日本の水生植物 水草雑記帳 Feature
イトトリゲモ
(C)半夏堂
Feature Najas japonica Nakai



イバラモ科イバラモ属 イトトリゲモ 学名 Najas japonica Nakai
被子植物APGW分類 : トチカガミ科 Hydrocharitaceae イバラモ属 Najas
環境省レッドリスト2017 準絶滅危惧(NT)

撮影 2011年9月 群馬県邑楽郡邑楽町 水路


【イトトリゲモ】
*主に水田を自生場所とする繊細なイバラモ科の一年生植物。同属植物に比して草体や葉の印象が細く、草体のみでもある程度の判別が可能である。同所的に自生し、しばしば混生が見られるホッスモ(Najas graminea Del.)も同じように草体や葉が細いが、イトトリゲモは種子が必ず二連し、肉眼でも観察可能なので判別できる。


農業技術

農業技術と希少植物


 イトトリゲモに限らず水田に自生する沈水植物は例外なく減少しつつある。主な理由は二つあると考えられるが、除草剤に加えて圃場整備が大きい。両者とも本来生産量の増大、農業労働の軽減を目的としており、希少植物とは言え雑草のための配慮は成されていないので仕方がないが、ウォッチャーとしてはこうした水田だらけの現状は一抹の寂しさを禁じ得ない。

 水生植物の研究者、神戸大学の角野康郎教授はその著書(共同)「ウェットランドの自然」の序文で、圃場整備が進展した水田に付いて同じ感慨を述べておられるが、生物多様性という観点から見れば水をはった水田以外に行き場のない植物たちは滅びるしかないわけで、具体的な解決策がないまま減少を見守るしかない歯がゆさがある。
 誤解の無いよう申し添えるが、農業技術の進展にモノ申すつもりは一切ない。生産物の安全性が担保されていれば生産方法や生産技術に関心がないのは一般消費者と同様である。米はもちろん「安全な農産物」だが、その生産現場は質的に大きく変貌した、というのが今の姿。

 これだけ政策的に休耕や転作が奨励されつつも耕地面積の減少と米の生産量の減少が統計データではシンクロしていない。その理由は生産技術の向上であって、その生産財(水田)が雑草の生えるような環境ではなくなってしまった、という話。一方、休耕田や耕作放棄水田はそもそも導水を行う必要がなく、結果的には水田の沈水植物の存続可否という観点では同じである。どちらにしても水田の沈水植物は減少絶滅以外の道がない。

 この画像は新たに掘削された水路に発生したイトトリゲモであるが、水田がダメなら、と常時水流のある環境に進出もするようだ。草体の折れやすい構造からして流水には向かないと考えていたトリゲモ属の植物だがこうした「強さ」も持っているようだ。この水路は翌年以降見ていないので定着できたかどうかは不明だが、少なくてもシードバンクの存在と、ある程度の条件が整えば復活することが証明されたわけで、一筋の希望と言えるだろう。
 上記のように同様の危機は水田に自生する他のトリゲモ属、スブタやミズオオバコなど沈水植物全般に及んでいる。絶滅危惧種の危急度で、現状に比してやや甘いランキングとなっているのは水田以外の自生も考慮されたのであろうか。しかしその「水田以外」もたしかなデータが存在するわけではなく、ため池や水路にも自生すると言われているわりに滅多に目にしない。


(P)2011年9月 群馬県邑楽郡


絶滅危惧の実態


 絶滅危惧種というと自生地に僅かな残存が細々と、というイメージがあるが、逆に「ある所にはある」というのも真の姿だ。イトトリゲモは分岐を繰り返して成長するので繁茂している場所では少数の元株でも大量にあるように見えるが、本当に「ある所にはある」のだ。
 画像の水田は鬼怒川の後背湿地注1)のような地形に拓かれた湿田だが、畦全周、イトトリゲモとホッスモ、シャジクモがびっしりと切れ目なく繁茂していた。水田自体は小規模なもの、かつ独立したものであり農家の自家用米生産用注2)のような雰囲気があった。湿田という条件に加えて除草がなければ絶滅危惧種と言えどもこれだけ繁茂する。まさに「ある所にはある」という姿だ。
*この水田は2015年9月10日の集中豪雨による鬼怒川の決壊による洪水で土砂が堆積し、現状は復田が成されていない。

