日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
イチョウウキゴケ
(C)半夏堂
Feature Ricciocarpus natans (L.) Corda

ウキゴケ科イチョウウキゴケ属 イチョウウキゴケ 学名 Ricciocarpus natans (L.) Corda
環境省レッドリスト2015 準絶滅危惧(NT)

撮影 2007年6月 茨城県龍ケ崎市 水田
生活史

 本種イチョウウキゴケやウキクサ、アオウキクサ、オオアカウキクサなど水面に浮いて生活する植物全般を、科属のカテゴリーを飛び越えて「浮草」と呼ぶ。本来彼らは水が無ければ浮くことはできず、近年の乾田化(*1)によって減少して然るべきだが、そうした水田でも強害草ぶりを発揮している種もある。さらにミジンコウキクサ、アゾラ・クリスタータなど外来種も入り乱れ、水田では最も元気な植物のカテゴリーの一つとなっている。

 関東地方の乾田のサイクルは概ね4月下旬〜5月上旬頃に田植えのための湛水が始まり、8月中旬頃には中干し(*2)のために落水される。(この間もこまめな水管理が行なわれる)これを考えると、一年のうちざっくり4カ月が浮草、8カ月は湿気のある地面にしがみつく植物であって、生活の2/3は「湿地植物」である。「浮草」というのは年間の1/3の生態が代名詞となっていることになる。浮草は一般的な呼称なので今更別に「異を唱える」つもりはないが、必ずしも名は体を表すものではないな、と思った。

 ついでに。これら「浮草」は風の吹くまま水の流れるまま、あちこちにフラフラ移動しながら生きている、と思われがちで、そうした性向を持つ職業を浮草稼業と呼んだりする。しかし実際はイチョウウキゴケやサンショウモなど、毎年同じ環境に出現することが多い。流されて行った先で定着するというパターンはあまり見たことがない。そこは希少種であって、どのような水域にも定着できる、というものではないのだ。

 イチョウウキゴケは絶滅危惧種(準絶滅危惧(NT) )ながら見る機会は多い。アオウキクサやウキクサとともに普遍的な「浮草」であるが、やや謎の部分が多い。謎の最たるものはその発生条件で、ある水田では水面を埋め尽くす勢いで増殖しているが、隣接する水田には一つもない、という現象をよく見る。隣接する水田だけ除草剤を播いたとしか考えられないが、あまり現実的ではない。増える方は不思議でも何でもなくて、葉状体が横に横に成長し、ある時点で2つに分割される。これが全ての株で起きるので、2の累乗的に増える。爆発的に、という形容詞がピッタリの増え方(*3)である。
 この現象は育生下でも見られ、ある環境では増殖して持て余すようになってしまうが、似たような環境の睡蓮鉢では短期間に消滅してしまう、ということがよくある。土壌も水質も日照も見た目には何ら変化がないのにも関わらずである。育成という観点で言えば、より危急度の高い(絶滅危惧U類(VU))サンショウモの方が安定している程である。もちろん育生下で除草剤は使用しないので、原因は分からないとしか言いようがない。(分からないから謎、なわけだが)

 さらに大げさに言えば「進化上の謎」があって、本種は唯一の浮遊性苔類である。こうした生活史はそれなりの合理性というかリーズナブルな訳があって進化したものと考えられるが、他に同様の種が存在しない。ある意味孤高の存在である。同属植物のカヅノゴケ(アクアリウムでは「リシア」)というものがあって、小型魚類の産卵孵化場所として浮かして育成されるが、自然下ではあまり浮草的ではない。カヅノゴケは概ね水中では植物の根などに引っ掛かり沈水生活となる。水が引けば地表にへばり付いて生育する。そもそもイチョウウキゴケのように葉状体と仮根(鱗片)のように明確な区分もない。同属植物ではあるが、まったく別の進化を遂げた植物のように見える。


(P)2006年6月 千葉県我孫子市 意外に複雑な形

分布

 前述のように当地ではイチョウウキゴケが絶滅危惧種と言われてもピンと来ないが、それもそのはず、国立環境研究所の日本のレッドデータ検索システムを見ると我が茨城県は無印となっている。腑に落ちないのは秋田県、宮城県、福島県といった「米どころ」の各県で絶滅危惧種T類となっていることで、どうやら水田の数とは比例しないようだ。
 もっとも農業県である茨城県以外に関東地方では大都会東京都も無印である。意外なことに都内でイチョウウキゴケを見る事は多いのだ。東部では葛飾区の水元公園、西部では東村山市や国分寺市など水田が残存している地域でも見られる。復活すれば全国的なニュースとなるほどの希少植物、ツツイトモが千代田区(皇居のお濠)で増殖している(*4)という話もあったほどで、大都会だからと言って侮れない。ビルの谷間を縫うコンクリート河床の神田川でも中流域にはヤナギモなどが繁茂しているのだ。

