自宅育成株で見たのはこれだ。今までぼんやりとトウゴクヘラオモダカには2タイプあって遺伝的な形質かと思っていたが、これですっきりした。
 とてつもないマイナー植物、トウゴクヘラオモダカにこういう形質がある、ってことが書いてあるのはここだけですヨ。ここだけだけど・・・こういう事に反応するのは全国で数名なので声を大にしても仕方がないな。

 さて、里山山林の方は綺麗に整備され、少年時代にミヤマクワガタやヒラタクワガタを獲った大クヌギは切り倒され、渡るのに苦労した水源の流れ出しには洒落た橋がかけられていた。斜面も丁寧に除草され、厚い手入れの跡が感じられた。これではキノコも出ないだろう。歩くには快適、スズメバチや蝮を駆除している人達もいるはず。ポジティブに考えれば自治体の良心ってやつだと思う。
 贅沢というか天邪鬼な話だが、こういう快適さと、蛇や蜂にビビリながら歩く山野、どちらが楽しいのか。教条的な話ではなく、5分5分かな、と思った。散々書いたように蛇は嫌いだが、蛇も生きられない自然はどうかな?公園維持の方向性のなかで湿地帯の雑草は駆除されないようなので(だからこそトウゴクヘラオモダカが残っている)また調べたくなって来ることもあるだろう。結論はその時まで保留。

稀にWebで見る形、直線状2分岐 3分岐、2分岐1型2型混在の図
脚注

(*1) ある研究によればサボテンには心らしきものがあり、微電流で感情表現するとのこと。植物も生命体なので心があっても不思議はないが、アクアリウムをやっていた頃、値段の高い珍しい水草に限ってとっとと枯れてしまったような気が。値段と希少性による「愛」ではなく、本物の愛が必要だったのかも。
(*2) 2007から見直しがなされ、微妙に変わっている。最新版は環境省のWebサイトからCSVでダウンロードできるのでご覧頂きたい。疑問に思われる変更も散見されるが、環境省によれば「残存が確認できた個体数をある計算式にかけて係数として判断」しているらしい。自分が見ているフィールドがすべてだとは思わないが、実態と微妙に合わないランクも客観的な判断基準はあるようだ。(ただしその中身は公開されていない)

(*3) 2009年8月11日調査。公開終了した探査記録旧作「Vol.70 南みちのく紀行〜ビャッコイ編」「Vol.71 南みちのく紀行〜白河の関編」で内容レポート。トウゴクヘラオモダカはこの時白河市の棚田最上段で発見している。これが初見で、このテーマはまる4年追い続けている。

(*4) 実はこの調査の前に衝動買いしたEOS KissX7と衝動買いの上塗り(軽いカメラには軽いレンズが欲しいよなぁ)で購入した40mmパンケーキレンズのテストを兼ねていた。ライカ版EOS6Dや100mmLマクロは留守番という、まさに植物撮影しないためにチョイスしたような機材。
 こういう時に頼りになるのがRICOH CX5。冒頭画像はCX5だが、等倍マクロより物理的に大きく写り(センサーサイズ比だと等倍以下かな)解像感も許容範囲でまさにWeb向き。地味な外観が災いしたのかさほど売れず、シリーズはシュリンクしてしまった模様。新型発売希望。

(*5) 水生蘭と貧栄養湿地の関係を典型的に現しているのは渡良瀬遊水地第3調整池と成東・東金食虫植物群落だろう。貧栄養だとなぜ蘭が自生するのか?確かなことは分からないが、蘭の生育に必須であるプロトコームに関与する共生菌の好み?が考えられる。こうした湿地は独特の植物構成が見られるので楽しい。本文にあるイトイヌノヒゲなど通常の水田では滅多に見られない。

(*6) そもそも印旛沼は江戸時代から痛めつけられ続けている。(徳川吉宗の新田開発を意図した干拓、後に田沼意次が引き継ぐ)かのガシャモクとササバモの自然交雑種インバモの和名の元となった水草の宝庫の面影なく、広大を誇った沼も(現在でも千葉県では最も大きい湖沼だが)干拓の結果、北部調節池(北印旛沼)と西部調節池(西印旛沼)に2分割され、面積は当初の半分以下に減少している。また水質はCOD値で常にワースト上位に顔を出す「手賀沼の友達」である。

(*7) 2009年に公開、現在は公開終了したこのシリーズの記事「Vol.76 荒廃と復興 印旛沼北岸」でレポート。印旛沼、手賀沼とも悲惨な水質だが水草のシードバンクは残高が巨大で、手賀沼畔のガシャモク、北印旛沼のムサシモなど大物の復活の話も時折聞かれる。手賀沼の底泥の埋土種子を調査した実験があり、ガシャモクやコアマモ、カワツルモなど多くの希少植物の種子が見つかっている。(参考「異端の植物 水草を科学する」P247〜250)

(*8) ヘラオモダカ(トウゴクヘラオモダカ含む)の開花は午後。ただし当然ながら0:00にピタリと開花が始まるわけでない。この日のように午後1時を回っても開花していない場合も多々あり、これは天候、気温、湿度などの影響に加え、山の影になったり木立に囲まれたりと地形的な影響もあるのかも知れない。

(*9) 地元のヒメナエ大群生地などはその典型で、遊水地を水生アヤメ園として兼用しているためにアシやガマなどの大型湿地植物は積極的に排除される。反面、ホシクサ、スズメノトウガラシ、ヒメナエ、コケオトギリ、サワトウガラシなど小型の雑草は無視されて大群生している。休耕田もそのまま遷移すればトウゴクヘラオモダカは残存していないと思うが、公園化され通水されて水生植物園となったため残っていた。大型草本は排除される、除草剤は使われない、という理想的な環境なのだろう。

(*10) 里山広葉樹林の林床は堆肥に、枝打ちした廃材は燃料に、というエコなライフスタイルが滅びて久しく里山は人間の立入りを拒否するほど原始の姿に近づいている。こうして里山キノコ、カブトムシ、クワガタムシなど撹乱依存の生物は激減している。これは善悪の問題ではなく、今時どんな山里でも化学肥料は使えるし電気・ガスは来ているのである意味必然。

(*11) いくつかの記事で触れたように、草体は通常のヘラオモダカ、葯が褐色という株が複数箇所で見つかっている。また写真を撮りに行くのが面倒だという理由で自宅でも育成している。これは数年間形質が変わらないので遺伝的形質だと思う。ヘラオモダカ(トウゴクヘラオモダカ含む)の何種類ものバリエーションはこうした遺伝的形質の組み合わせ、という自説の根拠でもある。

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