 面積あたりの生産性を度外視すると、果たして化学肥料を施肥され水量をコントロールされ、除草剤によって雑草の養分収奪を抑えた水田で生産された米が本当に美味いのか?少なくてもこの光景を見ていると疑問に思えてくる。自分の祖父母も稲作農家だが、やはり自家用米は出荷用とは別の水田で生産していた。(湿田だったかどうかは記憶にない)あえて別に生産する意味を考えれば行きつく所「味」か「安全性」もしくはその両方といった所だろう。なぜ「プロ」がそうするのか?それは考えるべき問題だと思う。
 理由が「味」だけであれば何ら問題はないが、除草剤を使用しない理由を考えると消費者としては少し怖い。除草剤を使用した結果、我々が見る機会のない「モノ」を見たのか、そこに「使ってはいけない」理由を見出しているのであればぜひ知りたいものだ。
 米を商品として見た場合(稲作農家にとっては当然の話)、流通ルートの第一関門である農協の指定が厳密で、肥料や農薬の種類、回数も決められており、こうした記録もないと出荷できない場合もある。こうした水田地帯で一部のみ有機栽培の水田を維持するのは実質的に無理(害虫や病気が集中してしまう)だが、この隠し田注3)の如き湿田が周囲の「業としての」水田と離れて存在すれば自分がオーナーだとしてもこうするかな?

 農薬を使用しても化学肥料を使用しても、そこには安全基準というものがあっていわゆる「食の安全」は担保されているはず。しかし数値上の基準よりも、視覚的に雑草も生えない水田の米が何となく不気味に思えるのはなぜだろうか。しかもそこで生産される「米」は品種改良され様々な耐性を身に付けた強靭な種類なのである。現代の除草剤の謳い文句「選択性」。イネ科雑草は枯れてもイネには影響がない、よく考えると不思議なことではある。ある日突然「やはり危険でした」と言われてもどうしようもないではないか。


(P)2007年7月 茨城県常総市

無印の相方

混生するホッスモ


 植物図鑑や本種に関する記事でよく指摘される事実が「しばしばホッスモと混生する注4)」ということ。自分の限られた経験でもイトトリゲモが自生する水田では例外なくホッスモと混生していた。自生地の傾向、発生条件などが似通っているのだろうが、もはや「相方」と呼んでもよいぐらいの存在である。
 逆に言えば水田雑草とされるホッスモが単体で繁茂している姿をあまり見たことがないが、感覚的にイトトリゲモと同程度の残存でありながら環境省レッドデータ上の扱いは無印である。むろんレッドデータは全国的な値を勘案しているはずなので、全国の状況が自分の行動範囲の状況の公倍数とは考えていないが、予備知識なしにこの地域で「ホッスモを探せ」ということになったら結構途方に暮れると思う。植物ウォッチャー的に見れば「探すのに途方に暮れる」のがすなわち絶滅危惧種である。

 日本のレッドデータ検索システムを見ると我が茨城県、行動範囲の千葉県では都道府県版でホッスモはたしかに絶滅危惧T類となっている。絶滅を除けば最高ランクであって、この一帯でのホッスモ(イトトリゲモも)の見つけにくさをネガティブに証明するデータとなっている。現実にこの地域を捜し歩いても状況は上記の通りだ。
 ちなみに本県ではイトトリゲモも絶滅危惧T類、両種に比べれば比較的残存があると思われるオオトリゲモ、サガミトリゲモ(ヒロハトリゲモ)も同様である。つまるところ、イバラモ科植物はこの地域では全般的に見つけにくいということなのだが、実感として他科植物に比して同じRDBランクでもそれ以上の重みを感じる。

 しばしば同時に見つかる両種であるが、見分けの難しいトリゲモ属植物(詳細は本Webサイト「改訂版トリゲモ同定術」参照)にあって、やや突出した特徴を備えている。従って現地で目視による判別が可能であると思う。すなわちイトトリゲモはその名の通り草体が細く、肉眼で目視できるレベルの種子が付く。この種子がほとんど二連するのが特徴だ。ホッスモもその名の通り(払子注5)、仏具に由来する)柔らかな印象を受ける。経験上、この二種を他種と見間違えたことはなく、植物学知識レベルの低い私でもなんとかなるイバラモ属植物だ。無印の相方、ホッスモはさらに色彩的特徴もあって、水面上から見た際に褐色系が強く、緑が薄い印象に見える。また日照の豊富な場所では茎が赤っぽくなる場合も多い。(過信は禁物であるが)あればすぐに分かるのだが、見つけるのが難しい。