 田舎だから自然が豊か、というのは乱暴な見方、というか実態を示していない。一つ確実に言えるのは東京都では下水道の整備(*5)が進み、都内の河川や水路の水質が首都圏周辺よりも確実に良い、ということだ。脚注リンク先のデータを見ると、東京都の下水道普及率は99.5%、対して茨城県は60.8%である。茨城県は特に農村部の普及率が低く農業排水と併せて水質の汚染源となっており、のどかな風景と植生は必ずしも一致しない。
 端的な例は国立市の湧水河川、矢川(*6)でありナガエミクリやエビモ、ササバモ、ヤナギモといった沈水植物が所狭しと繁茂している。湧水起源の清浄な水質の河川ということもあるが、やはり雑排水の流入がないという点は大きい。東京都より「自然豊かな」茨城県には残念ながらこれだけの河川はない。

 日本のレッドデータ検索システムには都道府県別のランクが記載されており、全国の傾向を個別に見られるという利点があるが、よく分からないのが「その他」である。イチョウウキゴケは栃木県、長野県、京都府でこのカテゴリーとなっている。この検索サイトを奥にたどって行くと、「その他」には「留意種(N)」「Dランク」「要注目種」「未評価(NE)」「注意(N)」などの表記がある。それぞれの解説が見つからないので意味する所も不明ながら、IUCN(*7)と環境省のカテゴリー対比を見ると、準絶滅危惧と同レベルのConservation DependantやLeast ConcernもしくはNot Evaluatedあたりに該当するのだろうか。
 さらによく分からないカテゴリーに「情報不足」というものがある。都道府県版では滋賀県と大阪府がイチョウウキゴケに付いてこのカテゴリーとなっている。読んで字の如く判断に足る情報が不足している、ということなのだろうが、Not Evaluated(評価なし)とどう違うのだろうか。ここまでマチマチでは情報の信憑性という問題にもなりかねない。IUCNのカテゴリーが全面的に合理的とは思わないが、環境省カテゴリー、都道府県カテゴリーもある程度統一してくれると紛れがない。なにしろ以前の環境省RDBではイチョウウキゴケは絶滅危惧T類(CR+EN)に指定されていたのだ。


(P)2006年6月 千葉県我孫子市 水路に集まる

消長

 分布や危急度の実態もデータが怪しく(としか言いようがない)、近隣では絶滅危惧種とは思えない程普遍的なイチョウウキゴケだが、思い起こせば「ない所にはない」。イチョウウキゴケを目的に撮影や採集で遠征するということは無いので確たることは言えないが、ヘラオモダカの葯の色にはまって(*8)近隣の水田を歩き回っていた際に本種を見たという記憶が残っていない。元々目的があると目的以外はあまり覚えていないタイプなのだ。(自慢することではないが)
 一方、家の近所ではいつでも見られるので「見たけれど記憶が無い」「見ていないので記憶が無い」のかもはっきりしない。水元公園や東京都西部で見た記憶が残っているのは主目的がなく「何でも見よう」的ツアーだったからかも知れない。あらためてこの稿を書いていると「絶滅危惧T類(CR+EN)」は絶対おかしい、という事は感じるが、では「準絶滅危惧(NT)」が妥当かというと確信がない。近所の水田でも消長があるはずだが確実にモニタリングを行っているわけでもなく、こうしてあらためて考えるとすっかり謎の植物になってしまっている。

 さて、消長の問題。イチョウウキゴケの減少原因としてRDBや各種資料では除草剤を上げる例が多い。他の希少植物も同様の原因が上がる例が多く、読み飛ばしてしまいがちだが、ちょっと待てよ的疑問がある。現在水田用除草剤としてスルホニルウレア系除草剤(*9)(SU剤)が主として使用されているが、この除草剤散布後、狙った雑草は駆除できてもその後にゼニゴケが繁茂してしまった、という事例が見られるそうだ。言われてみれば除草剤の「効能」としては対維管束植物で、蘚苔類(苔類)はターゲットとなっていない。
 まったく効かない、という訳ではないだろうしゼニゴケが繁茂したのは競合植物が枯死してしまったから、という解釈も出来る。しかし長期間残留して雑草の発生を抑止する「一発剤」がゼニゴケには効いていないということも状況証拠として成立する。こうして考えると、もしイチョウウキゴケが減少しているとすれば原因は他にあるのではないだろうか。

 それこそ確実な原因はイチョウウキゴケに聞かなければ分からないが、何とかの一つ覚えの如く「除草剤、除草剤」というのも必ずしも正解ではない場合もあると思う。対案なき反対は意味が無いが、対案として考えられるとすれば水質の問題だろうか。ただし育成の経験を書いたように、目に見える水質の差ということではない。あるとすれば非常に狭いゾーンであって、イチョウウキゴケは見かけ以上に水質に敏感に反応する植物なのかも知れない。
 浮草としての草姿時に、姿勢の安定のためだけというには必要以上にたくましい仮根を鑑みるに、水とのアクセスは想像以上に多いと考えられる。水田での分布のムラ、育生下での極端な結果は実は微妙な水質が影響している可能性もある。