 実はフィールドの水生植物に興味を持ち出す前にアクアリウムでイバラモ属植物(オオトリゲモ、イバラモ)を育成しており、近所の水場では見られなかったため、深山幽谷の清浄な水環境に自生するものだと考えていた。実は彼等は人間の生活に非常に近い場所に自生地があり、それだけに存続基盤が非常に脆弱なのだ。湿田の減少、棚田の喪失、休耕、転作、湖沼の水質悪化、今やどこでも見られる減少の一つ一つが彼等の絶滅のリスクとなっている。


(P)2007年7月 水田でホッスモと混生する 茨城県常総市

発生と消滅

育成したの挙動


 現在自宅では2005〜6年頃に採集したイトトリゲモとホッスモを育成している。育成している、というか正確には毎年勝手に発芽し結実するので実質放置だが、常時水のある睡蓮鉢なのでこうした手抜きが許されるのだろう。
 一方、元々の採集地の水田は前述したように鬼怒川の後背湿地のような場所で、春〜秋は半自動的に湛水されるが冬に河川の水位が下がると乾いてしまうようだ。発芽時期〜結実時期は水があるのでこれでも差し支えないようだが、ここで注目すべきは種子が乾燥に耐えられる、という点だ。むしろ自宅の常時水のある環境では年々発芽数が少なくなる印象もあり、種子の乾燥が発芽率に寄与している可能性もある。
 水田雑草の多くは種子の時期、つまり冬季の乾燥による翌春の発芽率の向上という性質を持っており、雑草を抑止する不耕起冬季湛水払子注6)はこの性質を逆に利用した手法である。

 元々彼らが自生する、自生していた湿田環境は(ニュアンス的に定義上の湿田注7)とは意味が違うが)水源が湧水であって水量が雨量と連動している以上、季節変動が自ずとあるはずで、必ずしも常時水があるわけではない。雨水を水源とする「ため池」も然りで、冬季に干上がるような場所はいくらでもあるのだ。従って夏季だけの姿では植物の生活史全般を判断することはできないと思う。

 イバラモ属植物の発芽の挙動を見ていると、沈水植物でありながらこうした自然のサイクルに積極的に合わせた植物生理を身に付けたように思われる。育成環境のように常時水を張っている環境の方は彼等の自生環境としてはレアケースなのではないだろうか。植物の種子には発芽特性に様々なタイプがあるが、上記のように一定期間に乾燥に晒されることによって発芽率が向上するグループがある。水生植物に分類される水田雑草の多くはこのタイプで、冬季湛水を行うことで発芽率が低下するのである。これはコナギやスズメノヒエなど抽水植物のみならず、本種イトトリゲモやミズオオバコなど沈水植物やシャジクモ(種子ではなく卵胞子だが)などにもこの傾向があるようだ。この現象は彼等が水田に住み着いて以降、高々何千年かの間に身に付けたスキルなのだろう。ここは植物という生命体の「凄み」を強く感じる部分だ。

 さて、上記のように常時湛水の自宅環境ではイトトリゲモもホッスモも年々発芽率が下がり(簡単に言えば株数が少なくなり)数年でほとんど見られなくなってしまった。育成環境下で冬季に水を抜いて管理する、ということは実質的にできない(魚やエビなど他の生物も同居しているため)が、ざっくり同じことを行う乾田のサイクルはまた微妙に適していないようだ。それは季節ごとに水が出入りする湿田とは異なり、収穫量を増やすために小まめに湛水管理を行う性格の違いによるものだと思う。
 イトトリゲモやホッスモが発芽する6月(関東地方基準)頃には乾田にも水が入っているが、成長期、結実期の7月〜8月に「中干し注8)」が行われるのが大きい。これが水田の沈水植物の存続の壁になっている。しかし乾田でも湛水期に見られるシャジクモのように、このサイクルさえ取り込んでしまう強い植物もある。今後激変する水田環境でイトトリゲモやホッスモがどのような動向を見せるのか、注意深く観察して行きたいと思う。


(P)2007年6月 イトトリゲモの発芽 自宅育成環境

脚注

(*1) 沖積平野にある地形で、河川や湖沼の自然堤防の外側に形成される低湿地。主にシルト(沈泥)や粘土質の土壌で排水性が悪い。関東地方北部では土地改良によって耕作地になっている場所も多いが、なかには自然地形の特質を残した形で本文にあるような(半)湿田となっている場所もある。一般に多様性が残っており、水田雑草探しでは第一候補となるほど。

(*2) 農家が自家用米を別の場所で生産する、という説は都市伝説扱いする向きもあるが、自分に近い農家では現実に行われているようだ。ただしその根拠が農薬なのか米の味なのか、詳しくは分からない。農協に出荷する商品としての「米」は肥料や農薬など使用基準が決められているために、単にコストを下げるためかも知れない。また本文にあるように連続した水田の一部でこれを行うことは不可能で、周辺の水田から追い立てられたあらゆる病害虫が集中してしまう。行っているとしてもごく一部の話なのかも知れない。

(*3) 本来の意味は江戸時代以前の農民が年貢を免れるために隠れて耕作した水田である。その性格上他の水田と同列には置けず、山間のちょっと気が付かないような場所などに作られていた。もちろんすぐに分かってしまっては年貢を取られ罰も受けてしまう。本文にある水田は他の水田地帯から隔絶し、道路側からは気が付かないような堤防と住宅街の間にひっそり存在していたので比喩的に使用した。

(*4) しばしば混生するのはイトトリゲモとホッスモが自生地の傾向や植物的特性が非常に近いため、と考えられる。一方、遺伝的には一定の距離があるようで両種の混生は見られるが、混生する自生地でも中間的な形質を持つ交雑種は確認されていない。これは時に混生するヒロハトリゲモも同様である。

(*5) 僧侶が仏事で用いる仏具の一つ。広く各宗派で用いられるが浄土真宗では使用しない。木製の柄に繊維の束を付けた形状のもので、掃除用具の「羽はたき」にも似る。こうした特殊な道具の名前が植物に付いているのがいかなる訳か知らないが、ホッスモ以外にもハマボッス(サクラソウ科)、ホッスガヤ(イネ科)なども和名の由来となっている。

(*6) 水田維持の手法の一つ。一般に稲刈り後の水田に施肥(湛水後に土壌微生物や土壌動物の餌となる)を行い、湛水する。春先までに土壌が軟弱化(トロトロ層と呼ばれる)し、不耕起でも田植えが可能となる。また雑草の根が張りにくいために雑草抑制効果もある。冬季湛水不耕起栽培はどちらかと言えば有機栽培のブランド米の圃場のようなイメージがあるが、一般の水田では手間が掛かりすぎる(特に冬季水が不足する関東地方では)ためか、あまり見ない。

(*7) 立場によっていくつかの定義があるが、大別すると(1)常時湛水されている水田(2)渇水期にも地下水位が地表近くにある水田、となる。植物の生態的には沈水植物であっても種子や地下茎で越冬する時期が渇水期(主に冬季)にあたるので実質的な相違はない。本文にあるようにイトトリゲモやホッスモなど一年草の沈水植物は種子の乾燥体験が発芽率に影響している可能性も強く、常時湛水の湿田が必ずしも生物相が豊か、とは言い切れないようだ。関東平野の水田は基盤整備が進んでおり乾田が圧倒的に多い。河川の後背湿地を利用した水田や、山地がかった地域の棚田などでしか湿田が見られない。

(*8) 稲は水生植物であるが、意外なことに常時湛水状態では土壌の嫌気化に伴うガスや酸の発生により根の発育が阻害されてしまう。根が発育しなければ収量も減少してしまうので、生育期間の一定部分水田から落水し根に酸素を与える(好気化)ことで収量を維持する。このオペレーションが「中干し」である。時期的には出穂前30〜40日の間が稲にとって水の必要程度が最も少ない時期とされており、この間に行われる。
 余談ながら中干しの時期には水田中に生息していたメダカが排水路の窪みなどに残った水に集まり捕獲(救出)が容易になる。メダカだらけの水溜りが各所で見られるので、絶滅危惧種とは言え、一時に比べて相当個体数が増加していることが分かる。



Photo :
RICOH CX5 / Canon EOS KissDigital N + SIGMA17-70mm
Date :
2007.6.17、2007.7.28(茨城県常総市 イトトリゲモ、ホッスモ) / 2011.9.26(群馬県邑楽郡邑楽町 イトトリゲモ)

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