(P)2006年6月 千葉県我孫子市 水田排水路に集まったイチョウウキゴケ(2枚とも)

脚注

(*1) 田植えの際や稲の成長期など水田に水が必要な際に導水し、根に酸素を与えて収量を増加させる際にはすぐに落水できる仕組みの水田にすること。メリットは前述のように収穫量が増大すること。一方、雑草や害虫の発生などの弊害もあり、これを避けるために冬季湛水という湿田に近い方式に回帰する場合もある。区画整理や用水・排水路の整備とともに基盤整備の一環として行われて来た。

(*2) 脚注(*1)関連。湛水中は土壌が嫌気的となり稲にとって有害なガス、二価鉄、酸などが発生し根にダメージを与えるために収穫量が減少する。これを避けるために時々落水を行って土壌を好気的にする。このオペレーションが中干し。特に出穂前1.5カ月〜1か月は水分要求量が少なく、落水することの効果が大きい。専門的には窒素の過剰吸収を抑制、カリウムの吸収促進による根の健全化などのメリットがある。特に台風等による倒れに弱い酒米品種には欠かすことの出来ない仕組である。

(*3) イチョウウキゴケの増殖方法は主に無性生殖であり、胞子体の形成は稀であるとする意見もある。事実であれば水面を埋め尽くす群落もすべて同じ遺伝子の個体群である可能性も高く、何らかの要因によってすぐに消長する現象の原因となっている可能性もある。イチョウウキゴケは雌雄異株であり生殖しない理由は見当たらないが、何らかの理由があるのだろう。

(*4) こちらのサイトに皇居に生息する生物が紹介されており、お濠で発見されたツツイトモも紹介されている。水生植物全般としては、「皇居におけるツツイトモの調査プロジェクト報告」というレポートが環境省皇居外苑管理事務所から出ている。ちなみにツツイトモは環境省レッドリスト2015では絶滅危惧U類(VU)の希少植物。

(*5) 社団法人日本下水道協会のデータを参照した。東京都や神奈川県、大阪府、兵庫県など政令指定都市を抱える大都市圏は総じて高い普及率となっている。一方、自分の植物探査の主たるエリアである茨城県、栃木県、千葉県など周辺地域は60〜70%台の普及率となっている。従って「排水」という観点から言えば神田川や野川など都市部の小河川の方が私のエリアの小河川よりも圧倒的に水質が良い。

(*6) 東京都国立市にある湧水を水源とする長さ1.3kmほどのごく短い小河川。ほぼ全域に沈水植物が繁茂し、種類もナガエミクリ(沈水型)、カワヂシャ(沈水型)コウガイモ、エビモ、ヤナギモ、シャジクモ、ノチドメ(沈水型)、フサモ、ササバモ、ドジョウツナギ(沈水型)など非常に多彩。都市圏だけあって交通機関からのアクセスも良く、危険な場所もないために水草観察の入門コースとして一部では有名。地元でも排水の規制など保護活動を行っている。近隣の小学校で育てたホタルの放流なども行われている。

(*7) 国際自然保護連合(The International Union for Conservation of Nature)という国際機関の略称。日本にもIUCN日本委員会という支部がある。設立は1948年で本部はスイスに置かれている。会員は国家に限定されず政府機関、NGOなど広範に会員資格がある。日本も1995年以降は国家会員となっているが、1978年の参加時には環境庁(現、環境省)が政府機関としての資格で参加している。事績としては有名なワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)の条文作成や世界の侵略的外来種ワースト100の選定などで主たる役割を担っている。

(*8) ヘラオモダカには目に見える変異があり、種として認められているもの(トウゴクヘラオモダカやアズミノヘラオモダカなど)、ヘラオモダカとしてまとめられているものが混在している。このテーマは現在でも自分のメインテーマとして継続しているが、特に注力していた数年前にフィールドワークの成果を当サイトの探査記録や水草雑記帳で数本の記事として発表させて頂いた。
 ヘラオモダカは水田や休耕田が主な自生地だが、せっかく行ってもヘラオモダカのみに注意が行ってしまい、その他の植物が視野に入っても記憶には残らない、という情けない結果に終わっている。特に見ようと思えばすぐに見られるイチョウウキゴケはそのパターンにはまってしまっている、という話。

(*9) 1970年代にアメリカのデュポン社によって開発された除草剤。略称がSU剤。効果が持続し散布が1シーズン1回で済むために一発処理剤とも呼ばれていた。一方、水田雑草にはこの除草剤に対する抵抗性を身に付けたものが次々と出現、なかには絶滅危惧種のミズオアイも含まれている。散布回数が少なく量も比較的少量で済むこともあって主流となっているが、このように年々効かない雑草も増加している問題点がある。



Photo :  Canon EOS KissDigital N・EOS30D/SIGMA 17-70mm Nikon E5000

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